20世紀の冷戦と21世紀的な冷戦構造(1)
20世紀的の冷戦は、国際社会に対して大きな影響があっただけでなく、日本国内に対しても大きな影響がありました。日本政治における保革の対立構造が固まったのが、いわゆる55年体制が成立した1950年代半ばです。サンフランシスコ講和条約を経てまだ数年の頃ですが、国際社会における日本の立ち位置も、敗戦国としてのそれから冷戦構造の中で西側陣営の一部としてのそれに移っていました。そもそも、自由民主党という一党優位体制を築き上げることになる政党の成立も、冷戦構造の中で革新勢力が伸長していくことに危機感が生じたから可能になったものでした。
自民党と社会党の保革対立は、その時々で盛衰はあれど、おおよそ2:1の比率で推移します。これは、冷戦構造の中における日本の立ち位置をほど良く体現していたのではないでしょうか。米国との同盟に安全保障を完全に依存している以上、西側とともにある以外の選択肢はない。けれど、国内では社会主義の理想が一定以上の訴求力をもって国民の間に浸透している。中選挙区という独特の選挙制度の結果もあって、この関係性が長期間持続されたのです。
政権政党としての自民党が強みを発揮したのは、冷戦という国際社会の枠組みを利用して、それ以前から存在している日本政治の権力基盤の幅広い領域をカバーするに至ったからです。明治国家の建設以来、内政において指導的な立場に立ったのは官僚機構と地方の名望家支配の組み合わせでした。この権力基盤が維持される限りにおいて、自民党の統治はとても柔軟であったと言っても良いでしょう。それが、自民党が他の先進国に見られるようないわゆる保守の政党とは一味違うところでしょう。国民が社会主義的な政府の拡大に対して一定のシンパシー(≒共感)を覚える中で、特に経済政策についてはかなり左側にまでウイングを広げることとなったのです。/
保革の2:1の関係が崩れ始めるのも冷戦構造に変化が現れたときでした。他の先進国と比肩しうるような意味で自民党が明確に保守性を発揮したのが1980年代の中曽根政権においてでした。なぜ、その時代に保守への傾斜が可能であったか。一つの要因は、国際社会における社会主義の失敗が明確になりつつあったからです。そして、国内冷戦の構造が崩壊したのも、国際社会の冷戦構造が崩壊した数年後の1993年というわけです。
国内政治の動きには、もちろんその時々の政策的論点があり、議院内閣制を採用する中での人間関係や派閥政治の現実があったことは当然です。ただ、どちらかというとそれはコップの中で起きていること。そもそも、コップの構造は冷戦によって大きく規定されていたわけです。
自民党は、2009年の政権交代によってはじめて本格的に下野しますが、これも90年代を通じて官僚機構と地方名望家という日本の権力基盤から人材が流出し続けた結果だったとも言えるのではないでしょうか。
今後予想される冷戦の内政化
21世紀を生きる我々にとって、米中の新冷戦は国内政治に対してどのような影響があるのでしょうか。20世紀との差分は大きく二つです。最大の点は、米国が頼りにならない可能性があることでしょう。これまでも繰り返し申し上げてきたことですが、国際社会では過去75年の間にいろんなことが起きてきたけれど、そのすべての期間を通じて米国の経済的、政治的、軍事的な優位は常に前提条件として存在し続けました。そして、米国の圧倒的な優位があったからこそ日米同盟も盤石であり得たわけです。いろいろ文句はあっても、根本をいじる必要がなかったからです。ところが、イラク戦争以後の米国は変わってしまっている。国際社会の秩序と同盟国の安全保障を担う能力と気概がしだいに失われてきています。最も変わったのは、実は能力ではなく、米国民の気概や意思の方なのですが。
もう一つの差分は、20世紀の冷戦期において日本と東側陣営の経済的な関係は極めて脆弱であったのに対して、日本にとって中国は経済的には最重要の取引相手であるということです。20世紀の東側陣営は経済的に有望な市場となることはなかったのに対し、このままの傾向が持続すれば、中国及びその影響下にある経済圏はどんどん大きくなっていくことが予想されます。20世紀的な冷戦において、日本が取るべき立ち位置は明確でした。社会主義的な立ち位置をとることはそもそもあり得ませんでした。それ故に、その枠組みの中で推移した国内冷戦も安定的だったのです。
21世紀的な冷戦に対して、日本はより脆弱です。安保と経済との間で又裂き状態となっていくからです。そもそも、経済外交的な視点からは、第一と第二の貿易相手との間で選択を迫られるのは最悪の展開です。ただ、国際社会の現実は甘くないでしょう。米国経済が中国市場に依存し、米国企業の利益が中国の生産力に依存する間は大過なくいくでしょうが、米中経済のディカップリング(≒分離)傾向が定着するにしたがってそのリスクは大きくなってきます。
今般の香港の国家安全法に対して、米国はアングロサクソン諸国と連帯して非難声明を出しました。国際社会に見える形で日本も賛同を求められたとして、どのように行動するのが良いか。仮に、米国がもう一歩踏み込んでG7をはじめとする会議体で中国に制裁を課すべきだと言い出したらどうするのか。例えば、米国は中国を代表するハイテク銘柄であるHuaweiを米国市場から締め出す方針を明確にしています。日本でも、政府調達をはじめとする一部のセクターからは排除されつつありますが、通信、電力等の業界には引き続き日本人のユーザーが存在しています。今後、Huaweiの全てのビジネスを日本市場からも追放することになるのか。米国による排除の対象が、もっと広がったときにはどうするのか?米国は、中国企業のNY市場からの排除に向けて着々と準備を進めています。中国の四大銀行や、エネルギー系や通信系の国有企業が規制対象となったとき、日本はなかなか厳しい選択肢を迫られることになるでしょう。とは言え、ドル金融へのアクセスを梃に迫られれば、今のところ、日本には従う以外の選択肢はないのですが。
日本が米国に踏み絵を迫られたとき、観念的には日本の現実としてはいくつかの選択肢があります。第一は、可能な限り米国と共同歩調をとるという方向性。これは、一見すると最も政治的リスクが少ないように見えるものなので、何も考えないとここに落ちつくでしょう。米国に唯々諾々と従っていくパターンです。
第二は、米国と共同歩調を取るようなポーズは見せるけれど、ところどころでズルをするという方向性。独仏がしばしば採用するスタンスです。両国には、20世紀的な対ソ連の文脈でも、21世紀的な対中国の冷戦においても、したたかさを失わない部分がありました。ただ、この路線は国際的にも国内的にも論争を呼びがちですから、倫理と利益をうまくバランスした大人の政治、大人の外交をやりきる能力が求められます。
第三は、米国への忠誠心を見せたいという欲求と、国内に存在している強い反中感情によって、米国よりも強硬な姿勢を取るパターンです。冷戦中、英国は対ソ連においてしばしば米国よりも強硬でした。それは、米ソが実際の熱戦を戦った経験がないのに対して、英国には何百年にも及び対ロシアの恐怖心や不信感が存在したからでした。対中国の日本の立ち位置にも通ずる部分があります。朝鮮戦争で間接的に戦った以外、米中は直接の熱戦を経験していません。日中には直接の戦争体験のみならず、東アジアにおいて現実に対峙しているという文脈があります。新冷戦と言ったところで、平均的な米国人は中国(及び中国人)に対して特段の関心も敵意も抱いてないでしょう。現に、私が実施してきている意識調査においても、日本人の8割前後が中国に対してネガティブ(≒否定的な)な思いを一貫して抱いています。
国内冷戦の新展開
新冷戦という、国際社会の中に形成されつつある現実に対して、日本がどのように振舞うべきかについては、国内にもコンセンサスがありません。国内の政治勢力の選好も出揃っていない状況です。
政権政党の自民党も一枚岩ではありません。一方には、抽象的な保守イデオロギーを国民の反中感情を後ろ盾として示す強硬派が存在します。彼らは前述の第一ないしは第三の路線を主張します。他方、日本自身の経済的権益や対アジア外交の全体像の中でバランスを取ろうという穏健派も存在します。もう少し経団連的というか、外務省的というか、旧来のエスタブリッシュメントの感覚に近い発想です。彼らは、前述の第二の路線を目指すことになるでしょう。この路線の一つの亜流として、オールドな対中贖罪意識と具体的な利権構造の中で動いている勢力も存在するでしょう。
自民党の政策は、大きくは強硬派と穏健派の考え方の間を行きつ戻りつすることになるだろうということです。
新冷戦への対応について、実は、野党の立ち位置ははっきりしません。民主党の鳩山政権は、いわゆる米中正三角形論を唱えていました。外交においてアマチュアリズムの感じられる政権であったせいか、それが実際に練り上げられた政策的パッケージになることはありませんでしたが。今後、野党が新たな日米正三角形論をぶち上げることはあるのでしょうか? それが、日本政治を規定するようなコップの枠組みとなるのか。
私自身は、足下では国民の対中不信が強すぎるので、ありそうにないと思っていますが、米国がさらに頼りない存在となり、中国が積極的な微笑外交をしてくれば乗っかる政治家はいるのではないかと思っています。
次回は、新冷戦の現実がいまだに日本政治を規定している20世紀的な冷戦の遺物にどのような影響を与えるかについて考えたいと思います。
* 本記事は、三浦瑠麗の公式メールマガジン「自分で考えるための政治の話」6月24日付配信記事の一部を編集・転載したものです。