山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

新型コロナウイルスのリスクを自分の頭で考える

事実関係の確認

中国の武漢で発症し、世界に感染が広がりつつある新型コロナウイルス。WHO(世界保健機関)は、1月30日に新型コロナウイルスの拡大が国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態に当たるとして、緊急事態宣言を出しました。前回緊急事態宣言を見送ったときと比べ、世界に感染が広がっており、中国でも発症者数が増え続けているからです。

WHOは緊急事態宣言発出にあたって、記者会見ではとりわけ世界への感染の広がりを受け、適切な医療システムが存在しない国に広がることを最も懸念しており、医療体制の援助などの国際協力こそが緊急事態宣言の目的であると述べています。そして、中国は事態にしっかりと対処しており、ウイルスを封じ込めるなどの対処能力に関しては強く信頼を置いているということが強調されました。さらに、貿易や中国本土からの海外渡航を制限する必要はないという見解が示され、フェイクニュースや噂の伝播に気を付けるよう、科学に基づいた対処が必要だと強く警鐘をならしました。

記者会見で問題となったのは、中国からの渡航を制限すべきではないというWHO専門家の意見に対する賛否でした。記者からは、緊急事態宣言を発出しているのに渡航制限すべきではないとするWHOの意見に対して疑義が投げかけられました。最初に質問した新華社通信は、中国に対する不利益な措置が増えるのではないかとして、ナーバスにこの問題を捉えていました。中国以外の外国人記者たちが気にしているのは、WHOが中国経済風評被害に配慮しすぎているのではないか、ということ。しかし、WHO以外でも医療健康政策の責任者などはインフルエンザの方がまだより大きな脅威であると述べており、むしろ各国では非専門家である政治やマスコミの側の方が、より強硬策を取ろうとしている印象を受けます。

こうしたパンデミックの問題を取り上げる際、まず気を付けなければいけないのは情報の正確さに最大限留意すること。間違っても、素人の勘に頼って事態を煽るような発言やフェイクニュースの拡散に加担しないことだろうと思います。当然、私自身は感染症の専門家ではないので、ここでは報道に照らし、1月30日現在の情報を下にまとめたいと思います。

(中国国内)

感染者数:9692人

死者数:213人

(中国以外)

日本、米国、豪州、台湾、シンガポールマカオ、韓国、マレーシア、フランス、ベトナム、カナダ、ドイツ、スリランカ、ネパール、カンボジア、フィリピン、タイ、インド、フィンランドアラブ首長国連邦UAE

ウイルスの原因についてはいまだ確定的な情報は発表されていないものの、野生動物の取引から発生したと推測されているようです。

同時に、意識されるべきこととして、現時点では中国以外では死亡者は確認されていないこと。そして、犠牲者の年齢を確認する限りでは60~80代で既往症を持っている方が中心であるということです。ウイルスに対する抵抗力が衰えている状態においてリスクが特に高いということでしょう。2002~2003年にかけて発生した800人近い犠牲者を出したとされるSARS、また、2012年以降に700人以上が死亡したとされるMERSほどには毒性は強くないという報告もあるようです。

社会的な反応

初動対応について振り返りましょう。中国では地方政府レベルで行われた初動対応には遅れが見られ、隠蔽が疑われています。今現在は、感染の拡大を封じ込めることに力点がおかれており、責任追及と初動対応に関連する教訓がはっきりするまでには時間がかかるでしょう。ただ、感染の一定の拡大が確認された後の対策は強烈でした。人口1,000万人以上の武漢市に至る公共交通機関を停止し、巨大都市を事実上封鎖。しかも、中国国民が最も広範囲で移動する旧正月シーズンのど真ん中において。このあたりの決断については、権威主義国ならではのところがあります。

 

1000万都市の封鎖ということであれば、現場ではいろいろな混乱が現在進行形で進行しているに違いありません。当然、外国のメディアが自由に活動できているわけでもないので想像することしかできません。食料は、水は、エネルギーは、衛生状態は、治安は、人々の人権が封鎖された都市でどのようなことになっているか。ここまでの措置が必要であったか否かについては時を経た検証を待たざるを得ませんが、対応が後手後手に回っていたことを意識してか、安全を最重視した強硬策に出たという印象です。

とはいえ、500万人の人たちがすでに外へ出たとの情報もあり、こうした強硬策に出るまでの遅れや封鎖を発表してから実行するまでの時間差が、中国全土に感染を広げる結果をもたらしていることは確かです。中国が海外への団体旅行客を停止したことは歓迎すべき事態ですが、言われているようにSARSよりも感染力が強いとすると、おそらく中国全土には今後伝播していくでしょうから、中国が必死に強硬策を講じても、中国全土で数十万人の感染が出る可能性があると思います(日本ではインフルエンザが流行るときには1週間で新たに50万人が罹ったりしていますが、これはきちんと隔離をしていなかったり、学校を拠点としてウイルスが猛威を振るう場合です)。

諸外国でも、中国からの渡航者を制限したり禁止したりする国も出てきています。日、米、フランス、イタリア、豪州などは武漢市にいる自国民を帰国させる、もしくは帰国する選択肢を与える方針です。日本ではチャーター便で二機がこれまで帰国者を日本に運んでおり、帰国者に対する検査、診療や隔離の体制が問題となっています。

リスクという不思議な存在

報道にもかかわりつつ社会科学の分野で生きてきた者としては、今般のようなパンデミック等の問題に絡んで、社会がリスクというものをどのように評価し、拡散させ、消費させていくかということはとても関心があります。冒頭に述べたとおり、緊張が高まっている局面において素人が感覚で判断したり、デマの拡散に加担したりしてしまうのは論外です。

リスクが拡散している流れの中には、人間としての認知の歪み。もともと存在していた偏見、必ずしも正当化されない思惑が紛れ込むことがあります。繰り返しますが、海外では死者は報告されていません。WHOの緊急事態宣言は、発展途上国など医療体制や管理体制が整っていない国に広がった場合、適切な隔離と治療がなされないことで死者が拡大する懸念に基づいたものです。

中国政府が公表している数字をいったん信じるとして、中国国内の感染者数及び死亡者数から致死率を計算すると約2.2%ということになります。それが、どれほど危険な事態なのか、何故人々のリスク感覚がそれほど過敏になるのかについて考える際の参考となる数字をいくつかあげましょう。

厚生労働省が発表している『人口動態統計』によれば、日本では、毎シーズン、インフルエンザの流行で1000人から年によっては3000人以上の死者が報告されています。また、死因別の死者数では把握しきれないインフルエンザの流行による死者を推計する超過死亡率という概念を導入すると、インフルエンザの年間死亡者数は世界で約25~50万人、日本では約1万人です。

WHOによれば、数字の正確性は国内の統計よりは劣るものの、マラリアでは毎年40万人以上、結核エイズでも毎年100万人以上が亡くなっています。もっと言えば、日本では毎年、交通事故でも3,000人以上が亡くなっています。

何が言いたいかというと、非日常的なリスクは過大に見積もられがちであるということです。私たちは、インフルエンザによるリスクを既に織り込んで生活しているということであり、普通に言えば慣れてしまっているということです。

また、リスクが自分事化するかどうかも感じ方に大きな変化をもたらします。マラリアの犠牲者は熱帯の途上国に集中していますから、日本ではそれほどリスクを感じないわけです。同様に、今年、オーストラリアの森林火災では10万㎢以上が被害にあったと報告されています。実に、日本の面積の1/4以上、北海道よりも広い地域です。死者は既に30人以上が報告されています。もちろん、ニュースにはなっていますが、コロナウイルス程の危機感をもっては受け止められていません。環境の観点からは史上最悪の部類の被害であるにも関わらず、オーストラリアの山火事が日本まで延焼することはないから、ではないでしょうか。しかし、現在日本では報道されていないだけで、野生動物や家畜の焼死した死骸を片付けられず放置していることで疫病が広がる懸念がすでにオーストラリアでは盛んに論じられており、日本も輸入している乳製品や食肉などが汚染される危険はあるのです。

リスクというものについて、人間が必ずしも合理的ではない反応をするということは、ある意味では自明です。潜在的なリスクに対応するためにとられたはずの対策が、かえって大きな被害を顕在化することも良くあります。東日本大震災の際に、放射能に関連する被害から逃れるために、重症患者を無理に移動させ、そのうちの少なくない割合の患者を死亡させてしまった例が、その典型です。もちろん、患者のリスク以外にも医療従事者のリスク等を勘案しなければならないケースではあるでしょうが、要は、人間にとって様々なリスクを公平に判断することがいかに難しいかということです。

国際政治研究では、戦争に至る原因の一つに人々の恐怖があるということが掘り下げられてきました。結論から言うと、今回のコロナウイルスをめぐる反応をめぐっては、人びと「チャイナリスク」が過剰に見積りがちであるということは否めないと思っています。

自己成就的なリスクを克服するには・・・

冷戦を複雑にしたのは人々の共産主義に対する恐怖でした。その恐怖は、多くの場合、西側陣営側のプロパガンダによって意図的に作り上げられたものでした。もちろん、共産主義には真正な恐怖に値する悲惨な歴史があったし、西側社会にはおめでたい共産主義シンパがいたことも事実です。とは言え、一歩引いて冷静になれば米国の赤狩りが過剰であったように行き過ぎの悲劇も生んだと評価せざるを得ないでしょう。

日本やフィリピンなど、中国の周辺国では既に顕在化しているチャイナリスクが、米中の貿易をめぐる対立によって全世界的にも顕在化したというのがここ2~3年の変化でしょう。リスクの感覚は、容易に恐怖へと変異します。

もちろん、中国自身は、ウイルス発生の初動において隠蔽を疑わざるを得ないような対応をし、現在も厳しい情報統制を敷いています。また、保健衛生と人道に関する機関であるWHOへの台湾の加盟を阻止し、今回のような緊急事態にもおいて台湾の総会参加を拒んでいます。率直に言って、最低な対応と言わざるを得ないでしょう。

ただ、仮に中国が信用ならないアクターであるとしても、私たち自身がリスク評価を歪めてしまうのは適切ではありません。社会のレベルで、自己成就的なリスクを予防するには、報道の自由言論の自由を何よりも重視して、国民の知る権利を確保することです。その上で、報道に携わる者は、いたずらにセンセーショナリズムに頼る選択肢は排除するべきだし、日常から専門家の意見を尊重する風土を育むことも重要でしょう。

国民の知る権利と、そこに奉仕するプロ達との関係は、社会における信頼の源泉であり、正しいリスク認識に至る土台です。中国のインターネット社会では、政府の介入と統制にも関わらず、外部の人間からすると驚くほど稚拙なデマが拡散しがちです。政府や社会への信用が低い当然の結果と言えるでしょう。

パンデミックの発生のように社会的な緊張が高まり、リスクを正しく認識する必要があるとき、私たちは冷静に、数字と感情の双方に洞察をもつことが必要です。当たり前の結論ではあるのだけれど、リスクに対する最大の自己防衛は、マスク、うがい、手洗いではなくて、専門的知見をよく知り、自分の頭で考えることです。

(*2020年1月29日配信公式メールマガジン、三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」より抜粋し、1月31日付の情報を加えて編集しました。)

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