シャーロッツビルの悲劇
政権発足以来の危機
米トランプ政権が政権発足以来の危機に直面しています。8月12日に行われた白人至上主義者の集会に際して、反差別の立場からカウンター・デモを行っていた女性が死亡し、多数の負傷者を出した事件の扱いをめぐって政権批判が高まっているのです。
トランプ氏のこれまでの暴言や政権内部の混乱とその深刻度が異なるのは、共和党の重鎮や、ビジネス界、一部の右派系メディアなど、トランプ政権に寛容とされた層からも批判が高まっているからです。
問題の発端は、シャーロッツビルの議会が、米南北戦争時の南軍の総司令官であったロバート・E・リー将軍の銅像の撤去を決めたこと。その動きを阻止すべく、全米から白人至上主義者やネオナチ、黒人への暴力を主導してきたKKKなどの団体が終結しました。彼らは、KKKの伝統に則って松明を掲げて夜の街を行進し、ナチスのシンボルであった鍵十字の旗を掲げ、反ユダヤ主義を叫びました。そして、その中の一人が女性を自動車でひき殺したのでした。
どっちもどっち論
近年稀に見る規模での白人至上主義者の集会、しかも、白昼堂々と行われた暴力によって全米での批判が頂点に達していた時、トランプ大統領は火に油を注ぐような対処をして事態を悪化させてしまいました(殺人行為に及んだ容疑者は逮捕され、差別主義団体の一連の行動について公民権法の適用を視野に入れた調査が開始されていますから、連邦政府全体の対応は常識的なものです)。
その意味で、本件が深刻な問題へと発展したのは、ホワイトハウス中枢の致命的なミスのせいであり、端的にはトランプ大統領が差別主義者側と反差別主義者側の双方に対して、「どっちもどっち」と取れるような発言を繰り返したからです。
3回行われた会見のうち、1回目は事件発生から相当時間が経ってから行われたにも関わらず、差別側と反差別側の双方に問題があったことを示唆し、白人至上主義者を名指しで批判することを避けるものでした。この会見は、人種差別を相対化するものと受け取られ、その後のメディアで激しい批判を受けます。
それを受けて行われた2回目の会見では、「人種差別は悪」であるとし、白人至上主義者やネオナチを名指しで批判しました。ところが、今度はその批判がいかにも熱のこもっていない(よって大統領の本心ではない)印象を与えてしまいます。
決定的だったのが、政権批判が一段と高まった中で行われた3回目の会見。ここで、トランプ大統領は開き直りとも見える態度をとり、どっちもどっち論をさらに強調する姿勢に回帰したのです。それは、米国政界、米国社会が長年かけて到達した人種差別に対する「決まり事」を前面的に無視する逆ギレ会見でした。
一連の発言から推察されることは、政権が事件への対応をめぐって逡巡していたこと。大統領は意図してどっちもどっち論を取ったこと。軍出身で新任のケリー首席補佐官を中心に発言の修正を試みられたこと。ところが、それは大統領の本心ではなく、最後は大統領の地が出たということ。そして、現政権は、大統領の地をうまくコントロールすることができないということです。
遠い歴史の問題ではなく、現在の問題として人種差別に苦しむ米国社会にあって、大統領の発言は傷に塩を塗り込むかのようなもの。いつもは、党派性の中で激しい応酬をぶつけ合う、米メディアのプロ達が怒るよりも前に傷つき、涙していることが印象的でした。
大統領の諮問機関に名を連ねていた財界人達がこぞってその職を辞すと発表したため、大統領は複数の諮問機関そのものを解散せざるを得ませんでした。これまで、大統領を直接批判することを控えていた共和党穏健派の大物議員が大統領の精神状態に疑義を呈するまでに至りました。さすがに危機感を募らせた政権は、政権内の右派の大物であり、トランプ氏当選の立役者の一人であったバノン補佐官の更迭を発表し、事態の鎮静化に必死です。
最新の世論調査では、共和党支持者の間での政権支持率は依然として60%台後半。主流メディアが批判一色であるにも関わらず、政権の支持率が底堅いわけですから、直ちに政権基盤が壊れる状況にはありません。そして、外からは全米がトランプ批判一色であるように見えながら、政権のコアな支持層がトランプ支持を崩していない点が、米国社会の分断を象徴していると言えそうです。
意図された混同
さて、多少細かいところまで事態の推移と政権の反応を振り返ったのは、米国政治の現在の雰囲気を共有するためです。今般の問題について、少なくとも白人至上主義やネオナチ運動が悪であり、批判されるべきものであるという点は、米国社会のコンセンサスです。大統領の発言の字面を見る限り、トランプ氏自身もこの点には同意しています。
したがって、大統領への批判の中心にあるのは、トランプ氏が拘ったどっちもどっち論と言うことになります。思うに、このどっちもどっち論は、①現在の差別主義者への態度、②歴史を現在の価値観で裁くことの是非、そして、③法と秩序を維持する責任、の3点についての混同があります。
政権の言動を見る限り、私には、これが意図された混同であったように思えます。それは、政治の正義としても、政権の戦術としてもいかにもまずいものでした。
第一の論点として、当たり前ですが、白人至上主義やネオナチなどの差別主義者に対して、曖昧さは許容されません。それは、米国政治においてもそうだし、すべての文明国においてそうでしょう。カギ十字の旗や、松明を掲げて行進する集団が醸し出すイメージはあまりにセンセーショナルであり、米国社会では、全否定以外の選択はあり得ないという強い感情を喚起します。
第二の論点が、歴史を現在の価値観で裁くことの是非です。南北戦争における南軍に関わる銅像やレリーフを、人種差別の象徴と捉えるのか、南部のヘリテージ(≒歴史的伝統、遺産)と捉えるのかという論点は、より多様な立場があり得るでしょう。
だからこそ、トランプ氏は、反人種差別の価値観を理由としてリー将軍の銅像を撤去するならば、ワシントンやジェファソンなど奴隷所有者であった歴代大統領をも断罪すべきなのかと問題提起を行っているのです。アメリカの歴史にとって、建国の父である人物と、国の解体を目論んだ将軍を同列に比較することは暴論でしょう。ただ、安易な歴史糾弾論に違和感がある有権者は多いし、これはより幅広い穏健な保守層までを取り込める論点ではあります。
少々乱暴であることは承知の上で、日本の歴史に置き換えてみると分かりやすいかもしれません。例えば、維新の元勲の筆頭であった西郷隆盛は、現在の価値観で捉えれば征韓論を唱えた植民地主義者であり、西南戦争で政府への反乱を主導しました。自害せずに、時の政府に捕らえられたならば、当然、国家反逆の罪に問われたであろう、罪人です。けれど、日本人の大半は上野の西郷さんの銅像を引き倒そうとは夢にも思わないでしょう。西郷さんの存在に多面性があるように、歴史には多面性があるのが普通だから。それを現代の一つの価値観に基づいて裁くことはいつだって論争的なのです。
混同された論点の第三は、法と秩序を維持することの責任という点。行政府の最高責任者として、大統領が法と秩序の守り手であるのは事実です。しかも、トランプ氏は保守層の支持を得るために、不法移民対策にせよ、テロ対策にせよ、法と秩序を前面に出した選挙戦を戦って大統領職を得ました。それは、ニクソンやレーガンなどの歴代の共和党出身の大統領が共通して採用してきた戦略でもあります。
特に、ニクソン大統領はベトナム反戦運動が激しくなり、一部で暴徒化していた60年代後半にあって、(多くは左派の)デモ隊と、サイレント・マジョリティー(≒穏健で物静かな多数派)を区分けすることに成功しました。ニクソン大統領については、ウォーターゲート事件を受けて辞任した不人気な大統領というイメージが強いですが、少なくとも法と秩序を前面に出す政治戦略は大成功し、同氏は圧倒的な人気で再選されたことを忘れてはいけません。
ただ、シャーロッツビルの事件において、法と秩序をめぐる同様の構造が成立しないのは、法と秩序を壊している側が極右の差別主義者であったということです。法に反して暴力を振るっている側に同情して、法と秩序論を主張しても全く説得力がありません。トランプ氏は、反差別のカウンター・デモ隊の側にも暴力があったことを強調してその構造を作ろうと試みましたが、無理筋だったというべきでしょう。
今後の米政治の流れ
トランプ政権への批判がこれまでになく高まっている中で、今後の政治の流れを予想することは困難です。上述したように、共和党内の支持が底堅いことを考えると、直ちに政権基盤がグラつくことはないと思います。バノン氏の解任を受けて、トランプ政権の基本方針が変わるともあまり思えません。現政権は、バノン氏のような特定の人物によって左右されてきたと言うよりは、大統領個人のキャラクターとその信ずるところによって規定されている部分が大きいからです。また、トランプ政権のような「アウトサイダー」政権において、政権発足後しばらくの期間、陣取り合戦的な政権内の権力闘争が激しく、政権運営が安定しないということも、過去なかったことではありません。
もちろん、トランプ政権における幹部人事の遅滞や、政権内部の勢力争いが極端にひどいという点で大方の識者は一致をみています。また、諸政策を実現する上では、政権のコア支持層を超えたより幅広い支持を獲得する必要があります。医療保険改革法案の失敗を受けて夏休みに突入した政権が、休暇明けにいったいどのような戦略をもって政策推進に臨むのか。
大方の予想は、減税法案を早期に出してくるというものです。共和党の諸派が合意でき、国民に対して訴求力がある政策だからです。ただ、医療保険政策と同様に減税政策の肝も細部に宿るもの。新たにトランプ政権の司令塔となったケリー首席補佐官の手腕が問われるところです。
とは言え、今般の人種差別をめぐる論点がなくなるわけではありません。トランプ氏が意図された混同論を続ける限り、事態は改善しないでしょう。現在の差別主義者に対しては絶対的な論調で非難するべきです。それは、大統領の道義的リーダーシップの一環であり、曖昧さを紛れ込ませる必要のないものです。
シャーロッツビルを離れ、一部の反差別団体によって南軍関連の公共物を、法的手続きを経ずに引き倒す動きも広がっています。法的には器物損壊と言わざるを得ない行動が「反差別無罪」の雰囲気の中で正当化されている現実があります。白人至上主義のデモの参加者を、ソーシャルメディアを通じて特定し、個人情報を公共空間に晒したり、所属先の責任を追及したりする動きも広がっています。集会への参加を指摘された者が職場をクビになった事案もあれば、差別主義者を指弾する人民裁判的な動きの中で、単なる人違いの事案も発生しています。
トランプ氏がどっちもどっち論を採用した根底には、このような動きに対する感情的な反発があるのでしょう。それは、正義や進歩と同時に秩序を重んじる保守層に典型的な反応であり、一概に批判されるべきものではありません。ただし、差別主義者に対する拒絶を明確にして初めて、国民の大層は聞く耳を持つというもの。歴史認識や、法と秩序の論点を提起したいのであれば、現在の問題としての差別の問題をゆるがせにすることは許されないのです。
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