山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

『プレジデント』に靖国問題についてのインタビューが掲載されました。

 12月22日月曜に発売された『プレジデント』2015年新春特別号(1/12号)、「仕事に役立つ歴史の知恵」特集の「靖国問題」において、解説をしました。

 現代の民主的な先進国において、プロの志願兵である兵士の犠牲は、早く忘れ去られる傾向にあります。豊かな民主主義国においては、他人が請け負ってくれる戦争、「自分事」ではない戦争のハードルはそもそも低いのです。第二次世界大戦の記憶が色濃い日本においては、意外と思われる向きも多いかもしれませんが、軍が戦争に国民を引きずり込むタイプの戦争は、自由主義的な国や民主主義国においてはむしろ例外的な事象です。このことは、2012年刊行の拙著『シビリアンの戦争』において、理論的に示し、実証しました。

 さて、靖国問題は本ブログでも申し上げてきたとおり、日本においてコンセンサスが取れていない国内問題です。プレジデントのインタビューでは、靖国について海外で誠意ある「ご説明」をしても理解が得られると考えるのはナイーブすぎるということ、国内政治問題化してしまった「靖国問題」を解決する道は何か、について解説をしております。

 靖国というと、右派、軍国主義などのイメージがあったり、または御霊が尊崇の念を集めていないことは問題であり国民教育をしなければいけないなど、様々な違う考えの方が日本には存在しています。ポイントは、この狭い島国の中で、ここまで意見が違っても、お互い殺しあわずに生きていかなければならないということです。

 結論から言うと、兵士の慰霊は国家の責任であるということは、仮に「国家」という概念そのものが気持ちが悪いなどと考える反対者が社会に存在し続けても、守り続けられることでしょう。またそうあるべきです。国家から背を向けることは、それによって守られるべき人を軽視することにもつながるからです。

 靖国問題の本質は、外交問題化しうる重要な意思決定を一民間人の宮司が握っているということです。穏便に済まされたA級戦犯宮司預かり(合祀せずに宮司個人が預かること)も、問題化したA級戦犯合祀も、宮司一人の判断でありました。総理や政治家の参拝の是非をめぐる靖国問題が解決を見るとすれば、靖国の代替施設を造ることではなく、靖国神社を非宗教法人化して遊就館も含め国家管理し、重要な意思決定を国家が担うことしかないはずです。なぜなら、代替施設を造っても、将来にわたって政治家や総理の参拝がなくなることはない(それこそ思想信条や信教の自由がありますから)でしょうし、まあやはり「御霊」は靖国にいるからです。

 日本には、宗教右派の人々がいます。多くの自民党員はナショナリストの保守派です。中曽根元総理靖国の非宗教的参拝を導入された政治指導者で、また中国の抗議を受けて参拝を以後しなくなりましたから、宗教右派からは蛇蝎のごとく忌み嫌われています。しかし、一般のひとからすれば、宗教右派ナショナリストはパッと見では見分けられないでしょう。日本社会が模索できる妥協点は、宗教右派ナショナリストを分け、ナショナリストとリベラルが手を打つことです。それは、天皇皇后両陛下のご親拝先として、国民の大層が納得しうる環境に靖国を変えることでしかないでしょう。

 *今般の衆院選までの4回にわたる衆院選分析結果は、今日明日中に「山猫日記」に掲載しますので、またぜひご覧ください。

 

PRESIDENT (プレジデント) 2015年 1/12号