日中韓首脳会談と東アジアの未来(2)
朝鮮半島は日本外交の大きな試練
東アジアの未来について、楽観論と悲観論が同居する世界となるのではないかと申し上げました。つまり、楽観論と悲観論の論拠となる事態が別個に進行しているということであり、今後数年の些細な時代の成り行きによって、どちらにも振れ得る脆弱な基盤の上にあるということです。その中にあって、日韓関係が短期的に改善する可能性はほとんど存在しません。本日は、もう少し中長期的な視点をもって、未来に目を向けたいと思います。
日本外交にとって、朝鮮半島情勢は長らく日本の運命に最も深くかかわる国際問題でした。それは、遠い古代においても、近代においてもそうでした。明治維新を通じて近代化の第一歩を踏み出した日本は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、朝鮮半島をめぐる国際政治情勢を背景として、中国やロシアと戦ったわけです。
戦前の日本の戦略思想においては、日本の安全保障のために朝鮮半島を自らの影響下に置く必要があると信じられていました。半島を防衛するためには満州が必要であり、満州を守るために中国との全面戦争に突入したのです。防衛圏はとめどなく拡大し、やがては南洋にまで到達したけれど、その原点には朝鮮半島の存在がありました。
日清戦争をめぐる外交戦を指揮した陸奥宗光が著した『蹇蹇録』(ケンケンロク)には、このあたりの苦悩が生き生きと描かれています。そのまったく色褪せない筆致には、将来を暗示する不気味さを感じるほどです。
戦後の日本は、その種の思考の構造からは解放されました。しかし、この解放は危機の試練を経たものではありません。というのは、戦後の東アジアにおいて、朝鮮半島の南半分には絶えず米国の存在があったからです。日米、米韓の同盟を通じて、日韓は同一陣営内にあり、日本は大陸の勢力と直接対峙する必要はありませんでした。幸運にも、朝鮮半島において敵対的な勢力と対峙するという状況にはなかったのです。問題は、そのような状態は持続するのかということです。
半島統一の未来予想図
そのためには、朝鮮半島をめぐる状況が中長期的にどのような展開を見せるだろうかということを予測する必要があります。具体的な未来を予測することは、いつだって不可能に近いことです。金一家が支配する北朝鮮は、明日にも崩壊するのではないかと言われてからすでに20年以上も永らえています。それでも構造的にどういう方向に向かう可能性が高いかということは考えられるし、それこそが戦略家の仕事です。
朝鮮半島の両国が統一に向かう場合、いくつかはっきりしていることがあります。一つは、そこにおける中国の影響力が非常に大きくなるということです。中国は、北朝鮮に対して唯一意味のある影響力を行使し得る国です。同時に、韓国にとっても最大の貿易相手国であり、政治的な影響力の面で米国を凌駕しつつあります。
朝鮮半島の統一において中国がこだわるであろうことは、中朝国境が混乱に陥らないこと、統一朝鮮が自国の安全保障上の脅威とならないこと、そして、統一朝鮮に対して最大の影響力を行使できる存在となることだと思います。
他方の米国は、当然、自国への安全保障上の脅威を最優先します。米国にとって朝鮮半島から発せられる最大の脅威は北朝鮮の核兵器開発です。よって、米国が一番こだわるのは、朝鮮半島の非核化ということになるでしょう。論点は、米軍が自国の基地の維持に拘るかということですが、私は、ここはあっさり引くのではないかと思っています。
朝鮮半島の統一が、韓国による北の吸収という形を取るにせよ、両国による何らかのプロセスを経るにせよ、統一朝鮮は非核化の見返りとして米中による安全の保証を求めるでしょう。この保証を、米中共同のものとするために、中国は米軍の撤退を求めるはずです。そして、韓国もまた、統一のユーフォリアの中にあって、米軍基地の存続を強く訴えないのではないかと思っています。
朝鮮半島は、少なくとも当初は米中間の緩衝地帯となるでしょう。しかし、時の経過とともに中国の影響力が勝っていくはずです。米中の力が均衡する最前線は、北緯38度線から、対馬海峡へと南下します。地政学的には、120年前まで時計が戻ってしまうということです。
しかし、これは十分に予測された未来でした。本来であれば、94年の朝鮮半島危機(第一次核危機)の時点で、北朝鮮をめぐる問題にしっかりと対処すべきでした。冷戦が終わり、東欧でバタバタと共産主義政権が崩壊する中で、米国にも西側全体にも安易な楽観主義が蔓延していました。体制の延命に必死の北朝鮮が核開発の脅しをかけたとき、関係国は問題を正面から捉えられず、長期的な影響と向き合うことを避けてしまいました。
軍から空爆のオプションを提示された米クリントン政権は、その一歩が意味することに尻込みしてしまった。ソウルを火の海にされると脅されて、韓国も浮足立ってしまいます。北朝鮮の横暴を止めることよりも、自国の頭越しに米国が決断することを恐れたのでした。日本はと言えば、湾岸戦争直後の世論はまだまだ内向きで、国会でも社会党が大きな存在感を占めていた時代です。主体的に危機に対処する気運はありませんでした。
結果として選択されたのが、核合意という名の先送りの枠組みです。その後、核合意をめぐって遵守と離反のチキンゲームが繰り広げられ、枠組みそのものも何度か入れ替わりました。20年の時を経て、北朝鮮の核保有化はもはや既成事実です。朝鮮半島をめぐる外交戦においては、米国も、韓国も、日本も、失敗したのです。そして、この間に確実に変化したのが、中国の影響力です。日米韓の先送りの代償は大きかったと言わざるを得ないでしょう。
中国の伸長が引き起こす国内社会の変化
中国の伸張を通じて懸念される事態は、国際社会における緊張感の高まりに止まりません。私がもっとも懸念しているのは、中国と対峙する国の国内政治における変化や国内社会の変化です。共産主義の、一党独裁の、法の支配とは異質の社会と向き合う過程で、民主主義国は揺さぶられ、社会すらもそちらに引っ張られてしまうからです。
外交において、国境線を一方的に変更するような動きがある場合、他国はそれに対抗せざるを得なくなります。サイバーセキュリティーや諜報活動への懸念が高まれば、自由でオープンな社会は危機に瀕します。どうしても、安全保障を名目に市民の自由を制限する方向に行かざるを得なくなるからです。それでなくとも、民主主義国家は独裁国家の「効率的」に見える国家運営に魅了されがちです。
米国の自由が最も危機に瀕したのは、ソビエトとの冷戦が激しかった1950年代の赤狩りの時代でした。共産主義の脅威と戦うために、皮肉なことに、自由主義や民主主義を妥協せざるを得なかったからです。今後、我々が恐れなければいけないことは、中国と対峙する国は、中国と似てくるという事実なのです。
東アジアで、最初にこのプレッシャーに対峙するのが、中国と地続きで、経済的に中国に依存している国々です。韓国は、今まさにこの戦いの渦中にあります。本来であれば、自由主義や民主主義などの価値観を共有する隣国として日本びいきの層が増えてもいいはずなのに、歴史問題から生じる特別な感情があってそうはなりません。中国は、韓国に対するプレッシャーを高めていくことでしょう。この過程を経てなお韓国の市民社会が持ちこたえられるのか、心配です。
朝鮮半島の未来は、日本の平和と繁栄に直接的につながっています。そして、韓国の直面する苦悩は、程度と時間の差をもって日本にとっての課題でもあるのです。