山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

日本の右傾化?

 新聞の論調を見る限り今回の都知事選は、細川元総理と舛添元厚労相を軸に展開されるようですが、今回の選挙の一つの特徴は、イデオロギー的に両候補よりそれぞれ左と右にわかりやすい候補がいることです。宇都宮氏は、日弁連の会長も努められた人権や環境に力を注いできた弁護士であり、前知事選での立候補経験もあって知名度も一定程度あります。田母神氏は、元航空幕僚長で、公職に立候補する元自衛官としては最高位レベルの方。同氏も、アパ・グループの懸賞論文問題での経緯もあって知名度は高い。近年の日本政治は、主要政党が3割程度の政党支持者を分け合い、7割前後の無党派層をその時々の政策と風に応じて取り合うという構図ですが、両名ともに象徴性の高い候補ですので、イデオロギー軸の両端におられる候補がどの程度集票することができるのか。金融危機以後、世界的に高まっている反資本主義的な気分はイデオロギー上の左右両端の政党を利する傾向がありますが、この構図が日本でも当てはまるのか注目しています。

 この文脈で少し考えたいと思うのが、「日本の右傾化」についてです。職業柄、外国のニュースに触れたり、日本政治についてそれなりの知見を有する外国人研究者と話す機会が多いのですが、「日本の右傾化」と言うのは様々な場面で使いまわされてきた概念です。しかし、日本においてそもそも右であるということはどういうことなのか。右傾している対象は社会全体なのか、政府なのか、特定の政党なのか。そして、実際に日本は右傾化しているのか、等々の疑問にはわかりやすい回答はありません。

 まず、基本的なことではありますが、米国、大陸欧州、中国、日本等のそれぞれの政治空間において、イデオロギー上の左右を構成する内容はまったく異なります。一般に、経済政策においては、右であることは経済学の新自由主義に近い立場と考えられることが多い。具体的な政策で言うと、それは、小さな政府、経済規制の縮小、グローバルな貿易や投資の自由化の受容等と親和性が高い。他方、社会政策において右であることは、伝統を重んじる立場と親和性が高く、日本における最近の具体的な政策としては、夫婦別姓の導入や婚外子の地位向上等に対して否定的です。安全保障においては、一般に右がタカ派で拡張主義的な政策を推進します。そして、敗戦国である、日本という政治空間においては近現代史への態度という重要な軸があります。これらの傾向は、必ずしもセットで現れるわけではないので、個別分野においては、右であると主張される集団の内実が上記のイメージとあべこべになることもままあります。

 反米右翼や親米右翼という言葉があるように、実際、いわゆる保守陣営の中では、「○○は真正の保守でない」という趣旨の発言が活発に展開されます。現実的な利害関係を重視するリアリストが往々にして「足して二で割る」解決策にたどり着くのに対して、イデオロギーや思想を中心にする勢力には路線対立と内ゲバが絶えません。しかし、冷戦後の左翼は現実とどこで妥協するかという判断が分かれることはあっても、左派イデオロギーが理想とする姿にはおおよその一致があったように思います。左であるということは、経済においては大きい政府志向ですし、社会政策は個人の選択の自由や新しい価値観に受容的です(平等の名の下に反対する場合はありますが)。安全保障はハト派でしょうし、歴史認識については戦後の「正統」な歴史観からの逸脱を嫌うということで、あまりぶれはありません。それでいくと、右的であることの定義は、結局、反左派であるということなのではないでしょうか。一つ一つの政策については、左派と一致することはあるのだけれど、全体として嫌悪感が強いというような。そして、以前のエントリーでも指摘しましたが、左派が踏絵を迫ってきたことで右派が生まれ、強化されていったということだと思います。小泉元総理が訪朝して、金正日主席が拉致事件を認めるまで左派メディアや識者の多くは、拉致、拉致と言っている人間は危険で、右翼だといわんばかりの論調でした。たった、10年ほど昔の話です。

 個別の分野ごとに日本の政策が右傾化しているか見てみると、とても興味深い傾向が明らかになります。まず、日本には小さな政府主義者は皆無です。日経新聞がそれに一番近い論調でしょうが、世界基準でいくととても穏健です。日本には、米国のティーパーティーに当たる勢力もいなければ、英国保守政権のオズボーン蔵相のように正面きって強力な緊縮策を唱える政治家もいません。財務省のなかにも、個人としては「小さな政府」志向の方が多くいらっしゃいますが、組織としては大きな政府の中で予算の均衡を目指しているようです。この点、象徴的だったのが、日本でも人気を博しているアメリカのマイケル・サンデル教授を迎えて、日本で行われた討論番組でのある場面でした。サンデル氏が、ゲストの竹中平蔵総務大臣を冷血な資本主義者に見立てて食ってかかったところ、竹中氏が意外と急進的でなかったことに拍子抜けしてしまった。経済政策における右を象徴すると思われている竹中氏でさえ、アメリカ基準ではせいぜい中道です。サンデル氏が米本国で戦っている経済右翼は、日本には存在しません。

 社会政策の分野でも構造は似ています。例えば、米国では60~70年代に確立した個人の権利を保守的な価値観からひっくり返そうという勢力が存在し、一部の州では実際に成功しています。これは、例えば女性が中絶することを選択する権利を否定すること(Pro Life)であるし、公教育の中でキリスト教の教義に触れること(School Prayer)などのテーマです。日本には、現状残っている伝統的な制度の改正に抵抗する勢力は確かに存在します。民法の非嫡出子関連の規定が残されてきたことはその典型でしょう。しかし、戦後民主主義が達成してきた諸々の成果を否定しようとする勢力は実質的に存在しません。女性の平等権利や、長子以外の権利を制限するような家制度の復活をまじめに唱える勢力はいません。導入時点では保守派から総攻撃にあった介護保険制度でさえ、導入からまだ10年程度しか経っていないにもかかわらず完全に定着しました。

 安全保障の分野では、安倍政権が防衛予算を増額したことをめぐって右傾化の証左だという論調もありますが、これも10年近くにわたって削減され続けた予算を底打ちさせたに過ぎません。互いの主要都市に核ミサイルの照準を合わせたまま生きていくことが大国間に「平和」をもたらしてきた核抑止の現実ですが、そのような国際社会の実態を前にしたとき、そのレベルでのタカ派はいません。極論はどの社会にも存在しますが、メインストリームの政治家や識者で、核武装や、空母や、原潜等の攻撃的な兵器の導入を訴えている方はほとんどいらっしゃらない。日本が導入に最も積極的な先進的な軍事技術はミサイル防衛でしょうが、既存の国際法体系との整合性の観点で論点があるとはいえ、防衛的な兵器体系です。

 以上から明らかだと思いますが、現在の日本には、政策のレベルで見る限り、広範なコンセンサスが存在します。それは、中福祉・中負担の福祉国家運営であり、基本的人権個人主義の尊重であり、防衛主体の軍事力の保持です。逆説的ですが、だからこそ歴史認識に焦点があたり、そこが日本の右傾化を論じる主要論点となってしまうのです。それは、誤解を恐れずに言えば、害がないから。敗戦国の日本は、戦後国際社会に復帰するに当たって相応の制約を受け入れてきました。戦争を体験した当事者が存命の間はこのような制約は不可避でしょうし、ある程度納得感もあったのかもしれません。戦後ある時期までの日本の政治家が左右問わず、中国に対して一定の贖罪意識を持っていたこともこのような文脈で理解できます。しかし、戦後既に70年近く経った段階で、個人的な経験や責任とは無関係に「敗戦国としての制約」を受け入れることはなかなか難しい。

 「日本の右傾化」の主張は、ほとんどの場合、歴史認識と結びついています。それは、中国人や韓国人などからすれば、不愉快なことでしょうし、アメリカにとっても違和感がある。加えて言うと、現在のオバマ政権のようなリベラルな政権は、安倍政権に貼られた保守のレッテルに、自国で対立する保守派を投影して批判的になるのではないでしょうか。この反発は、実際に安倍政権が掲げている政策の保守度合いとは関係なく感じられてしまうもので、おそらく、ケネディー駐日米国大使も同様でしょう。いまの日米人脈において生じている摩擦は、誰もが国内の敵と戦っていることからくるものです。

 外国の知人が日本の右傾化を口にすると、私は以上のような観点から、それはほとんどの場合、杞憂だと説明してきました。現政権に代表される、日本の保守主義は、国民の間に定着している戦後民主主義の果実の上に築かれているのです。