山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

弱者認識の奪い合い(2)―総理の靖国参拝に考える

 前回、総理の靖国神社参拝には、戦後長らく「弱者」の地位にとどめ置かれたと認識してきた保守層による、国内の敵に対する自己主張という側面があるのではないかと申し上げました。今回は、保守層が弱者認識を形成するに至った歴史的経緯を振り返りつつ、現状を少しでも不毛でない方向に導くために、「今後、保守派が踏んではならない轍」を提示できればと思います。

 靖国神社参拝を重要視する保守路線の源流を大雑把に振り返ると、戦後保守政治の起点となった1955年の保守合同による自由民主党の誕生時点では、保守派は民主党(当時)勢力を中心に存在し、軽武装・経済優先の吉田路線に懐疑的な姿勢を表明していました。この路線は、岸内閣が安保改定と刺し違えて退陣し、後継内閣が明確に経済優先路線をとったことによって、長らく自民党の中で非主流派としての地位を占めることになります。高度経済成長の時代を通じて自民党は拡大するパイの分配と、福祉や環境などのいわゆる左側のテーマをうまく取り込むことで国民政党化しました。また、左派政党が理念闘争を優先して本気で政権奪取を目指さなかった結果として、自民党は自らのイデオロギー上の中心線を相当程度左側に傾けることができ、国民政党として盤石の地位を得て、諸外国でもほとんど例のない自由で公正な選挙制度の下での一党優位体制を構築することに成功しました。

 保守陣営の側も、戦前の国家観につながる歴史認識の問題や、戦前の社会観につながる社会政策において保守思想を重要視する以外の一貫した政策を主張するには至りませんでした。外交や安全保障の分野では、親米なのか反米なのかはっきりせず、反中、反ソであることははっきりしつつも、それは反共産主義の思想によるものというよりは、戦前/戦中の怨恨を源流としているようでした。米国共和党や英国保守党がしばしば保守思想とパッケージで主張する「小さな政府」の主張は、今日までほとんど日本には存在しません。そうした経緯から、保守派の資本主義に対する姿勢もあいまいで、どちらかというと伝統的な価値観を壊すものとして敵対的ですらあります。福祉政策を国民の権利としてではなく、国家の慈悲として存在するものと考えた英国ビクトリア朝時代の保守派の発想に近いものなのかもしれません。多くの先進諸国にもこのような勢力は存在しますが、時代遅れの極右勢力としてキワモノ扱いされる運命にありました。欧州諸国では、移民政策と欧州統合に反対という大義名分のおかげで今日まで一定の勢力を保持していますが、移民政策も統合政策も実質的に存在しない日本では、さらにマージナルな存在だったと言ってもいいかもしれません。

 そうした中で、日本のメインストリームであったリベラル系メディアはこれまで指導者に在任中「靖国参拝しない」、「歴史認識を問う」という踏み絵をその都度迫ることで、保守派をマージナルな存在たらしめることに、一役ならず何役も買ってきました。実際、戦前の日本に回帰しないために、また戦後の清算として、それはもしかすると必要なことだったのかもしれない。ただ、それを貫いていたのが議論を通じた説得ではなく、明らかな「排除の論理」であったことは確かです。例えば、歴史認識と男女差別などの社会的価値観の変化の過程を比べてみましょう。日本国憲法において両性の平等が謳われても、実際には女性の権利は憲法制定とともに一変したのではなくて、世代交代と緩やかな意識変革によって少しずつ変わってきました。女性の取り扱いで差別をしたからといって、公共の場で吊し上げられることも職を失うこともなく、ましてや指導者が公職を失うこともなかったことを考えれば、それに引き比べ、歴史認識がいかに一部の日本人を分断するテーマであったかは明らかでしょう。

 このような状況は、しかし、過去20年の政権交代の時代になって奇妙な展開を見せます。自民党がキャッチオール型の政党から、普通の政党になる過程を辿りつつあるからです。自民党は、イデオロギー的に左右めいっぱい翼を広げてきたので、「反自民イデオロギー」という概念が成立し得ない。結果として、自民党の足をすくったのは自民党自民党たらしめていた「利権構造」でした。もちろん、反利権を貫くのも楽ではない。民主党反自民、反利権構造を掲げて政権を取りましたが、その実、労組に代表される別の利権構造を代表しており、与党となったことで利権構造に切り込むことに躊躇した。そして、そもそもの経験不足を露呈して最後には空中分解してしまう。維新やみんなの党は、一見イデオロギー的にもう少しまとまりがあるようにも見えますが、今後の野党再編議論の中ではやはり分裂含みのようです。しかし、これはキャッチオール型の自民党に対抗する上ではある意味当然のことで、日本政治が引きずっている構造といってよいでしょう。

 近年の日本政治におけるいまひとつの重要な軸は、日本のエスタブリッシュメントが長らく代表してきた功利主義との距離感ではないでしょうか。反功利主義の象徴的な瞬間は、小泉元総理が「自民党をぶっ壊す」と主張して登場した擬似政権交代のカタルシスの最中にあったように思います。小泉政権は、自民党主流派や、霞ヶ関エスタブリッシュメントとの権力闘争を勝ち抜く上で、保守思想を動員して右側に翼を広げ、成功します。特に経済政策では、「痛みに耐える」ことを肯定的に打ち出し、どちらかと言えば、痛みに敏感なはずの中低所得層にも浸透します。他方、小泉政権にとって外交政策は、政権にとっての主戦場でなかったので、保守主義の動員力は活かしつつ、現実の外交政策ではエスタブリッシュメント功利主義とうまく折り合っていました。これは、実際に進められた政策の中身や、審議会等における識者の人選を見ると一目瞭然です。

 第一次安倍政権は、小泉総理から反利権構造と保守主義の組み合わせに基づく国民の高い支持を受け継ぎつつ、結果的に挫折した。転機となったのは、郵政選挙造反組を再び自民党に迎え入れたタイミングではなかったでしょうか。政権の求心力を支えていた反利権構造という旗にケチがついてしまった。そこから先は、消えた年金問題等の問題が次々に明るみになる中で傷を深め、07年の参院選の敗北へとなだれ込みます。安倍総理個人はその言動を見る限り、真摯な保守思想の持主のようですので、自身の第一次政権で、外交的な功利主義と妥協して靖国神社に参拝しなかったことが「痛恨の極み」なのでしょう。しかし、安倍総理は、同時に現実的な政党政治家であり、政党政治の本質が妥協の積み重ねであることをよく理解している。その意味で、第二次安倍政権を取り巻いている、保守思想以外にあまり関心のなさそうな人々、小泉政権の中枢からは巧妙に遠ざけられていた人々とは違うように思います。現政権で保守主義をより前面に出すことができるのは、政治的な打算が成り立つからであって、何物でも犠牲にしてまで思想信条を追求しようとするタイプの政治家ではないということだと思います。

 第二次安倍政権の求心力は成長重視のアベノミクスと保守思想によって支えられています。アベノミクスの第三の矢の成長戦略は、本来は構造改革とほとんど同義のはずですが、その反利権構造への姿勢はよく言っても未知数です。これは、第一次安倍内閣の時点とは異なります。民主党が経験不足を露呈して挫折した結果として、現在は、反利権構造という過去10年来日本政治を規定してきたプレッシャーがそもそも弱まってしまった。総理個人にとっての政治的な主戦場が外交政策における保守主義の貫徹だとすると、その求心力を維持するために3つほど選択肢があるのではないでしょうか。

 一つ目は、現在の成長重視の路線が持続することを祈ること。日本は、金融緩和と財政政策の舵を既にめいっぱいきっている状況なので、今後やれることは限られていますので、あまり現実的な政治的な選択肢ではないはずです。二つ目は、アベノミクスの第三の矢の構造改革に思いっきり踏み込み、反利権構造の旗を掲げること。そして、三つ目は、保守思想の裾野を広げることで、国民の支持を直接獲得することです。

 反利権構造の旗を掲げることは、過去10年の日本の政治的な対立構造を踏襲し、野党から本質的な争点を奪ってしまうことです。これは、自民党が国民政党として再び一党優位体制を再確立することを目指す路線ですから、少々保守主義的な外交政策を展開しても、多くの国民は許容ないしは説得されていくはずです。小泉政権が残したいまひとつの重要な教訓は、政権が一定の求心力を失わない限り、国民はそのリーダーシップを尊重し、場合によっては政権が情熱をもって繰り広げる論理や倫理に説得される傾向があると言うことです。自民党のDNAからすれば、これが王道のはずです。

 保守思想の裾野を広げることは、靖国問題で言えば、より多くの国民が参拝を受け入れやすい状況を作り出すことです。実際、先般「言論NPO」が行った第一回日韓同時調査によれば、日本人の回答者の中で、総理の公人の立場としての参拝は約半数が認めており、私人の立場としての参拝のみ認める立場と併せれば、75%が総理の参拝を認めてよいとしています。靖国神社の象徴性は、先の大戦に代表される歴史への姿勢であり、国家への献身を大事にする姿勢でしょうから。靖国問題の重要論点の中でも、その宗教的性格やA級戦犯合祀の問題は保守主義の中でも修正が可能なテーマでしょう。現に、過去に保守陣営の中からも靖国神社宗教法人から一般法人への変更や、A級戦犯分祀という選択肢も検討されてきています。安倍政権が保守主義をもう少し広く国民に受け入れやすいものにしたいとすれば、保守陣営の原理主義者が反対しても、より多くの国民が受け入れ得る路線を取ることもあるかもしれません。

 ですが、この路線は自民党が普通の保守政党への道を歩むことです。この路線が一定期間継続すれば、やがてはよりリベラルな陣営がよりまとまって、あるいは、より説得力のある反利権政党が現れて、自民党は再び政権交代のプレッシャーに晒されるでしょう。

 さて、保守思想を広げようとすることで自民党が党としての長期的な利益を失うかどうかよりもさらに本質的な問題が、今後の日本社会全体のあり方にひそんでいます。

 世代交代とともに、国民全体に我が事としての贖罪意識が低下した後も、リベラル系メディアが「踏み絵」を迫り続けたことは、却ってリベラル系メディアの力を弱めたといえるでしょう。排除の論理は人間関係での悪口に似ています。そこまでの悪口を聞きたくない国民は、必ずしも安倍総理と同じ歴史観を有しているかどうかに関わらず支持するに至ったのです。それは、通常メディアで解釈されているように安倍政権に経済改革だけ任せつつ他の政策を監視するということではなくて、もっと積極的な姿勢としての受容、つまり歴史観に関する国内宥和を志向しているのだと解釈はできないでしょうか。

 ここでのアイロニーは、リベラル系メディアが、戦後、自民党=政府という権力者に対峙する弱者としての論理を存分に活用して影響力を振る舞ってきた戦後、実際には強者であったのに引き比べ、現在のリベラル系勢力は、本当にいまこそ弱者かもしれないということです。少数派が排除の論理を使い続けることは、自らの首を絞めることに他ならない。そして、彼らがマージナライズして弱者の座に追いつめておいたはずの保守派が、これまで虐げられてきた弱者認識のもとに力を振るっている。

 このエントリーをここまで読んできてくださった方なら、すでにお分かりのように、保守派が踏んではならない轍とは、まさにリベラル系メディアが行ってきたことを逆の立場から繰り返してはならないということです。上述の世論調査で、8%の日本人が、総理は公人としても私人としても参拝してはならないと答えました。大事なのは、権力の座に就いた時に8%の自分とは意見が違う少数派を尊重できるかということです。それは、必ずしも少数意見に従うべきということではない。けれども、彼らを疎外したり、罰を与えることであってはならないのです。それこそ、日本的な解決策なのだと私は思いたい。

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