山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

LGBT差別や偏見の「理由は何でもよかった」のではないか

新潮45』に寄稿した杉田水脈衆議院議員LGBTをめぐる意見が話題になっています。これまで、お上目線や自己責任論で福祉行政を語る保守派の政治家はたくさんいましたが、お上にはそれなりの威厳や打ち出しの高さも必要ですから、それとは毛色がだいぶ違うなという印象です。

かつて、「弱者認識の奪い合い」というブログ記事を書いた私ですが(『日本に絶望している人のための政治入門』文春新書、2015年に収録。 http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2014/01/10/172253 http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2014/01/15/113856)、最近のこうした言動などを見るに、かつてそこで述べた通り、保守が節度を失って弱者認識の奪い合いに本格参戦した結果の影響が大きいことを感じます。

当該寄稿の内容は、すでに報道されている通りですが、大筋は婚姻やパートナーシップ制度をめぐる公的な支援を同性カップルに関しては退けようとする論考です。同性婚や同性パートナーの行政による制度化に保守が反対するというのは珍しい話ではありません。現に、日本では同性婚はまだ認められていません。ただし、支援を認めない理由を「生産性」がないからとしたことで、炎上が起きました。

ここで柳澤伯夫衆議院議員の「産む機械」発言による辞任を思い起こされた方は多いと思います。柳澤氏は、自民党には珍しく女性の権利に理解のある方だったといわれています。それが、女性を子供を産む機械に例え、「装置」の数から再生産される量がおのずと限られるといったアナロジーで説明してしまったために政治的に追い込まれるところとなりました。

ここでの教訓は、生物学でのヒトの行動を論じるときのように権力のある男性が「生産」「装置」という言葉を使うと、少子化がますます進んでしまいかねないということです。本来産みたいと思う人数を産まない人が多い理由はさまざまですが、それを難しくしている理由に取り組まずに、原則論を振りかざしても逆効果しか生まれないからです。また、自分の発言が相手にどう聞こえるかを日頃から意識していないと、とんでもないハレーションを生む失言につながるということがもう一つの教訓だったはずです。柳澤さんは実際に相対したら紳士な人だったかもしれない。しかし、公人たるもの、自らイメージを悪化させる発言をすることはそれこそ非生産的です。その過程で、彼のような人であったとしても、女性に対する共感の少なさ(老人に対してそういう言い方はしないわけですから)を露呈してしまったというのが事実でしょう。

では、女性が、偉い男性よりもさらに冷酷なことを言うとどうなるのか、ということを示したのが今回の寄稿における失言です。杉田氏のこれまでの問題発言に対しては、保守の側にさえ、「だから日本は人権後進国だ」ととられるであろう、国益と党益を害するような発言をなぜあえてするのか、いぶかしむ人もありました。そして今回。同性愛を厳しく禁じる風潮のあるイスラム国家でもないのに、同性愛者に対する「生産性なし」批判をあえてしたわけです。

くどくどと書くつもりはありませんが、当該寄稿のLGBT理解にはかなりの誤りが含まれています。同性愛者にも子供を持つ人はいます。むしろ、子供を育てるというのは割と多くの同性カップルが望む傾向にあります。また、LGBTにはさまざまな性的傾向があり、同性愛者だけというわけではありません。ただし、「LGBTだって子どもを育てている」と反論することにはあまり意味はない、むしろときには逆効果であると私自身は思っています。当該議員の出演動画を見ればわかるように、「正常な生き方」を守るためにあえて「外れ値の生き方」をバッシングするという行動をとっているからです。本質は、子どもを育てているかどうかではなくて、少数派の生き方や性的特徴をバッシングして二流市民化することそのものにあるからです。婚姻制度をめぐる考え方も、その一部にすぎません。

「子どもを持っていない人間が偉そうなことを言うな」と考える人に対して、「子どもを持ってるもん」と言い返すことは、子供を持てない、持たない人に対して「肩身狭く生きろ」と言ってしまうことにほかなりません。子供を産むことだけが社会貢献ではないことは明らかです。また、社会貢献はたしかにいいことですが、社会貢献できないと感じる人でも「良く生きようとする」という存在意義があるものです。

こうした同性婚バッシングの考え方には、「私の生きざま」を肯定したいという強い欲望が潜んでいます。それは、中産階級の権利意識であり、多数者であるという自信であり、その実、きわめて中途半端な実力主義でしょう。ここで示されたLGBT差別は、子供をめぐる論点だけにとどまるものではありません。同性愛者を差別する人は、その人がどんな才能を持っていようと、どんな社会貢献をしようと、差別してきたからです。

その例として、イギリスの暗号解読者アラン・チューリングがあげられます。彼は第二次世界大戦でドイツの暗号エニグマを解き、イギリスの勝利に貢献し、またコンピューターの生みの親となった人です。その伝記をもとに素晴らしい脚本に基づいて作られた映画に、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)があります。引っ張りだこの俳優、ベネディクト・カンバーバッチ主演です。ストーリーはスリリングで、天才数学者の暗号解読戦という観る者をつかんで離さない要素があるのに加えて、暗い運命というストーリーも含んでいます。チューリングは、同性間の性行為の「罪」により、訴追され、「治療」を受けて自殺したといわれているからです。素晴らしい映画なので、まだ見ていない方は是非ご覧ください。アカデミー賞では8部門にノミネートされ、ムーア氏が脚色賞を受賞しています。

これほどの国家の宝を、イギリス政府は同性愛を理由に弾圧したわけです。それもつい最近のことだったという事実に背筋が凍ります。性的傾向の異なる人に強制的にホルモン投薬を行い、才能を潰し、破滅に追い込む。当該議員がそこまで強制の衝動を持っているとするに足る根拠はありません。けれども、歴史はそのように展開してきたのです。

同性愛者が差別されてきた歴史は、「理由は何でもよかった」ということに尽きます。それはユダヤ人差別とてそうです。異質な他者に対する排除だったから。

最後に、同性婚やパートナーシップ制度に反対する言論自体は封殺されるべきとは思いません。当該寄稿の瑕疵は、婚姻制度をめぐる主張において政治的にハレーションを生むキーワードを使ってしまい、党にも自分にもダメージを与えたことと、それからLGBTに対する無知や偏見をばらまいてしまったことです。それ以上でも以下でもない。けれども、少数者を順番に叩いていくやり方は、政治家としては決してやってはいけない類の、しかし非常に効果のある戦法です。こうした戦法を振り回してしまうのは、初めに戻りますが、自分が割を食っている弱者だと思っているから。こうした人たちは、今後の活動において、「恨み」以外に活力源を見つけることができるのでしょうか。もしそうでなければ、日本の未来は非常に暗いといわざるを得ません。

*本ブログ記事は、7月25日配信のメールマガジンの「とっておき」コーナーから短縮・編集して転載したものです。

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*写真はフロリダのオーランドーのクラブ銃撃事件でなくなった被害者のポートレートを地元アーティストが描いたもの。慰霊パーティーで三浦撮影。

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