安保法制(6)―安保法制の政治的意味合い
政権基盤への影響
安保法制をめぐる議論の政治性が高まっています。安倍政権の支持率が低下する中で、安保法制をきっかけとする政局論を展開する識者も出てきました。総裁選を控える自民党内での発言や、総理の祖父である岸信介元総理が安保改定と刺し違えて退陣したことも念頭においているようです。
しかし、私はこのような見方に対して懐疑的です。議席数で他を圧倒する政権にとっての本質的な脅威は、与党内、特に自民党内の離反ですが、そこでは、安保法制をめぐる議論が与野党の泥試合となり、古い対立に新しいエネルギーが注がれたことで、むしろ求心力が高まっているようにさえ見えるからです。小泉進次郎氏の発言も、石破茂氏の発言も、政権にダメージを与えることを意図して発されているのではなく、支持者向けであることは明らかです。
穿った見方をすれば、そのような抑制的発言は単なる観測気球であるか、ガス抜きの意味しかないでしょう。つまりは、本音を開陳することでメディアの注目を集める議員の存在はオーケストラの中のパーカッションのようなもので、本筋に影響を与えるものではありません。
もちろん、低支持率が持続するようなことがあれば、自民党内もざわついてくるかもしれません。国会で与党推薦の参考人が違憲との陳述をしたときには、一瞬、凍りついた空気が流れました。あのあと一週間は、有識者の多くも「時間よとまれ」というふうな状況にあった気がします。政権としては、様々な浮揚策を準備していることでしょう。国立競技場の問題もそうでしょうし、70年談話、沖縄、北方領土、拉致被害者調査の問題など国民の関心の高い懸案が続いています。中でも、最大の懸案は景気動向であり、消費税増税へと向かう経済運営となるはずです。
政権基盤への影響を考える際には、近年の日本政治をめぐる構造を理解する必要があります。選挙制度のあり方や、一票の格差、政党のイデオロギー的配置を前提とすると、日本政治の方向を決する有権者の約7割はハードコアからマイルドまで、保守的な嗜好を持っています。政権からすれば、この保守系の票が真っ二つに割れるようでなければ本質的脅威とは見なされません。その意味から、国民の理解が不足している現状に対して、総理が積極的にメディアに登場して説明する姿勢をとっているのはこの7割の保守基盤を固めているのであって決して反対勢力を味方につけることを意図したものではないでしょう。
そのような事態が想定されるのは、保守的な対案をもった一枚岩の野党が現れるときです。世論調査を見る限り、法案に対する国民の不満が高まっているのは事実でしょうが、このような構造をひっくり返すものでない限り、政権には脅威とはなり得ないのです。
では、自民党以外の勢力はどのようにこの安保をめぐる問題に取り組んできているでしょうか。
それぞれの妥協と苦渋と
与党公明党は、連立政権の中にあって何とか存在感を示そうと必死です。それは、主にパーセプションの世界の話ではあるけれど、平和の党としてのブランドを守るための難しい判断があったのだろうと推察します。公明党の判断に対して、支持組織の現場からあからさまな批判が表明されています。通常の公明党の感覚からすれば、看過し得ない醜態なのだろうけれど、それでも必要な判断を下した重みは感じられます。
民主党は、安保法制に対して反対を貫くという決断をしました。特に、国会で参考人による違憲との陳述がなされて以後は、入口の憲法論と法律論に傾斜して勝負をかけました。党内に路線対立を抱える中、対案路線もありえたのだろうけれど、そこは旧社会党的DNAに立ち戻って、ある種、戦後日本的に筋を通したのでしょう。徴兵制論を持ち出して懸念をあおるやり方も、女性を中心にある程度の効果は挙げています。
ところが法案への反対が高まり、政権への反対が高まる中でも、民主党への支持がそれほど高まっているようには見えません。政権担当能力を疑われ、日本政治において二大政党制が存続するかどうかの瀬戸際にあると思うのだけれど、民主党が抱える葛藤と覚悟が見えにくいということがあるのでしょうか。前回の代表戦で細野氏を擁立した保守派の独自な動きも、前述の7割の保守的有権者を二分するところまで想定しているようにはとても思えません。
維新は、哲学としての対話路線と、国会の中で存在感を発揮するために採用すべき戦術の間で揺れています。橋下大阪市長が体現する自助自立の発想に基づいた分権改革と、みんなの党以来の小さな政府を志向する経済政策から来る「維新という政治運動」の求心力は、先の大阪都構想をめぐる住民投票の否決によっていったん頓挫しました。
そんな中、次なる政治的な旗として着目されたのがナショナリズムだったように思います。維新の対案は、集団的自衛権を認めない代わりに個別的自衛権を拡張的に解釈するものです。そこには、戦後日本の政治的な自画像を守りながら、保守的な有権者の支持も獲得したいという政治的誘因があるのでしょう。維新のような新しい政党の中にさえ、戦後的なるものが息づいているのはちょっとした驚きを覚えます。
戦後日本の自画像をめぐる戦い
さて、誤解を恐れずにいえば、安保法制が政治性を帯びているのは政策変更の重大性故ではありません。政治的対立が高まっているのは、それが、戦後日本の自画像をめぐる闘いだからです。集団的自衛権の行使は、それをどう呼ぶかは別にして朝鮮半島危機を想定した周辺事態法において、既に事実上認められています。
今般の安保法制のポイントは、日本の存立が脅かされる場合という限定はつけながらも、集団的自衛権の行使を正面から認めようとしていることです。「保有しているけれど行使できず」としてきた、政府の憲法解釈を変更するものであり、戦後日本に存在してきた重要な政治的合意を覆すものです。
この、政治的合意には強い政治的感情が宿されてきました。私自身、改めて政治というものが持っている威力を感じています。政治的立場が、家族や友人や職場における人間関係に波及し、社会が全体として政治性を帯びていくという感覚です。それは、政治的な動物であるところの人間が、しばしば、信念によってではなく「敵」によって自らを定義してしまうという現象です。その方の識見を知っている者として、どうして?と思うことがそこかしこで起きる。日頃は、対立を覆い隠すことに長けている日本社会であるからこそ、対立の存在にはっとさせられます。
私は、世代として60年安保を知りませんが、現在の状況は、当時を生きた世代がくぐった感覚につながるのかもしれません。60年安保の時には、日米同盟を前提としてその双務性を高めたいという側と、憲法の理想に沿って非同盟中立を志向する側の対立がありました。そこには、同時に、戦後の日本社会を形作る様々な政治的象徴性が宿されていたのです。
それは、戦前・戦中から連続性を持っていた指導層に対する戦後派の異議申し立てでした。いまだ特権的雰囲気を持った学生達が田舎出身の若い警察官を小馬鹿にするという大衆化前夜の日本社会の時代性も宿していました。平和憲法を戴きながら自衛隊を増強する政府を攻めるデモ隊の熱気は、岸内閣の退陣をもって頂点に達します。奇妙だったのは、後継内閣が低姿勢をとり、空前絶後の高度経済成長のエンジンが回り始めたことで、成功した社会運動が急速に萎んでいったことでした。
戦後日本のごまかしの象徴であった日米安保体制は、国民から支持を集めて定着し、官僚的に高度化されていきます。安全保障の根幹を日米同盟に依存しつつ、そのことにはなるべく触れずに、平和にための諸制限を自らに課していく戦後日本の自画像が完成したのでした。
実を捨てて名をとった自民党
安保法制を推進する保守的な政治勢力には、戦後長きにわたって日陰に追いやられてきたという感覚があります。戦後の日本社会は、自らの自画像を守るためにそこからの逸脱に対して厳しく対処してきました。戦前的なるものの排除の中で、世界規模では常識的と認識されている、現実的な安全保障政策までもが排除の対象とされました。そのような主張を展開する者は、踏絵を迫られ、社会的に排除されてきたのです。
冷戦が終わり、長い不況に苦しみ、政権交代とその挫折を経て、政権を奪還した自民党で権力の中枢に身を置いたのは、そのような体験を共有する勢力でした。3年前の自民党の総裁選において決選投票に進んだ安倍総理も石破大臣も、そのような政治勢力を象徴するリーダーです。厳しさを増す国際環境の変化も、彼らが志向する政策変更を正当化するものでした。それに対して、国民も継続して高い支持を与えました。
自民党の一部には、リベラル勢力に対して「倍返し」したいという誘因が燻っています。かつての自民党であれば日の目を見ることは無かっただろうと思われる方も、出張っています。それでも、自民党は戦後政治の伝統にのっとり、抑制的な案を出してきたと思います。安保法制のきっかけとなった安保法制懇の提言を踏まえれば、もっと踏み込んだ政策変更も想定されたはずです。しかし、実際の政府案は、いわゆる新3要件を通じて殆ど使うことが想定し得ないものとなりました。
「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合とは、ほぼ確実に個別的自衛権の発動が許容される事態です。政府と自民党は、安保法制を通じて一種の政治象徴性を勝ち取ったに過ぎないのです。実を捨てて名をとったとも言えるかもしれません。
戦後日本的なるもの
こと安全保障に関する限り、私は戦後日本的なるものに相当程度懐疑的です。そこには、リベラル勢力の欺瞞があり、保守勢力の憎しみと倍返しの感情があり、左右双方に視野狭窄があります。ごまかしに立脚した憲法解釈の微細加工という方法論にそもそも限界があるとも思っています。もちろん、外交や安全保障の世界には一定程度の建前や偽善がつきものです。それを許容することは、成熟の一つの形ではあります。たちが悪いのは、欺瞞の中でも、自己欺瞞であり、欺瞞であることさえ忘れてしまうことです。
同時に、戦後日本的なるものは我々の血肉となり、現代の社会を支えています。活力ある経済も、男女の平等も、教育や福祉の充実も戦後日本の成果です。安保法制をめぐる活発な議論も、戦後リベラリズムが築き上げた言論の自由という台座の上ではじめて可能となったものです。
政治の世界において、戦後的なるものの中には、いくつかのタブーを除き、ある種の寛容性がありました。それは、自民党という政権政党の中に存在したことで特に意義深いものでした。選良を見抜く良識というものもありました。民意とは別の次元で、一種の知的な伝統として、ゴロツキやイデオローグ達は、権力の中枢から排除されてきました。
安保法制が有している政治性についてもっとも強く感じることは、現実的な安全保障政策と戦前的なるものは同一視されるべきではないということです。この点については、浅薄なレッテル貼りを行う左派勢力とも、不届きな発言を行う右派勢力とも一線を画する必要があります。
安保法制は、政治的には、日本にとっては戦後日本的なるものを乗り越える一つの試練です。それは、必要な試練だと思っています。ただし、その過程で、戦後日本的なるものの成果については、いささかも揺るがせにしてはならないのです。