山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

地方創生とは何か?

 第二次安倍改造内閣が発足しました。総理や主要閣僚の会見を通じて伝わってくるメッセージは「地方創生」が重要テーマとなるということです。自民党が政権に復帰して後のアベノミクスの恩恵を全国に広げるというのが目的ということですので、時宜を得た課題設定だと思います。来春には統一地方選が控えていますし、石破前幹事長という実力者を担当大臣に指名したことで、期待値はいやがおうにも高まるでしょう。他方で、多くの論者が指摘するとおり、地方創生という目標に対する各方面の受け止め方には相当の開きがあります。国土強靭化に名を借りた公共事業増発による需要底上げを期待するむきから、特区などを通じた一段の規制緩和を進めて自発的な創業を促そうというものまで様々ですから、相当な同床異夢の状況です。

 そもそも、アベノミクスへの国際的な評価は岐路に立っています。国際的メディアの直近の論調は、アベノミクスによるデフレ脱却について評価しつつ、旧態依然とした財政政策や成長を促すための構造改革は遅々として進んでいないというものです。ただし、日本の政治や経済改革を詳しく追ってきた者であれば、この評価は必ずしもフェアではないと思うことでしょう。安倍政権は、長年の懸案であった消費税や法人税をはじめとする税制体系に手をつけ、TPP交渉を推進しながら農協改革も進めており、規制改革もこれまでに比べれば踏み込んでいます。安倍政権の経済政策が評価されない理由の第一はもちろんまだ結果が出ていないからですが、過去20年の日本経済の変化が影響している面も多分にあります。

 失われた20年の間の日本経済の最大の変化はグローバル化の進展です。日本経済は、日本的な文脈ではなく、グローバルな文脈で評価されるようになりました。そこでは、経済政策のスピード感やインパクトもグローバルな感覚に照らして評価されるので、日本的にはいかに踏み込んだ改革だと思っていても、「遅々として進んでいない」ということになってしまいます。世界経済の趨勢に影響力を持つグローバルなエコノミストや投資家たちは、必ずしも民主主義の手続きを踏まなくても良い中国や、小回りの効くシンガポールと日本を比較して評価を与えるのです。安倍政権は、歴代政権の中ではグローバルな文脈における評価を相当程度意識した政権ですが、日本の統治機構のほとんどはこの変化についていけていません。

 過去20年のいまひとつの大きな変化は、労働者の4割が非正規化したということです。終身雇用、年功序列企業別組合に代表される日本的経営の基盤は相当程度掘り崩され、労働者の多くは景気回復の実感からは程遠いところにいます。株価が7ヶ月ぶりの高値圏にあり、有効求人倍率が改善しても、1,000円以下の時給で働いている労働者にとっては殆ど関係のない話です。非正規化した労働現場に合わせて低くとどめおかれている若手正社員の場合、忙しくなった分だけサービス残業が増えるだけという状況さえ広がっています。現役世代からすると、消費税増税で大騒ぎしているのとは別に、年金や健康保険などの社会保険料がじわじわ上がってきている状況です。

 地方創生をアベノミクスの第二フェーズの目玉とするのであれば、世界の期待値を凌駕するレベルのスピード感が求められ、同時に、社会の大層を担うに至った非正規層に実感を届けるものでなければならないということになります。成功のハードルは相当高いと言えるでしょう。そもそも、東京と地方の経済格差が政治的課題として本格化し始めたのは、1960年代後半前後からです。そこに、「列島改造論」的な解を見出して期待したこともあったわけですが、状況は悪化する一途でした。40~50年やってうまくいかない政策は、常識的に考えて今後もうまくいくことはありません。地方創生が、単なる統一地方選対策ではなく、政権のレガシーをかけるものであるならば、これまで小出しにしてきた改革の焼き直しや、各省庁が出してくる玉をホッチキスでくっつけるだけではまったくダメだということがわかると思います。

 求められる真の地方創生は、一言で言えば地方の自立です。経済基盤の自立であり、その前提となる経済政策の立案能力の自立であり、有望な人材をひきつけ、リーダーの大層を育成する能力の自立です。急進的な道州制論議の中には見られる発想ですから、別段新しいものではありませんが、明治維新以来の統治の発想に転換を迫る本質的な変化です。現在、権力の座にある者にとってはリスクの大きい政策ですから、当然、既存の権力機構からそのような提案がなされることは殆どありません。これが、地方創生の一番厄介なところです。ただ、世界中を見回してみて、持続的な地方経済の成長を実現した政策手法は他に見当たりませんから、あまり迷う余地もないのですが。

 地方の側で統治を担っている層にも構造的な課題があります。現在でも、都道府県の知事の大半は旧自治省をはじめとする官僚の出身であり、中央で立案された政策の枠組みを各地方に当てはめた政策づくりをしています。各県のホームページを見比べて頂ければ一目瞭然ですが、どの県にも、似たような役所的感覚の企業誘致の仕組みがあり、UターンやIターンの仕組みがあります。多少気の効いた政策として、創業を促すというのが最近のはやりのようですが、政策立案者に創業経験がある方は殆どいませんから、誰もそれほど期待もしていないようです。農業や観光やその他の地場産業に個別の成功事例がないわけでは決してありませんので、無力感にさいなまれる必要はありませんが、このような根本の構造が変わらない限り大きな変化は期待できないでしょう。

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 今後地方創生を担当される石破大臣の求心力の根源は、安倍総理と総裁の座を争った自民党総裁選での地方からの高い支持です。私には、この人気が気になります。自民党の地方組織の中核は、中央と地方を行き来する情報や資金のパイプ役を担っている人々です。それは、地方議会であり、官僚機構であり、業界団体などの支部であり、大企業や金融機関の支点網であり、地方での政策と深く関わっている地場企業です。これらの地方エリートにとって、中央から情報や資金を引き出してくることは自己利益に資するものでありつつも、地方の発展につながると信じてやっているのです。同時に、日本の田舎は中央に対して卑屈です。そこには、健康的でない被害者意識と劣等感があります。だからこそ、中央とのパイプを持つ人材が存在感を発揮しますし、地方のことを思いやるリーダーに希望を託してしまうのです。しかし、この構造こそが地方を永遠に中央の下部構造にとどめおく結果となってしまうのです。つまり、石破大臣が自らの支持基盤に報いようとするならば、中央が地方の政策を様々な仕組みを通じてコントロールするという現在の構造を変えるわけにはいかなくなってしまいます。

 こうなると、石破大臣の君子豹変を期待するしかなくなってしまいます。官僚任せではない、地方の疲弊ぶりを真に解決するためのラディカルなメニューを並べてほしいと思います。例えばある地方では、金銭解決に基づく自由解雇を認めて雇用の流動性を確保しつつ、セームワークセームペイを強制して若年現役層の賃金の充実を図ってはどうでしょう。また、別の地方では、法人税を何らかの外形標準で10%台にしてアジア最安水準にした上で所得税もフラットタックスにすればそれこそ強烈に企業が集まらないでしょうか。その上で税収がどうなるか実験してみたらいいと思います。保育所学童保育を子供全員分整備し、ナニーサービス充実のための外国人ビザも自由化して、女性幹部比率に応じて法人税を増減させたら出生率はどのように変化するでしょうか。ある程度中央で立案する政策パッケージ以外にも、十分な効果が認められそうであれば、地方が独自に立案してももちろんいいと思います。要は、結果の責任を受け入れる仕組みと覚悟があればいいわけです。最初は、特区のような形で進む政策も、しだいに自治権の強い道州制のように運用されるようになり、地域間で政策の競争が促されるはずです。

 官僚やメインストリームの学者やメディアはできない理由をいくらでも出してくれるでしょう。憲法14条法の下の平等に反するという格調高い意見も聞こえてきそうです。正直、やらない理由は専門家でなくてもいくらでも思いつくわけですが、やってみなはれではダメでしょうか。問題は、このくらい踏み込まなかったとして、どんな地方創生の絵姿があるかです。悲しいのは、このような政策競争を促す改革の提案に対してリベラルを自認する人々の多くが反対することです。地方が疲弊して苦しむのは本当に弱い立場にいる方々であるのに。底堅いと思われている議論に本当に希望があるのか、我々はそろそろ自らを欺くことをやめなければならないのではないでしょうか。

 現在の自治体の長の多くは、なかなか決断もできないでしょうし、実行もおぼつかないでしょうから、二つ条件をつけてはいかがでしょう。一つは政策の受入れに際して住民投票を実施すること。いまひとつは、政策実施の中核的存在となる官民のチームを、片道切符を条件に好条件で派遣することです。結局、地方創生というような大きなうねりは中央でコントロールはできません。経済がキャッチアップ局面にある等の特殊な場合を除き、計画経済が成長につながらないことは20世紀最大の教訓です。思いっきり自由度を与え、創意工夫を促し、失敗を許容し、10年たって花開くのを待つしかないのです。

 仮に、日本経済の停滞が永続し、財政が破綻するようなことがあったとしても、日本経済の規模を考えると、IMFをはじめとする既存の国際機関には、「最後の資金の出し手」として危機に対処する能力はありません。おそらく、米国にもそんな余裕はないでしょう。ナショナリストである安倍総理と石破大臣の現政権のトップ2には、資金の出し手が誰になるかも、どのような条件を課せられることになるかも見当はついているでしょう。弱者にしわ寄せが行かないことを目指すにせよ、国の独立を重視するにせよ、地方創生は、イデオロギーを超えた優先的な課題であり、その優先度に応じた政策が求められています。