山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

戦後70周年の日本外交と対外メッセージについてー北海道新聞に寄稿しました

一昨日(2015年1月23日)の北海道新聞朝刊の「各自核論」寄稿を以下に転載します。

戦争と戦後について考える年がまた巡ってきた。戦後40年には、中曽根総理が靖国神社に参拝し、中国との対立が注目された。戦後50年には、政府の歴史認識の機軸となっている村山談話が出された。戦後60年に小泉総理は村山談話を引き継ぐ談話を発したものの、翌2006年8月15日には再び靖国神社を参拝した。

戦後70年はこれまでの節目の年よりもより重要な意味を持っている。日本を取り巻く内外情勢が変化の渦中にあるからだ。最大の変化は、米国が唯一の超大国として世界を仕切っていた時代が名実共に終わったことである。10年前の2005年は、イラク戦争の現場で苦労はしてはいても、ブッシュ政権は二期目冒頭にあって意気軒昂であり、金融危機前の世界経済も絶好調であった。たった10年の変化のなんと大きいことか。

戦後70年の世界は、米国の変調に加え、国民感情に根ざした中韓との冷たい関係や、多くの問題を抱え込むロシアとの関係など難問を抱えている。戦後、日米関係さえうまく管理していれば何とかなった時代は終わり、日本は自ら決断し、自らその責任を負う時代へと入ってきている。そんな時代に登場したからこそ、安倍政権の姿勢は論争的なのだ。

安倍政権は、保守の政権であり、その究極の外交目的は日本の存在感を確保し、プライドを保持することだろう。戦後の日本において、存在感を語る場合、その中心には経済的繁栄がある。その意味で、アベノミクスの推進、なかんずく第三の矢の成長戦略を政策の中心に置く発想は、戦後の正統の政策である。積極的平和主義という安倍外交の基本政策にも、存在感を維持するという目的がある。ただ、積極的平和主義には、戦後世論に深く浸透している一国平和主義の否定という意味もあり、中国を過剰に意識し、すべての政策を対中恐怖症ともいうべきレンズを通して見てしまうという悪癖も紛れ込んでいる。

外交目的の根幹に国家のプライドを置くというのは実は難しい。戦後日本は、典型的な大国でない代わり、国際的な調査結果が示すように、殆どの国家から好意的な評価を勝ち得ているからである。これに対する数少ない例外が、先の大戦のいくつかの点をめぐる、いくつかの国が提起する点であり、象徴的な論点が慰安婦問題なのである。

戦後70年という節目の年のリスクは、プライドを維持するという目的が過剰に歴史問題のダメージコントロールに向いてしまうことだ。過去は、そもそも変えられないのだし、日本という国家のプライドを満たす外交の中心に歴史問題を置くことはありえない。

何より必要なことは、日本が、したがって安倍総理が、日本の普遍主義を新しい言葉で語ることである。不幸な戦争については、国民や指導者の責任を語るべきだろう。しかし、自由と民主主義を高度に発展させ、国際社会の中で平和的に発展したリアルな感覚をもっと語るべきなのだ。日本の平和主義は、世界に向けて開かれたもので、日本は、一方的な国境線の変更に抵抗する者や、国内の圧制に抵抗する者と共にあるというメッセージだ。

その際、日本はこれだけまじめにやってきました。どうか、わかってくださいというトーンであってはならない。世界はどのような場で、どのような原則に基づくべきであるかということを正面から語るものでなければ、国際社会には響かない。戦勝国の指導者は、ファシズムに対して自由を愛する諸国民が立ち上がったという、おめでたい世界観を繰り返すだろう。その中には、今なお自国民を圧政下においているような国も含まれる。だが、悲観する必要はない、それが国際社会の現実なのだ。

世界史は、70年前に止まったのではない。過ちを含んだ過去を持つ我々は、稀有な70年を歩んできた。人類のよりよい未来を自らのこととして積極的に引き受けることが、節目の年に求められている。

f:id:LMIURA:20150125120457j:plain写真は著者所蔵