安保法制ーー何が選択されたのか
安保法案が参議院で可決され、成立しました。戦後の安全保障政策にとって大きな転換の日であり、日本政治全体にとって大きな転換の日であったのだと思います。国会内で見られた歌舞伎的な物理的抵抗も、国会外で繰り広げられた現代日本にしては粘り強いデモの存在も、今日という日が歴史に記憶されることを示唆しています。ただ、何故に記憶されるに値するのかということについて、コンセンサスはありません。それは、我々が何を選択したのかを問うことだからです。私は大きく三つのことがあるのではないかと思っています。
安保論議の作法の変化
安保法制の議論の中でもっとも盛り上がったのは憲法論でした。国会において憲法学者が違憲との陳述を行って以降、潮目が変わりました。安全保障論議として始まった議論は、法律論に傾斜していきました。
私は、安保論議を法律論に押し込めて語ることで、問題の本質が見失われてしまうと思っています。戦後日本のこの種の伝統に対しては、これまでも懐疑的な意見を申し上げてきましたし、今回もそうした展開となってしまったことを残念に思っています。
これまでの内閣は、集団的自衛権について「有しているけれども行使できない」と言ってきたわけです。この主張自体の妥当性についてはいろいろあるでしょうが、その解釈に政治的重要性が付与されてきたことは事実ですから、「解釈改憲」には一定の筋の悪さが付きまとっています。
ここまでは、皆さんが仰っていることので、改めて繰り返すまでもないでしょう。今回の安保法制をめぐる議論が画期であったのはここからの部分です。政権は、安保法制を違憲と断じる意見と正面から向き合いませんでした。政権が主張したのは、安全保障環境の変化でした。
だからこそ、最後まで議論はかみ合いませんでした。おそらく、戦後の安保論議の中で初めて、憲法論や法律論における懸念を正面から取り上げずに安全保障環境の認識で対抗したのです。これまでの、安保論議の「作法」を知る者からすれば、政権の姿勢は開き直っているように見えたでしょう。これまでの基準に照らせば、政権の答弁も稚拙であると言わざる得ないものでした。
憲法論議に関する限り、戦後の安全保障論そのものがごまかしに立脚しています。普通の日本語の読解能力をもって憲法を読んだならば、自衛隊は違憲に映るでしょう。戦後積み上げられた憲法解釈は、平和主義の精神と、現実との折り合いをつけるための試みでした。それは、抑制的な「必要最小限度」の戦力とは何かを確定する作業であり、意義のあることではあったけれど、同時にごまかしでもあったわけです。今回の解釈改憲は、古いごまかしを新しいごまかしと入れ替えたものです。国民の多数はそれを理解している向きがあります。
立憲主義を守れ!という呼びかけが目立ったことは確かですが、それが社会の大勢の熱烈な支持を獲得するに至らなかったのは、民主主義を超えて立憲主義が持ち出されるべき状況に至っていないからでしょう。今まさに多数の暴走によって利益を侵害されようとしている少数者がこの法案では存在していません。それは今回の法案が基礎となる法律であり、発動される具体的な事案を待たなければ、その武力行使への賛否や自衛隊員の置かれた状況の極端な悪化があるという判断を下せないからです。
今回、政権は、法理上できることと政策として行う意思があることを分けて答弁しました。後方支援に際して、法理上は核兵器を運搬できるが、政策としては行う意思がないということ。ホルムズ海峡の機雷掃海も法理上は可能であるけれども、現時点では想定していないと。これまでの安保論議では考え難い答弁姿勢であり、国会戦術ですが、表面的な稚拙さの向こうにあるそもそも意図された政権の意思とは何だったでしょうか。
今回の法案が政権に安全保障政策に際してより大きな裁量を与えたことは間違いありません。今後重要となるのは、日本政府の安全保障に関する姿勢が抑制的であり続けるかということです。憲法の平和主義の精神は、細かい法理上の「歯止め」の中ではなく、政権と国民の姿勢の中において問われることになるのです。
法律論に傾斜していた安保論議の作法が変わったのです。それは、日本の安全保障論議にとって、大きな選択だったと言えるでしょう。
外交の基本戦略
安保論議を通じて、選択されたことの二つ目は、日本外交の基本戦略です。国の方向をめぐる選択であったと言ってもいいかもしれません。近代以降の日本を見ても、時代によって外交戦略の根本は揺れ動いてきました。植民地化を回避するために、主要な列強と等距離外交を志向した時期もありました。日英同盟を盾としてロシアと対抗する道を選んだ時期も、英米を中心とする国際協調を軸とする時期もありました。大陸や南洋に生存圏を確立しようとして手痛い失敗も経験しました。
戦後は、日米同盟を基盤として経済力の強化に邁進しました。冷戦が終わって、その路線を疑問視する言説が広がったときにもあったけれど、同盟は再定義され、日米関係を基盤とする路線は継続されました。
安保法制の最大の意義は、米国との同盟を強化する基盤を提供することです。東アジアのパワーバランスが変化し、米国の絶対的な地位は変化しつつあります。何より変わったのは、民主主義の帝国である米国民の意思です。集団的自衛権の行使容認は、同盟の双務性を高め、日米同盟の信頼性を高めることを狙っています。米国の指導者と国民の意識に働きかけ、自衛隊と米軍の現場における連携を強化するものです。政権が、この点を正面から語らなかったことは残念でした。
日本の外交戦略ということを意識するとき、いくつかの重要な軸が存在します。それは、孤立志向か国際主義かであり、反米か親米かであり、中国をどの程度の脅威と見るかであり、東アジアの階層秩序をどの程度受け入れるか、などの諸点です。外交にも多岐にわたる分野がありますから、これらは安全保障の観点から重要な軸です。
日本政治においても、国民の意識の中にも孤立主義か国際主義かの根強い相克があります。島国の伝統は、素朴な感覚としての孤立主義を醸成します。その最たるものが、憲法9条があるから日本は平和だという姿勢だったのではないでしょうか。国際社会の厳しい現実とそこに渦巻く疑念と欺瞞を前に、日本だけは清く正しく生きていくべきという倫理主義です。これはリベラルの専売特許ではなく、保守陣営の中でも根強い感覚です。素朴な孤立主義に対して、国際主義を担ってきたのは外交のプロ達であり、経済のエリート達でした。そんな中、安倍政権は民主的な基盤が強固とは言い難い国際主義を明確に掲げています。その意味では特徴的な政権と言えるでしょう。
反米か親米かという感覚は、長らく日本政治を分断してきました。そこでは、米国との実務的な協力関係をどこまで強化するということだけではなく、心情の問題が重要です。この相克は、特に保守陣営内において深刻です。日本の安全保障と、経済政策に関する限り、反米的な政策の選択肢は現実的には存在しません。しかし、心情の問題はまた別です。保守陣営の一部には、ゼノフォビア(=外国人恐怖症)の感情が根強く、歴史認識や自由貿易の論点で明確に反米です。安倍政権が明確に親米路線を採用しながら、安保法制においてそれを前面に出さないのは、支持者の中に存在するこのような空気を察してのことでしょう。
中国をどの程度の脅威と見るか、あるいは、東アジアの階層秩序をどの程度受け入れるかという点は、今後の日本外交を規定する上で重要性が増してくる論点です。中国の軍事力の拡大と好戦的な政策は東アジアの平和と安定に対する大きな不安定要素です。安保法制をめぐる議論においても、その事実と正面から向き合うかどうかで各党の姿勢が大きく分かれました。安倍政権に対する嫌悪感を前面に出す勢力は、どうしても中国の脅威を過小評価してしまいます。冷戦時代のソ連の脅威と比較して、中国の脅威はいかほどのものかと。
東アジアには、欧米世界に見られるような主権平等の伝統が希薄です。中華秩序が長く存在した結果であり、米国の存在を介して各国が関係性を確立したという側面があるからでしょうか。東アジアの大国として台頭しつつある中国は、リップサービスで言う主権平等の原則を本心では信じていません。中国の指導者による、中国は大国であり周辺の小国とは違うのだという趣旨の発言は、外交的に賢い物言いではないけれど、紛れもない彼らの本音です。そして、東アジアの中小国にも中国を頂点とする階層秩序を受け入れつつ、自分たちの生存圏を模索するという姿勢があります。中国の地続きのベトナムや韓国には、特にこの姿勢が顕著です。
安倍政権は、安保法制の整備を通じて、国際主義、親米の路線とともに、中国の脅威を深刻に受け止め、東アジアの階層秩序を拒否する姿勢を選択したわけです。
一つの完成へと達した日本政治の変化
安保論議を通じて、選択されたことの第三は日本政治そのものの変化と言ってもいいかもしれません。その変化の多くは、過去の選択の結果なのだけれど、今般の安保法制をめぐって一つの前例として日本政治の標準となっていくことでしょう。それは55年体制的な議会運営の終焉であり、自民党の普通の政党化であり、対決型の民主政治の定着ということです。
対決型の民主政治が、今回初めて姿を現したわけではありません。それは、過去25年の政治改革の成果であり、政権交代の時代を通じて徐々に確立してきたものです。この間、多くの制度的な変更があり、運用上の事例が積み上げられてきました。
中でも、小選挙区制の導入が最も根本的な変化だったと言えるでしょう。複数の自民党議員が中選挙区制の中で並び立ち、政策の違いではなく派閥と利権をめぐって争った時代から、与野党がイデオロギーをめぐって争う時代となりました。省庁再編を通じて官邸への権力集中が進み、自民党内の派閥も無害化されて執行部の権力が確立されました。ねじれ国会の混乱と、政権のたらいまわしの経験を経て、国民自身が強い政権、強いリーダーの登場を待望したのです。
安倍政権が体現しているのは、これまでの政治改革が意図した結果であり、過去3回の国政選挙の結果を受けたものです。安保法制への賛否の中には、安倍政権への好悪感情に基づいている部分が大きいようですが、安保法制の審議を通じてその信頼感がさらに低下していったように思えます。
だからと言って中選挙区時代を懐かしむ一種のノスタルジーに浸るのは間違いです。その当時、国民は総理大臣を選ぶこさえできず、派閥の力学と、金権政治と、官僚の支配が日本の行く末を決めていたのです。自民党には幅広い意見があったかもしれないけれど、それは政権交代の緊張感を有さない疑似民主主義の政治だったのですから。
日本政治のこの新しい現実にもっともうまく対応しているのが安倍自民党です。選挙ではもっとも関心の高く、自分たちが強みを有する争点を掲げる。有権者の過半を取りに行くことを目的とした立ち位置を採用する。党内の規律を保ち、野党が一体化することを防ぐための手を打つ。政権の動きにはある種の老練さがあるけれど、考えてみれば、新しいルールに的確に対応しているだけということもできるでしょう。
むしろ、野党はどうして新しいルールに対応した戦略をとらないのか、ということこそ、問われるべきでしょう。野党第一党の民主党は、憲法論を中心に自民党との対立軸を作ろうとしました。岡田代表は、安保法制成立を受け、次の選挙を通じて「集団的自衛権の部分は白紙に戻したい」とコメントしました。これは、岡田民主党の信念なのだろうけれど、以後、政権交代しないことと外交・安全保障政策の一貫性がリンクされることになったわけです。民主党の戦略としてそれが正しかったのかどうか、今後明らかとなっていくでしょう。
野党第二党の維新は、民主党へ合流する勢力と、国内改革の原点に立ち戻る勢力へと分岐していくでしょう。維新の掲げる国内改革の多くは、既得権に支持される自民党が取り組めないものです。付け焼刃の外交論議は脇に置いて、国内改革に全エネルギーを集中することで国民の期待感も高まっていくのではないでしょうか。
何が選択されたのか
安保法制の採決は歴史的なことです。これまでの安倍政権の下での一つの到達点と言えるでしょう。それは同時に、多くのことを選択した結果でもあります。あるものは明確な選択であり、あるものは事実上の選択であり、またあるものは過去の選択が体現されたものです。本日取り上げた、安保論議の変化、外交戦略の変化、日本政治の変化に共通している意味合いは、日本の民主主義の責任が重くなるということです。
安保法制の成立を受けて、国民は大きく分断されました。与党の側にも勝利のファンファーレは鳴り響いていないでしょう。今日という日は、重い責任を抱え込んだ日本の民主主義にとって、厳粛な日なのです。