山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

朝鮮半島をめぐるグレートゲーム

ピョンチャン五輪

ピョンチャン五輪が開幕しました。4年に1度の機会を目指して真摯に競い合う選手達の存在の裏で、朝鮮半島をめぐる政治戦が盛り上がっています。それは、かつて帝国主義の時代に、大国達が様々な思惑で特定の地域に関与したグレートゲームを彷彿とさせるもの。舞台の中心で踊っているのは、五輪のホスト役でもある韓国の文在寅大統領です。

まずはピョンチャン五輪を通じて南北融和ムードを盛り上げるために、国際社会が強めている北への圧力をあっさりと弱めました。それは、韓国政界における進歩派勢力の従来からの考え方であり、融和姿勢を通じて北朝鮮の行動変革を促すという太陽政策へ回帰する流れです。実質的に何の譲歩もせずに五輪参加と費用負担の果実を得た北朝鮮は、金正恩の妹を派遣し、正式に文大統領を平壌に招待することで答えました。恒例の美女応援団を派遣し、統一旗の下での行進や共同のアイスホッケーチームの組成など、民族融和の演出も例のごとく巧みです。

日本を含む国際社会の報道は、北朝鮮の見え透いた平和攻勢に対して、どうして韓国はそんなに安易に引っかかってしまうのだろうという論調ですが、それが同一民族ということの内実でもあるでしょう。「同一民族」というアイデンティティーの下地があるからこそ、美女応援団にコロッといってしまう。とりあえず、目先の融和ムードを楽しみたい、北朝鮮の行動を善意に解釈したい、厳しい選択肢と直面したくない、人間的な感情の結果なのです。

五輪開会式前日に平壌で行われた軍事パレードは、半島有事の際に、「ソウルを落とす」ために必要な兵器体系を意識したものでした。ですから、北朝鮮の政策は何も変わっていません。微笑外交のテーブルの下では、強烈な蹴りを入れているわけです。蹴りを入れながら、微笑することで時間を買っているのです。

韓国に集った世界の指導者達も独自の動きを見せています。米国のペンス副大統領は、韓国とのレセプションを早期に切り上げたといいます。それが、トランプ政権の外交的な意思の表れであったかどうかは不明ですが、ペンス氏が代表する共和党保守派の雰囲気を示すものではあるでしょう。米国は、南北対話を歓迎するとする裏で、北朝鮮の非核化やミサイル開発の凍結については強烈にクギを指しているはずです。五輪閉幕後には、韓国の強い希望で先送りされた米韓軍事演習が控えています。

米国の韓国政府に対する苛立ちは、文政権という進歩派政権の特質によって多くを説明できます。現場レベルでは、米韓両軍は一体で運用されており、実務的には安定的に協力関係が維持されています。万が一、現場レベルでも、韓国の融和姿勢が前面に出るようなことがあれば、韓国政権に対する不信ではなく、韓国への不信となるでしょう。

その種の展開を作り出そうと工作を続けているのが、中国です。中国にとって最悪のシナリオは、朝鮮半島危機が米韓優位で解決され、親米的な統一朝鮮と対峙すること。そのシナリオを回避すべく、米韓同盟、日米韓協力に楔を打ち込もうと手を打ってきています。中韓の間で合意された三不政策では、米国のミサイル同盟に参加しないことや、日米韓協力を軍事同盟に発展させないことが謳われています。

中国は、今後とも、北朝鮮をコントロールできるのは自分だけという神話を利用して韓国への影響力を強めていくことでしょう。彼らが最終的に狙っているのは、朝鮮半島の非核化とともに、その中立化でしょう。戦わずして、米軍を半島から駆逐すること。米国が喜んで帰っていくようなシナリオを作り出そうとしているのです。

NPR見直し

そんな中、2月初旬には、2010年以来初の米国防総省によるNPR(核態勢の見直し)が公表されました。小型の新型核戦力への投資を強化し、サイバー攻撃を含む多様な攻撃に対して、核の先制使用をためらわないとするものです。本件は、日本では核廃絶論との対比でしか語られない傾向にあります。しかし、核廃絶論を持ち出さなくとも、日本政府のNPR歓迎の動きには疑問が残る部分があります。日本政府がNPRを歓迎しているのは、北朝鮮に対する抑止の強化の観点からですが、実際には、国際秩序ならびに日本の安全保障に対する多くの意味合いを含むものだからです。

まず、同報告書に対する世界的な見方は、ロシアがふたたび脅威として浮上していることへの対応策であるというもの。ロシアが積極的に開発を進めてきた小型の新型核兵器に対して戦力をバランスさせることで、ロシアの新たな核戦力を無意味化しようとするものです。ちなみに、同報告書は、オバマ大統領が新戦略兵器削減条約(新START)の批准と引き換えに承認した核兵器の現代化計画を大筋継承するものです。米議会予算局の見積もりに従えば、この現代化計画には約1.2兆ドル(≒130兆円)という途方もない金額がかかるとのこと。

旧条約のSTART1では戦略核弾頭が6000発と定められていたのに対し、新START条約では作戦に配備する戦略核弾頭が1550発と定められました。しかし、戦術核兵器の弾頭数は、数量制限がかかりませんでした。一見、この条約は大きく核兵器削減に向けて舵を切ったかに見えましたが、実際には老朽化した戦略核を米露がバランスを維持しながら対等に減らしつつ、更新の費用を節約し、他方で小型核にお金をつぎ込もうというものだったわけです。「核なき世界」の内実は当初からそういうものだったということです。

もう一つ重要な視点は、同報告書が米国のケネディー政権以来の柔軟反応戦略を彷彿とさせるものであるということです。通常兵力での攻撃に核兵器で報復するというのは、冷戦期の米国が欧州では通常戦力でソ連に後れを取っていたことに起因する戦略でした。西側は、核兵器をもってしかソ連の重戦車部隊による侵攻を抑止できなかったわけです。今また、柔軟反応戦略に回帰するということは、米国自身が中露の戦術核の開発により、戦術レベルでの圧倒的優位に陰りがあることを意識しているからでしょう。いままでは、戦術レベルと言えば、核を使わない通常戦力との意味合いだったのですが、中露の小型核の開発により、敵国の人民を大量虐殺するような戦略核を使わずとも、核兵器による戦術レベルでの武力行使が射程に入ってきたからです。

1.2兆ドルの支出をためらわない背景には、中露との戦力バランスを見据え、新型の戦術核および運搬手段の開発に乗り出したい核専門家や軍需産業の意見と同時に、通常戦力の優位を維持するために軍人や基地の前方展開を継続することに疲れた米国政治のジェネラリストの意見が色濃く反映されているわけです。核廃絶云々の議論を持ち出す以前に、米国の戦略の変化がどのような力学と本音にもとづいているのかをしっかり見据えることが重要なわけです。

加えて言えば、ロシアが戦術核の開発に乗り出したのは、戦略レベルでの相互確証破壊を米国自身がミサイル防衛の開発を通じて壊しにかかったことと無縁ではありません。NATOが東方に拡大したこともロシアの恐怖心を煽る重要な要素でした。つまり、戦略レベルでの軍拡が、戦術レベルに波及したというのが現状の理解なわけです。

スリーパー・セルの危険

北朝鮮情勢をめぐっては思惑含みの情報が数多く飛び交います。米軍の先制攻撃が近いという議論は、2017年春頃に盛り上がり、その後は2018年年頭ということも随分と囁かれました。私は、北朝鮮による暴発の可能性は読み切れないが、米国による先制攻撃の可能性は低いと申し上げてきました。米国は、絶対に武力行使の可能性を否定はしませんから、先制攻撃も100%ないとは言いきれませんが、その可能性は限りなく小さいと思っています。

最大の理由は、単純に犠牲があまりに大きいからです。米軍の被害、北朝鮮による報復が予想される韓国や日本における米国民間人の被害、そして、同盟国である日韓の犠牲です。犠牲の規模については様々な数字が飛び交っていますが、戦争が通常戦に留まり、主にソウル近辺で戦われたとしても、1日2万人程度の犠牲が見込まれるとされています。そして、核戦争となった場合には開戦初日に100万人単位の犠牲を想定し得るというのです。

一部の安全保障専門家には、米軍の兵器体系を開戦と同時に集中的に投下することで、こちら側の犠牲は極小化し得るという発想もあるようです。北朝鮮の、目も耳も手足も瞬間的に破壊することによって反撃のリスクを抑えられると。私は、それでも北朝鮮が隠し持つとされる50-60発の核弾頭と200発を超える短/中距離ミサイルの全てを破壊することは、常識的に言って不可能と思っていますので、この種の見方には立ちません。

また、安保専門家の間で危機感をもって語られるのがスリーパー・セルの存在です。スリーパー・セルとは、文字通り有事が起きるまでは眠っていて、相手国の民間社会に浸透して暮らしている敵性エージェントのことです。これらが、例えば、金正恩氏が殺されたとの報に接したならば、あらゆる外部との連絡を絶ってテロ行動を開始せよと指令されているということです。ターゲット候補となるのは、空港・駅・橋・港湾施設などの交通インフラ、発電所や変電所などの電力インフラ、通信施設やデータセンターなどの通信インフラでしょう。あるいは球場やコンサート場、東京銀座や大阪梅田や福岡天神などの日本を代表する繁華街となるでしょう。

実は、2月11日(日)放送のワイドナショーにおいて、スリーパー・セルの存在について発言したところ、ネット上で大きな反応を頂きました。具体的には、

「実際に戦争がはじまったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されてもスリーパー・セルと言われて、指導者が殺されたのがわかったらもう一切外部との連絡を絶って都市で動き始める(中略)テロリスト分子がいるわけです。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも、今結構大阪ヤバいと言われていて・・・。(中略)というのはいざという時に最後のバックアッププランですよ。でそうしたら、首都攻撃するよりは、正直、他の大都市が狙われる可能性もある」との発言をしました。

正直、このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能です。私自身、政治家や官僚との勉強会や、非公表と前提とする有識者との会合から得ている情報もあるので、すべての情報源を明らかにすることはできませんが、本件は、専門家の間では一般的な認識であり、初めてメディアで語られたことですらありません。

国民にとって重要なことですので、どのような状況か、公開情報となっているものを紹介していきましょう。

まず、下記(韓国の情報源に基づく英国の記事)では、北朝鮮から、ラジオを使って暗号が流されたことを報道しています。記事を通じて、スリーパー・セルの存在や、連絡手段のあり方が明らかになっている他、スリーパー・セルは、「各国にいる」とも表現されています。日本は、韓国に次いで北朝鮮にとっての重要な工作先ですから、日本にも存在すると想定することは当然でしょう。

また、日本でも読売新聞が、大阪府朝鮮総連傘下の商工会の人間が1980年の拉致事件に関わっていたということを過去に報道していますから、その当時大阪にテロ組織があったことはわかります。

当然、この状況は日本の治安組織もつかんでおり、平成元年には、当時の警察白書において、「我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的環境から、共産圏諸国であるソ連北朝鮮等によるものが多く、また、我が国を場とした第三国に対するスパイ活動も、ますます巧妙、活発に展開されている。」と断言しています。

直近の平成二十九年版の警察白書では、北朝鮮をめぐる拉致問題をはじめとするテロ活動について、「諸情報を分析すると、拉致の主要な目的は、北朝鮮工作員が日本人のごとく 振る舞うことができるようにするための教育を行わせることや、北朝鮮工作員が日本に潜入し て、拉致した者になりすまして活動できるようにすることなどであるとみられる。」としています。

秘密工作という分野は、公開情報を基に行われる研究者の間では扱いにくいテーマです。スリーパー・セルについて扱ったものではありませんが、北朝鮮に対する制裁の専門家である古川勝久著の『北朝鮮核の資金源』新潮社においては、日本に贅沢品や軍需品を密輸する会社があることを詳細に綴っていらっしゃいます。ただ、これだけでも北朝鮮の工作が日本国内において日常的に行われていることはわかるでしょう。

安全保障を議論するということ

安全保障は確率論の世界です。国の安全には100%ということはあり得ないからです。専門家は、リスクの可能性を1%でも減らし、危険に対する対応力を1%でも増やすために日々努力しているのです。そのような安全保障の営みを可能とさせるためには、専門家に対してあらゆる事態について想定し、テーブルに乗せる裁量を与えなければなりません。ミサイル防衛についても、原発警護についても、100%安全ということはありません。国民には、どうして安全と言えるのかと問い続ける権利も義務もあるのです。

同様に、スリーパー・セルが日本に存在することとも、向き合わないといけないのです。テロリストがいると思えば、当然テロ捜査をしなければいけないわけで、その過程を通じて、テロリストがいない社会よりも人権保護に関する懸念が生じうることは確かでしょう。だからこそ、安全だけでなく人権保護の観点をバランスさせながら重視していく必要があります。安全の確保は人権との緊張関係を一切孕まないと言ってしまえば、それは嘘をつくことになりますし、いざ有事には反動として極端な人権侵害が行われるはずです。人権保護と緊張関係があるからと言って、国家の安全にとって重要なリスクを国民に見える形で議論することを躊躇すべきとは思いません。

考えてみれば、これもまた、安全保障を法解釈でしか語れなかった結果として、この国に根付いてしまった悪癖かもしれません。安全保障は、事実と、リスクと、確率と向き合う営みです。それは、本来は、誤魔化しの言葉遊びとは関係のないもの。「専守防衛」の内実や、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の差分を云々していても、日本は1ミリも安全にはなりません。今の日本にとって不可欠なのは、安全保障の世界から誤魔化しと建前の議論を放逐することではないでしょうか。

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