山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

政治や科学者の分断がもたらす新型コロナウイルス禍の拡大—イタリアはなぜ混乱しているのか

本日は、新型コロナウイルスをめぐる内外の状況についての政治的な分析をアップします。(*以下の記事の前半部分は、2020年3月11日付の三浦瑠麗の公式メールマガジン「自分で考えるための政治の話」より抜粋、編集したものです。)

各国でのポピュリズム衝動の強化

今般の新型コロナウイルスをめぐる状況は非常に深刻です。ここ数日、特に世界経済の中心であるニューヨーク市場に危機感が広がったことによって深刻度は急速に高まっています。2001年の9.11危機、2008年の金融危機に匹敵するような経済的、地政学的な危機になる可能性があるということです。ただし、それは、今般の伝染病が直接的にそれだけの危機であるという意味では必ずしもありません。むしろ、ウイルスをめぐる各国内の対応及び国際的な反応によって危機が増幅されていると考えています。

第一の問題は、各国の反応が非常に情緒的であり、自国中心主義的な発想や排外主義的な考え方に基づいてしまっていることです。各国の政策に、科学に基づく知見よりも、大衆の感情を優先する傾向が強まっています。これは、憂慮すべき悪しきポピュリズムであると考えます。

日本においても、「安全」と「安心」は異なる、などと言って、科学的知見を矮小化するような政策的失敗が繰り返されてきました。政治、行政、メディアは、社会におけるプロでありますから、科学的知見に基づいて「安全」を確保する責任があります。間違っても、安全と安心を混同しては、プロの責任は全うできません。文字通り、メディアや国会議員の方々にはプロ意識を持っていただきたいと思います。

そもそも、人間社会は「未知のリスク」を高く見積もってしまう傾向があります。今般の新型コロナウイルスについては、まだまだ解明されていない点が多いのは事実です。特に、ウイルスは変異して性質が変化する可能性もありますから、十全な対策を行うことは当然です。ただ、社会に存在する無数のリスクと比較して均衡ある対応を行っているかどうかについては、絶えず検証が必要であろうと思います。

一例をあげると、2018年の日本におけるインフルエンザの死者数は3,325人、2019年の交通事故による死亡者数も同様に3,215人です。かと言って、私たちは、冬の間は大型のイベントは自粛しようであるとか、交通事故を無くすために自動車を廃止しようとは、もちろんなりません。それは、社会が、インフルエンザや交通事故のリスクについては既に織り込んでいるからです。ところが、新型コロナウイルスに対するリスクは未知の部分が多い。

新型コロナウイルスに対するリスクには未だ不明な点が多いものの、分かってきていることもあります。もっとも重要な点は、被害を重大にしないためには医療崩壊を起こさないことです。つまり、感染者をゼロにすることは現実的な目標ではなく、一定の感染者を許容しつつ重症化しやすい高齢者や持病を持っていらっしゃる方に、医療リソースを効率的に振り向けることが重要であるということです。

国内における報道も、各地で何人の患者が生じたかを追い続けるのはそれほど生産的とは思われません。むしろ重症化している患者の比率や人数、回復した方の人数について総合的な報道姿勢が重要ではないでしょうか。今般の危機において問題となったクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号における対応ですが、感染をゼロにするという目標を立ててしまうと船内に留め置くという判断になってしまうところ、患者を集中させず重篤な感染者をなるべく出さないようにするという目標設定に立てば、異なる判断があるだろうということです。実際、米国で類似の状態が起きていますが、その際に日本の教訓が生かされているのを見るのは喜ばしいことです。

ただし、全体として見ると危機が深刻さを増すにしたがって、各国の政治的対応が科学的知見よりも、「果断な決断」を演出することで人々の安心に訴えかける政策、自国中心主義的で、時に排外主義的な反応が多くみられていることは残念です。必ずしも科学的な根拠に乏しいにも関わらず、一定の国からの渡航者を全面的に排除すること、一定国からの渡航者の制限を、科学的見地ではなく、政治的な見地から徐々にエスカレートさせてしまっています。

この種の動きは日本のみならず、イタリア、アメリカ、韓国など各国で生じています。なぜでしょうか。政府への一定の信頼がある場合、危機の際には政権与党の求心力が高まる傾向があります。その際、野党にはジレンマがあります。政権に協力すると自らは政治的に埋没してしまう傾向があります。反対に、危機に際して政権を攻撃し続けると、国難の時に自らの政治的利益ばかりを追求するのは利己的であるとの批判が高まります。結果的に、どういう展開になりやすいかというと、「もっと果断に対応しろ」、あるいは、「もっと厳しい政策を採用すべき」という意見に流れがちなのです。そうすると、政権側も科学的には大して根拠はない、つまり「安全」には大して効果はないけれども、「安心」には効くかもしれない政策を乱発するようになるのです。

もう一つ、顕著にみられるのが中国恐怖症の文脈です。人種差別的意識や中国に対する経済的・軍事的な対抗心が噴き出したり、排外主義がこの問題を利用するようになる、という構図があります。現に、イタリアやアメリカではこうした問題が顕著にみられています。

与野党には、この種の構造を意識していただいて、「無駄に果断に見える政策」ではなく、しっかりと科学的根拠のある政策を論議していただきたいと要望します。

国際経済の停滞

次に、国際社会への影響についてですが、最大の点は、国際経済の停滞は非常に深刻であろうということです。直近数日の国際的な経済指標は非常に不安定な動き方をしています。各国の株式市場は大きく下落し、為替相場、エネルギー相場も相当な荒れ模様です。

国際社会は、かつてもパンデミックを経験しています。例えば、2002-03年にはSARSの感染があったわけですが、世界経済への影響はそれほど大きくはありませんでした。今般、国際経済への影響が拡大しているのは、いくつかの要因が重なった結果です。

第一に、今般の危機の震源地が中国であったということ。国際経済に占める中国の存在感は、2002-03年当時の約4倍です。もう一つは、世界的なサプライチェーングローバル化がはるかに進んだこと。その中でも、中国の存在感が非常に大きいことです。新型コロナウイルスよりもはるかに致死性の高いエボラ出血熱が、世界経済にはそれほどの影響が出てこなかったのは、世界経済における重要性の差分に基づいています。

また、国際的な自由貿易体制の維持が国益の根幹にある日本にとっては残念なことですが、今般の危機を狭い発想に基づいた産業政策に結び付けようという発想は筋が悪いと言わざるを得ません。

一応「休戦中」とは言え、今般の危機の直前まで、米中は激しい貿易対立の只中にありました。新型コロナウイルス危機の初期、米国のロス商務長官が中国からの製造業の国内回帰を促進する好機であるという趣旨の発言を行っています。先進各国にとって、中国への集中リスクは中期的に積極的に取り組むべき課題であることは間違いありませんが、直近の優先順位は世界的な景気後退を防ぐことです。

各国における経済活動の停滞、国際的なサプライチェーンの寸断、国境を越えたヒト・モノ・カネの移動の停滞は、それぞれが世界経済への強烈なマイナス要因です。2008年の金融危機直後と同様に、各国には協調して需要を喚起するような政策が必要となるでしょう。パンデミックそのものが峠を越えるころ、もっとも重要となるのが世界的な不況の連鎖を起こさせないことです。

世界的な不況の連鎖は、自由貿易や資本主義そのものに対する先進国の民衆の支持を弱めます。現にアメリカでも、伝統的共和党的な経済政策の立場はかつてないほどに弱く、民主党クリントンオバマ両政権よりもはるかに左のところでせめぎ合っています。もちろん、分配を適切に進めることで、新たな均衡にたどり着くことができればそれが一番良いのですが、やはりその不満が不健全な形でポピュリズム的打ち壊しへと流れ込むリスクは看過できません。

国際社会の協力関係の低下

国際社会をどのような構造として見るかは、国際政治学者の間でも長らく意見が分かれてきました。

一方には、国際社会を競争的に見て、国同士は対立関係にあることが多いとするリアリズム的な考え方があります。もう一方には、国際社会を協調的に見て、国同士は協力関係にあることが多いとするリベラリズム的な考え方があります。安全保障分野がリアリズムに基づくべき典型的な分野であるとすると、パンデミック、技術的な問題、環境問題などのグローバルな課題は、各国の協調が特に重要な分野です。

ところが、各国で広がる悪しきポピュリズムと世界経済の低迷によって各国間の協調の枠組みがむしろ弱まっているようなのです。各国で乱発される渡航制限がその典型でしょう。今般のWHOの動きについては、初期において危機の深刻度を過小評価していたきらいがあり、中国への忖度であることを指摘されてきたとおりです。とは言え、WHOはグローバルなパンデミックの最後の番人であることもあり、その科学的知見については傾聴に値するであろうと考えます。

本来は協調的に対処することが望ましい案件が、急に対立的になる現象があります。それは、従来日常的な危機とはみなされないものであった出来事が、突如として安全保障上の問題となり、飛躍的に優先度と注目が高まるからです。国際政治の世界では「安全保障化」などと言われる現象です。ある事象が、にわかに安全保障の問題として大きくクローズアップされることで、物事の種類によってはかえって協調が困難となるのです。

今回のパンデミックをめぐる問題もそうですが、かつて、日本では中国からの輸入食品の安全性について問題となったことがありました。冷凍餃子問題等について記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。その際も、食品衛生の話であり、本来は専門家が科学的見地から対処することが望ましい問題であるにも関わらず、マスコミの報道を通じて人々の生死にかかわるまったく妥協不可能で、冷静に議論することも難しいような問題となってしまったことがありました。

繰り返しますが、重要なことは政治、行政、メディアにいるプロが、科学的な知見に基づいて冷静に議論を運ぶことです。というのも、今後、特に重要な展開は医療体制の整備がそれほど進んでいないアジア及びアフリカの新興国へと新型コロナウイルスの感染が拡大していくことです。その際、各国で積み上げられた知見の共有も必要でしょうし、現場において医療崩壊を起こさせないための施策や国際的な協力が必要となるでしょう。

まとめ

以上、三点についてまとめましょう。新型コロナウイルスをめぐる懸念の第一は、各国で自国中心主義的なポピュリズムが進行していること。第二の懸念は、世界経済の下方圧力は相当強いということ。そして、第三の懸念が国際社会における協力の気運が急速に萎んでいること。そして、これら三つの要素は、相互に影響し合い、あたかも負のスパイラルを構成する要素となってしまっているということです。

したがって、日本が心得るべき政策の方向性も、この三点を意識したものになるべきです。第一に、安心ではなく安全を優先した科学的な政策決定をおこなうこと。第二は、景気の落ち込み、世界経済の縮小に対して果断な対応策を採用すること。第三は、国際的な協調の先頭に立つこと。特に、新型コロナウイルスの感染を医療崩壊を起こさずにまずまずのところで死者や重症患者を押さえられている経験を世界に明確に伝えること。そして、今後、医療リソースがより脆弱な国家への感染が広がる中で必要なサポートを提供することではないでしょうか。

イタリアはなぜ混乱しているのか 

続いては、参議院予算委員会でもふれたイタリアの実情に関して、新しい論考をご紹介するかたちで補足します。現地では医療崩壊が報じられていますが、社会が非常に混乱していることが見て取れます。中央政府と地方政府が責任を擦り付け合ったり、野党やメディアが政権批判を加熱させた結果としてコンテ首相が前のめりの失策を繰り出したりと、日本から見ても他山の石とすべきところが多いように思います。そこで、マティーア・フェラレシ「イタリアの政治家がコロナウイルス危機を悪化させている」(Foreign Policy,2020年3月9日掲載)に書かれている内容をお伝えします。

本論考は、政治指導者同士の抗争や、世間の注目を集めようとしていがみあう科学者の間の論争が、かえって新型コロナウイルスの封じ込めに当たって悪影響をもたらしている、という見立てを提示します。論考の結論は、民主国家の方が権威主義よりも公衆衛生上の危機管理に成功すると思われてきたが、実はそうではないのではないか、というもの。

中国は初期に情報を隠ぺいしましたが、イタリアの事例は、むしろ民主主義のコストの方を感じさせるというのです。いくつか、記述を和訳したものを抜粋しましょう。

 

イタリアのコロナウイルスの感染者数は現在、中国に次いで世界第二位となり、大規模な感染が確認されたのは欧州では初めてで、これまでに9,172人の感染が確認され、このうち463人が死亡した、724人が治療後に回復している。中道左派民主党のニコラ・ジンガレッティ党首とピエモンテ州知事は、COVID-19の陽性反応があったことが明らかになった。

土曜日、政府は劇的な一歩を踏み出し、ロンバルディアの全地域と北部14州を封鎖し、少なくとも4月3日までイタリアの経済の中心である同地域の約1600万人を事実上隔離した。これはニューヨークやロンドンの大都市圏全体を封鎖するのと同様のことを意味する。学校や大学は四月初めまで休校となり、公共のイベントはすべて中止になる一方、カフェや商業店舗は平日の午後6時までしか営業しないこととなった。イタリアのその他の地域の学校は3月15日まで休校になり、期限は延長される見込みだ。

 

 

感染拡大に対して取られた今回の政策は、中国以外の国がとった最も厳しい制限を課しているが、曖昧であったり解釈が難しい条項も盛り込まれている。例えば、今回の政令には人々が封鎖地域を指す「レッドゾーン」の境界を越えることや域内を行き来することは禁止しているが、「専門家の要求や例外的事情または健康上の問題がある場合を除いて」となっており、専門家の関与の必要性などをどのように判断するかについては不明である。その他にも散見される曖昧な部分について同法を施行する州と地元首長との間で激しい議論が展開された。

 

 

政府のコミュニケーション戦略も誤っていた。内閣が封鎖を検討している段階で情報がメディアに漏洩し封鎖に関する報道がされてしまったために、すでにパニック状態に陥っていた民衆の心境をさらに悪化させた。そのため、政府が正式に発表する前に、多くの人々が電車や車で「レッドゾーン」から脱出しようと町は大混雑したのだった。

厳格な方針を打ち出したにもかかわらずきちんと詰めない。こうした態度は、歴史的にみても不安定な政府や短命の連立政権、権力闘争などに悩まされてきた国家に典型的にみられる行動であり、国内の論争や議論が常にまとまらず、国際的な信頼を失ってきた傾向がある。現政権はこれらの特徴を完全に体現している。

 

とこのように、まずは脆弱な政権が危機対応を誤ることが今回の問題の本質であるとしています。

 

イタリアがさらに新型コロナ対策を強化するうえでの第一目標は、医療体制を拡大させることによって集中治療を必要とする患者に対処できるようにすることだ。最も感染者数が多いロンバルディア州の救急治療室は現在フル稼働しており、医師たちは、患者の生存可能性を判断するガイドラインに沿ってどの患者に医療措置を施すか優先順位を付けて対応せざるを得ない状況である。

世界保健機関(WHO)によると、イタリアの救急病棟のベッド数は、人口10万人当たり275床であるのに対し、EUの平均は394床である。イタリア政府は集中治療室のベッド数を5割増しする計画だが、これにはまだまだ時間を要する。政府はまた、この新型コロナウイルスがもたらす伝染病によって深刻な被害を受けた家庭や企業の支援策として75億ユーロ(約86億ドル)の経済対策を打ち出したが、新型肺炎EUの中で最も成長の遅い経済に壊滅的な影響を与えるだろう。

 

ここまでは、イタリアの医療体制の危機や経済に与える影響について述べています。けれども、本論考の主眼は、政治闘争と専門家の分断がもたらした混乱にあります。

 

新型コロナウイルスを阻止するための取り組みは、国の政治的機能不全によって複雑になっている。コンテ首相は、かつてはいがみ合っていた民主党とポピュリスト政党「5つ星運動」の中道左派連合を率いている。わずか6カ月前、彼は極右連合を推進力としてポピュリストを率いていた。

ここ数週間というもの、イタリアは、慢性的に不安定な政治環境において重大な医療上の緊急事態が起こった際の危機管理の格好のケーススタディになっている。決して勇気づけられるような事態の推移ではないが、貴重な教訓を我々に与えてくれることは間違いない。それは、新型コロナウイルスはそれだけでも深刻な脅威であるが、政治家があらゆる情報を自らの政治的利益のための道具にすることで、ウイルスの影響をさらに悪化させる可能性があるということだ。政府の初動の誤りは、1月に中国から到着するすべての乗客を隔離する厳しい措置を多くの人が要求した際、ウイルスの脅威を過小評価したことだった。不確実な状況下で厳しい判断をすることは難しいが、そのような訴えが考慮されなかった実際の理由は政治的なものだった。内閣の宿敵であるマッテオ・サルビーニ率いる「同盟」と、北部同盟の知事たちは強硬策を推進した。サルビーニ党首はこの緊急事態を利用して反移民と外国人憎悪を煽って求心力を得ようとしたのである。

 

そして、入国制限や隔離措置の可否をめぐり、政治家やコメンテーターは、互いに「ファシスト」とレッテル張りをして非難し合い、相当な政治的混乱が生まれます。そして、初動対応の遅れを非難されたことで、イタリア政府は却って「果断な処置」をアピールする必要に迫られるのです。1月30日、コンテ政権は中国との直行便をキャンセルしました。しかし、その結果として、乗り継ぎ便を利用した何千人もの乗客が検疫も受けずにイタリアに素通りで入国できる状況を生んだと批判されてしまいます。

追い込まれたコンテ首相は記者会見で、イタリアが新型コロナウイルスの脅威に対してEUで最初に本格的な対応を講じた国だと強調するのですが、のちにイタリアも同様の措置を各国から取られることになったことから、記事はそうした首相の発言は軽率だったとしています。確かに、外交は相互作用があり、内政上の都合で行う決断が外部に波及した結果、しっぺ返しを食らう可能性は十分にあるのです。現に、コンテ首相は自らの過去の発言の趣旨に反して、各国の措置は受け入れがたいと述べています。

さらに、中央政府と地方の知事らがいがみ合いがはじまります。コンテ首相はロンバルディア州ヴェネト州ピエモンテ州の知事らに責任を転嫁し、2月25日、当時ロンバルディア州コドーニョの町の病院に入院していた患者が同国「0番目の感染者」であり感染を拡大させたと指摘しました。その首相の発言の結果、イタリアは緊急事態に適切に備える能力がないという国際的な懸念が広がり、イタリアはハイリスクの国であると捉えられてしまいました(実際そうだったわけですが)。このコンテ首相の発言はのちに事実ではないと判明し、彼は発言撤回に追い込まれます。記事は、首相の発言時の真の目的は、新型コロナウイルスに対する適切な対処の呼びかけではなく、単に敵方の信用を失墜させることだったのではないかと批判しています。

サルビーニ氏はサルビーニ氏で、「この政府は、緊急事態はもちろんのこと、平時においても統治することができない」とスペインの新聞に語り、危機を利用して政権交代を図り、マリオ・ドラギを次の首相候補にすべきだなどと発言しています。そして知事らを含め、「同盟」勢力はフェイクニュースや人々が混乱するような情報を拡散しました。

もうひとつ、記事が問題の元凶として指摘しているのが、ウイルス専門家の間に生じた分断です。

 

テレビやSNSでは、メディアに出て発信力を持ちたい医療の専門家たちが議論を戦わせ、どうしたら感染の広がりを抑えられるのかについて、相反する情報を発信した。時には、ツイッター上で炎上するような論争をくり広げ、科学の世界が政治と同じように分裂しているという認識を煽り、感染拡大を封じ込めるために現実に効果が裏打ちされた方策があるという考えを台無しにしたのだった。

科学が競合する仮説をめぐって議論を戦わせること自体は科学的手法の基本だが、それを医学会議や査読付き論文で行うのではなく、一般人を交えた公の場でリアルタイムに展開することで、急スピードで論点や話題が移り変わるテレビ報道の世界とシンクロして大きな混乱を生み出した。ここ数週間、イタリア人のあいだでは好きなサッカーチームより、自分たちがどのウイルス学者を信頼するかについての方が、意見が分断している。人々は自分たちが聞きたいことを言う専門家を選びがちだ。

 

こうした記事を読んでいると、日本としても孤独感を感じませんよね。つまり、イタリアでは日本で起きていることと同じことが起きており、そして政治が安定していないがためによりひどい状況にまで新型肺炎が政治問題化しているということです。

私たちに求められることは、こうした各国の事例も含めて他山の石とし、人類の教訓として蓄積していくことではないでしょうか。

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