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山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

日米同盟と沖縄(中)

 民主主義国間の同盟関係は、同盟を維持しようとする国民の意思に依存します。前回のエントリーで、やがて「米国の撤退」が始まると申し上げましたが、その理由もこの点から派生しています。勢力均衡の時代の同盟政策はプロ同士の取り決めでした。同盟管理の主体は時に、政府であり、君主であり、立法府であり、軍隊であることはあっても、結局はエリートによる管理です。第二次大戦後の国際政治は、帝国的な能力を持ちながら民主主義国である米国を中心に展開されます。米国の同盟は、究極的に国民の支持に基づく同盟と、プロによって管理される同盟とに大別されます。前者の典型が「特別の関係」を持つ米英同盟であり、広く西欧との同盟や、イスラエルとの盟友関係もこれにあたります。米国指導者の回顧録には、フランス大統領やイスラエル首相を、口を極めてののしる場面が頻繁に登場しますが、文化的、歴史的な親近感もあり、国民の長期的な支持は盤石です。短期的には、米国の国民食である、フレンチフライがフリーダムフライに衣替えしたりしますので、もちろん、波風は立ちますが。対して、後者の典型がパキスタンやエジプト等との関係です。朝鮮戦争の直後はいざ知らず、韓国との同盟もこの色彩が濃い。これらの同盟関係には帝国経営の意思が体現されています。おそらく狭間にあるのが、日米同盟や米国とフィリピンの間の同盟でしょうが、どちらかと言えば、これらもプロ同士の同盟に近い。

 日米同盟は、民族、宗教、歴史をほとんど共有しない国同士が、血みどろの戦いを経て、かつ、冷戦という新たな脅威を前に手を結んだ稀有な例です。米国と日本は共に戦った経験を持ちません。しかも、日米同盟の双務性は基地と安全保障をバランスさせることで成り立つという特殊なものです。国民の分断を恐れて、日本では日米同盟は必要悪、もう少し好意的な場合にも功利主義的な文脈で説明され、同盟管理の秘儀に通じたエリートによって運営されてきました。

 米政府の外交・安全保障政策は、日常業務を管理する専門家と、中長期的な戦略を主導する政治的基盤を有する素人という二層構造によって担われています。日常はほとんどが前者によって運営され、危機が高まるほど後者の役割が増加します。最近の例でいくと、オバマ政権一期目のアジア重視の戦略転換は、クリントン国務長官によって主導されました。この人は、「素人」と呼ぶのが憚られる深い経験と知見を有する政治家です。ただ、専門性はあるけれども、専門家ではない。ポイントは、その意思決定が日本やアジアの状況に基づいて決定されたものではない、ということです。それは、米国の全体的な国益を見据えて行われ、たまたま日本やアジアにも影響があったということです。その判断に影響を与えた要素は、例えば、金融危機後のアメリカ経済の行方、核兵器を含む主要兵器体系の更新時期、それらを踏まえた中期的な国防予算の見込み、中国の台頭、中東の混沌、国内外の基地から発生する摩擦と利権などです。そして、それらすべてが、米国議会の勢力関係の中で解釈される複雑怪奇な方程式です。このような複雑系の中で政策決定を行うには強力な意思と政治的推進力を要します。クリントン氏が政権を去った結果、予想どおり、アジア重視は掛け声でしかなくなりました。日米同盟は再び専門家が管理する時期に移っています。

 当たり前ですが、米国の政策を決めるのは米国人です。しかし、以上でお話しした複雑系がはじき出す答えは、当の米国人にさえ予想しがたいものです。日米同盟を日本側で管理するエリート達も当然振り回されます。とりあえず、日常相対している米国側の専門家と接触してその帰趨を予想すべく努力するわけですが、実は米国の専門家達もほとんど何も知らされていません。米国の政策は、ある日突然素人が決めるのです。それが、「専門性の高い素人」によって行われ、吉と出ることもありますが、もちろん、逆回転することもある。ご記憶の方もあろうかと思いますが、米外交はブッシュ政権の二期目後半、イラク戦争の泥沼化から推進力を失います。そして、アジア外交における専門家の活躍によって、いきなり北朝鮮に対してふにゃふにゃになってしまった。日米同盟は、基本的にプロが管理する同盟ですから、その基盤は、ある日突然素人によってひっくり返される可能性を内包しています。

 米国民主主義の政策決定の特徴が、どうして「米国の撤退」につながるのでしょうか。私は、第二次大戦後の大英帝国の撤退の歴史にヒントがあると思っています。英国は、第二次世界大戦終結時点にはほとんど国力を使い切っており、財政も危機的状況にありました。また、戦時中の国民総動員は中産階級の権利意識を高め、戦後復興の過程で福祉制度を充実させていくことになります。そして、幾度かの政権交代もあり、しだいに国民の意識の中で大英帝国としての権益に比して、英国市民としての権利の重要性が増していきます。象徴的な例でいうと、例えば国民保健制度において、「義足」を補償の対象とするかというレベルの話です。遠い国の基地の維持や権益よりも、もっと生々しい問題の重要性が高まるのです。もちろん、保守党、労働党を問わず指導者の中には帝国の栄光を引きずる者も多く、56年のスエズ危機にみるような冒険主義的行動も試みられますが、実力が伴わないために挫折する運命にありました。撤退までの間、英国は国防予算の劇的な削減を、コミットメントを低下させずに軍の人件費・装備等を見直すことで、乗り切ろうとします。縮小した予算の枠をめぐり陸海空軍は争いを繰り広げ、手足を犠牲にして屋台骨を守ろうとし、結果的に67年のスエズ以東からの撤退宣言を招き、帝国は終焉を迎えます。

 学問としての国際政治学は長らく、Power Transition(=国際社会における権力の移行)に関心を持ってきました。そこでの関心は、衰退期にある帝国はいかにして撤退を決定するか、そして、その決定は平和的に行われるかということです。多くの識者の議論が見逃している点は、「帝国」が撤退を決定するわけではないということです。つまり、英国民の意識が、帝国としてそれから、普通の国としてのそれに代わったように、帝国からの撤退を決定するのは「普通の国」の国民なのです。1960年代の英国民にとっては、スエズ以東の権益よりも義足の方が重要だった。そして、民主主義国である限りにおいて、その変化を嗅ぎとって政策に結び付けるリーダーは必ず出てくるものです。未来は誰にも予想できませんから、これから申し上げることは私の想像です。きっと「米国の撤退」はこんな風に展開するはずです。

 20XX年、長らく米国政治の対立の火種となっていた国民健康保険制度について民主・共和両党の間で歴史的な妥協が行われます。民主党は弱者のための健康保険制度を勝ち取ったとして勝利宣言します。共和党は、妥協の対価として自らの支持基盤にとって重要な大型減税を獲得し、こちらも勝利宣言します。健康保険制度も大型減税も財政への影響はネガティブですから、国防予算への大幅な切り込みが併せて合意されます。まもなく、国防予算のどこを削るかについて、陸・海・空・海兵隊の4軍種が血みどろの権限争いを始めます。地元に基地を抱えた議員は雇用減を恐れるため、有力議員の支持を取り付けたい各軍種は早々に国内の基地には手を付けないと宣言するでしょう。真っ先に狙われるのは、高価な兵器体系と海外の基地です。米国の兵器体系の中でも最も高価なものが核兵器です。国防総省は、最新鋭の兵器開発を守りたいので、更新時期を迎えた核兵器の削減に動きます。中国の軍拡のペース如何ですが、最初に米軍優位の軍事バランスが崩れるのは極東でしょう。国務省は、米国の撤退の優先順位、どこから先に撤退すべきか、を検討します。そうした歴史の決定的な瞬間において米国にどんなリーダーがいるかはわかりません。彼ないし彼女は、中国の脅威を前にしてアジアを最優先するかもしれないし、米国の伝統と国民の親近感に基づいて欧州と中東(=イスラエル)を重視するかもしれません。いずれにせよ、日米同盟のあり方を再検討したいということがある日突然告げられます。最初は、長らく日本が要求してきた地位協定の改定や、沖縄の負担軽減という「好意的」な形をとるかもしれません。現場の専門家達は、その決定を正式伝達のほんの数日前に知らされるでしょう。もちろん、ワシントンの素人達も、現場の専門家達も「米国のコミットメントは変わりません」、というはずです。しかし、よく聞いていると、ある日それも言わなくなります。

 上記のようなことは明日起きることはないでしょうが、これから一世代の間には起きるでしょう。問題は、いつ、どのように起きるかということです。

 日米関係と沖縄シリーズ、最終回の明日は日本に求められる対応についてお話しします。