山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

ノーベル平和賞受賞スピーチ(草稿)

憲法9条及びそれを守ってきた日本国民が、ノーベル平和賞を受賞する可能性について報じられています。改めて、北欧の小国が勝手に決定する賞に日本ではこれだけ注目が集まることに感心します。とは言え、ネット空間でにぎわっている誰が授賞式に行くのか、そこでどんなことを言うのかなどの論点については、私も正直興味があると認めざるを得ない気持ちです。そこで、受賞が決まる前に、総理ないし「日本国民の代表者」が授賞式でどんなことを言ったらいいか、勝手にスピーチ案をつくってみました。

平和憲法とともに生きてきた日本人について』

ご参席のみなさま、日本国憲法の第9条及びそれを守ってきた日本人が、名誉あるノーベル平和賞を受賞するにあたって、日本国民を代表してお礼の言葉を申し上げたいと思います。

まず、初めに申し上げたいことは、この名誉ある賞をつかさどってきた皆様への賞賛と敬意でございます。かつて、ノーベル平和賞を受賞された先達には、世界の平和に尽力された様々な方がいらっしゃいました。その中には、故マンデラ氏やPLOアラファト氏のようにかつてはテロリストと呼ばれた方々も、ハル・ノートで有名なコーデル・ハル氏、マーシャル将軍やキッシンジャー氏、オバマ現米国大統領のように多くの戦争を実際に指導された方も含まれています。彼らは、人生のいろいろな曲折の中で、それでもあるとき平和を選んだ。そんな、彼ら、彼女達の勇気と献身に対して賞を贈られたノーベル平和賞の奥深さを思うところです。

本日は、ですから、その名誉ある賞の名誉ある伝統に則り、平和に対するきれいごとを申し上げるつもりはありません。むしろ、平和憲法と共に生きてきた日本人の葛藤と、苦悩と、それでも平和を選んできた歴史についてお話ししたいと思います。

平和憲法をとりまく歴史は、第二次世界大戦後の世界を生きた日本人の歴史そのものです。憲法が制定されて67年、人の一生になぞらえれば波乱に満ちた人生を生き続けている、日本と日本人の生きざまの類まれな証人です。

その誕生には、誇らしさと後ろ暗さが同居していました。アジアを中心に、多くの犠牲者に耐えがたき破壊と苦痛を与え、国民の人生をぶち壊した無謀な戦争に敗れて、日本はアメリカ合衆国を中心とする連合国に占領されました。日本国憲法の平和主義は、その占領政策の中から生まれました。

日本国憲法に掲げられた平和主義は、戦間期に生まれた不戦主義の理想を高く掲げたものです。人類は、100年前の、血みどろの第一次世界大戦のあとに生まれた不戦の誓いを、守れませんでした。日本国憲法の平和主義は、その意味で、平和を求める諸国民の願いでもあったのです。

もちろん、憲法には、日本と日本人が再び連合国の敵となることを阻止する目的がありました。その制定は、勝者が敗者を裁き、新しい道へと導くという発想に基づいています。それは、連合国の軍事占領下で、言論の自由も制限された中で行われました。しかも、憲法が制定されて後、連合国の占領は5年間に及びました。

その平和憲法を、しかし、多くの日本人は大歓迎しました。不毛な戦争が国民に与えた被害は絶大で、たとえ食べるものに困ったとしても、憲法が、平和な時代の到来を予感させたからです。平和主義と同時に、基本的人権の尊重や、男女平等や、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が定められましたが、これらは、戦前の日本社会が、自らの意思で国民に与えることができなかったものでした。憲法は新しい日本の象徴でした。

日本人は、灰燼と化した国土から出発しながら、持ち前の努力と粘り強さをもって、国民が豊かに暮らし、国際社会に前向きな貢献をできる国を作り上げました。日本の復興は、日本人の誇りです。それは、同時にアメリカ合衆国をはじめとする西側の市場、アジアの市場に参入することで、可能となった復興でした。憲法が掲げる、平和を愛する諸国民の公正と信義によるところが大きかった復興であり、遅ればせながら、感謝を申し上げたいと思います。

しかし、日本が豊かになるにつれて、憲法そのものが、豊かで平和な社会の象徴であると同時に、残念ながら、日本国民を分断する象徴にもなっていきました。

多くの国民にとって平和憲法は誇りであり、平和な生活と未来を支える礎でしたが、同時に、日本の自立を阻む象徴でもありました。国際社会の平和を苦しめた冷戦が、国内に投影されるという現象が日本でも起こりました。その対立の中心に憲法がありました。国際社会における紛争を、武力をもって解決することはしないという信念が、時に、国際社会の紛争への無関心につながることもありました。一国平和主義が、平和主義であると同時に、利己主義でもあるときは多かったかもしれません。

東アジアの冷戦構造が緊迫化し、周辺国の軍事力が拡大するにつれ、日本国自身も防衛力を装備するに至りました。戦力を保持しないという理想と、周辺国の核ミサイルが日本の主要都市を射程にとらえていることからくる矛盾は、明らかでした。

日本の平和を実質的に担保してきた同盟国の戦争に賛成することもありました。それは、世界には武力をもってしか対処できない悪があるということを、消極的にですが認める判断である場合もありました。単に、同盟国に気をつかってのことである場合もありました。平和憲法を持つ国民が、倫理的な高みにいたわけでもなく、平和を選び取る苦悩から自由なわけでもありませんでした。

世界中の知るとおり、今日に至るまで、日本の位置する東アジアには安定的な平和が存在しません。すべての国民が自由と人権が保障される環境にはありません。冷戦の怨恨も継続しています。大国も小国も法の支配の下で尊厳をもって生きていける状況でもありません。

それでも、日本と日本人は平和を選んできました。国際社会における紛争を、武力をもって解決することに一貫して反対してきました。

平和憲法は、今なお続く日本人の葛藤と苦悩を見守ってきた証人です。私は、日本人を代表して、ここで日本国憲法そのものが今後も永久不変であると申し上げるつもりはありません。しかし、憲法の平和主義の精神は、日本と日本人が誇りをもって守っていきます。

どんな時代にも、どんな困難にあっても、平和は選び取ることができます。ノーベル平和賞を受賞してきた先達はそのことを教えています。日本と日本人は、今後も、平和を選び続けるための努力を惜しみません。国際社会の平和的な一員として平和に対して前向きな力となる努力も惜しみません。なにより、平和を選び続ける強さと、限りある生を生きているという弱さと共にありたいと思います。

本日は、ありがとうございました。

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