山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

韓国について考えたこと

 本日は韓国について考えたいと思います。先般、中国の習近平国家主席が韓国を訪問しました。日本における報道のトーンは、強力に演出された中韓の蜜月ぶりの真偽を問いつつ、歴史問題で反日共闘姿勢への警戒が語られるというところだったように思います。北朝鮮との拉致問題に関する交渉や、集団的自衛権を巡る法案審議が本格化してくれば、朝鮮半島関連の諸情勢への関心が高まってくることは必然でしょう。本稿の提案は、簡単に言えば、日韓関係を成熟させることなのですが、この成熟の内容を理解するために日韓関係の構造と歴史を振り返ってみましょう。

 筆を執るにあたってすぐに気が滅入ってしまったのですが、韓国を巡る多くの言説には、極端なもの、共感できないものがとりわけ多く、言論界の鬼門のようになってしまっているようです。サッカーの試合でも、日韓戦には特別な意味付けがなされます。まあ、その程度であれば、健全なライバル関係と言えなくもない。ドイツ対フランス戦だって、ブラジル対アルゼンチン戦だって特別な感情が湧き上がるようですから。とはいえ、日韓関係を巡る言説には、東日本大震災に苦しむ日本人を嘲り、セウォル号事件の犠牲者を悼む韓国人を侮蔑するような剥き出しの憎しみが込められるものも少なくなく、人間性への不信感を覚えます。日本における韓国人へのヘイトスピーチも、韓国における日本に関する過去の発言を捉えた魔女狩りのような状況も、双方の心ある国民の支持を集めているとは思わないけれど、それでもなくなる兆しもないという重い事実と向き合わなければなりません。そのような肥沃とは言い難い言論空間で、何が本質的な視点なのか、ここでも、ヒントは、現代という時代の趨勢を正しく捉えるということでしょう。

 古代から近代に至るまで、日本の外交・安全保障政策を考える上で肝要なのは朝鮮半島情勢だったわけですが、それは現代でも変わらない地政学的な現実です。私は、日本人が書いたもっとも優れた戦略論は、陸奥宗光の『蹇蹇録』(ケンケンロク)だと思っていますが、現代の日本人も陸奥が向き合ったジレンマの多くを共有しています。現代が、陸奥の時代とも異なるのは、朝鮮半島に成熟した民主主義国があり、明確な民意を持つ韓国国民が存在するということです。これまでは、安全保障政策や日米関係の文脈で申し上げてきたことですが、現代とは、外交/安全保障政策の民主化/大衆化が進展し、いわゆるプロへの信頼感が揺らいでいる時代です。しかも、東アジアにおいては、米国の相対的影響力が低下しつつある。それは、米国の能力に基づくと同時に、米国自身の意思に依るところが大きい。結果として、国際関係を巡る秩序の形成、維持、刷新、破壊のそれぞれの場面において、中国の存在感がどんどん大きくなります。厄介なのは、中国の朝鮮半島に対する認識は、我々が慣れ親しんでいる国民国家体制における他国理解とは異なる場面が多々あるということです。

 日韓関係の文脈に引き付けると、こういうことでしょうか。これまで、日韓関係は、韓国で日本語を話し、日本の事情を良く理解するジャパン・ハンズと、韓国の事情をそれなりに理解するコリア・ハンズを中心に担われてきました。しかし、日韓双方で民主主義の大衆化が進み、外交・安全保障における世論の影響が大きくなると、国民感情に合わないプロ同士の妥協は難しくなります。外交の現場を担うのは引き続きプロなのですが、国民感情の観点から彼らに与えられる管理可能なスペースがどんどん狭くなってしまいます。自らの責任と権限で妥協が可能なリーダーはいなくなり、両国の外交官は国民感情を背負い妥協の余地を持たずに原理原則をぶつけ合う、言葉は悪いですが「ガキの使い」となってしまいました。それは、日韓関係にとって不幸なことではあるけれど、両国の関係が成熟する過程における必然的な変化だったようにも思います。

 戦後の日韓関係は、朝鮮戦争の前後に始まります。米国の日本占領政策は、ソビエトの強硬姿勢と中国の赤化を受けて既に変化していましたが、朝鮮戦争の勃発を受けて「強い同盟国」路線に本腰が入ります。戦争とは最大の公共事業ですから、朝鮮戦争を通じて生じた米国の軍事需要が日本の復興を加速させました。日本は朝鮮戦争の当事者ではありませんし、当時は国際政治上のアクターでもありませんでした。ですので、これはあくまで道義的な意味においてですが、日本は二重の意味で朝鮮戦争と因縁があります。一つ目の意味は、そもそも終戦期において戦後秩序への洞察を欠き、ソ連北朝鮮占領を許してしまったこと。歴史の「もし」を云々してもしょうがないかもしれませんし、現実的に終戦期の日本政府や陸海軍にそんな余裕はありませんでしたが、やはり、日本は米国が朝鮮半島を統一的に占領する形で降伏すべきだった。終戦期まで、日ソの中立を信じて終戦工作に望みをつないでいたあたりに今に至る朝鮮半島の悲劇の一つの淵源があります。いまひとつの意味は、先に申し上げた朝鮮戦争を通じて復興を本格化させたということです。他人の、他民族の悲劇から利を得て、復興を加速させたと言えなくもないわけです。

 1965年の日韓基本条約の交渉は、東アジアの自由陣営同士の関係正常化を望む米国の強い影響化で進められた経緯もあり、日本優位で交渉が進みます。また、そのような構造的要因だけでなく、当時の日本の交渉相手であった韓国側の代表の殆どは日本式の教育を受けた植民地官僚の出身であり、日本側は植民地時代のヒエラルキーを持続させた上から目線の交渉を行いました。韓国側から見れば、当時の日本との妥協が正義に基づいていないという思いがあります。交渉に携わった現在の保守派の系譜からすればそれが現在に至る政治的なアキレス腱となり、左派リベラル陣営にとっては保守派が体現する不正義の象徴となったわけです。

 この日本優位の構造は韓国が民主化する過程で変化します。日本側は、韓国側の交渉者が韓国国民の激しい世論に抗して妥協する余地が小さくなっていくことを感じ取り、彼らに気を使うようになります。相手に気を使い、相手の利益に必要以上に敏感になる現象をクライアンテリズムと言いますが、日本外交のクライアンテリズムは、韓国側で交渉を担った保守派に気を使い、民主/リベラル派を必要以上に疎外するという特徴を持ってしまったのです。このような構造は、民主主義国同士の関係においては不健全なのですが、それでも、韓国のメインストリームを構成するエリートに日本への親近感が残っていた時代には機能しました。政治家や官僚のみならず、韓国経済において影響力の強い財閥や銀行の幹部にとって、ある時期までは、日本での駐在経験は出世コースでした。彼らは日本について一般韓国国民よりも圧倒的に多くの情報を持っており、少なくとも戦後の日本について好感情を持つことが多かったのです。そんな知日派の韓国エリートの顔を立て、韓国国内の反日勢力に足元をすくわれないようにするというのが日本の官民を挙げた交渉スタンスとなりました。

 この構造が三度変化したのは、韓国がアジア経済危機による混乱に直面した2000年前後です。危機と前後して、日本統治時代の記憶を有し、良くも悪くも日本の存在感の大きかった世代が各界の第一線を退き、韓国のエリート層は圧倒的に知米派に変わります。サムスン、LG、ヒュンダイなどは独自のグローバル企業となり、経済的な意味でも日本の魅力も低下します。経済成長を正当性の根源においていた保守派の力が弱まり、キム・デジュン、ノ・ムヒョン両大統領の民主/リベラル系(進歩派)政権が誕生します。元来、革新勢力は外交安全保障の分野では、北朝鮮に対して開明的であり、米国や日本に対する原則論を掲げていたわけですが、実際に政権を獲得した彼らの外交政策は相当程度バランスの取れたものでした。日本では、韓国について日韓関係の狭い視点でしか語られないことが多く、あまり認識されていませんが、反米を掲げたはずのノ・ムヒョン政権は安全保障分野では米国を支援してイラクに戦闘部隊を派遣しており、経済分野では世界でも有数にアグレッシブな貿易交渉を展開しました。日本の感覚で言うところの左派とは言いがたい政治的姿勢です。

 日本外交は、韓国のこのような変化を捉えきれませんでした。おそらく今に至るまで捉えきれておらず、それが現在に至る不健全な日韓関係の根本原因なのではないかと思っています。現実的な外交政策を志向する立場から日本人がよく理解すべきは、日本的な感覚でいうところの親日の韓国人は存在しないということです。誇りある韓国人からすれば、日本の植民地支配は民族のプライドを深く傷つけるトラウマであり、許せないことです。ときおり、親日派が存在するように見えることがあるのは、幅広い問題群の優先順位から日本に対して妥協する利益がある場合だけです。保守派のイ・ミョンバク政権は、当初、親日的に見えましたし、日本での期待値も高かったわけですが、政権末期には日韓関係は過去最悪の状況でした。日本側から見ると、イ・ミョンバク大統領の「変心」には不可解な点が多いわけですが、韓国政界のど真ん中の保守である彼からすれば、政治的にのっぴきならない論点では日本側が妥協してくれるはずという期待値があったのではないでしょうか。外交交渉の世界で、相手国が一方的に妥協してくれることに期待するのは一種の甘えであり、韓国側にも日韓関係への甘えがあったのだと思います。しかし、当然日本としても妥協できないものは妥協できないわけで、その路線の破綻は時間の問題でした。結果的に、日韓両国は互いに感情的に反発するような言動を繰り返し、今に至るまで政治的な落としどころを見出せないでいます。

 現在のパク・クネ大統領が就任した際にも、日本の識者やメディアの多くは大歓迎しました。ところが、構造が同様ですから日韓関係の迷走も同様です。彼女はパク・チョンヒ大統領の娘として背負っているものがありますから安易な妥協はできません。日本側もこれまでの経緯から妥協しにくくなっていますし、仮に少々妥協したとしても、その成果を韓国内でまとめられる政治勢力のイメージが湧きません。日中関係と異なり、日韓で偶発的な事態が生じる懸念は非常に小さいので、お互いに強硬姿勢をとる方が国内政治上のリスクが少ないということになってしまうのです。結果的に、日韓関係の改善を一番強く望んでいるのは米国であり、日韓双方が米国の顔を立てる程度に、つまりあまり身が入らないながらも、日韓関係の改善に取り組むという奇妙な状況にあります。

 今後の日韓関係について展望するときにも、重要な要素は中国の一層の台頭と、中国の朝鮮半島に対するアプローチでしょう。中国の影響力が必然的に強くなる中で、韓国内での中国に妥協的に対応して利を得るべきと考える勢力と、中国に毅然と対応して独立を維持すべきと考える勢力の綱引きが激しくなるでしょう。当然、地政学的には日本としても韓国が完全に中国べったりにならないように努力する必要が生じます。この路線の王道は日米韓の戦略的利益と価値観を強調することです。自由、民主、人権などの日韓が共有する価値観は、むしろリベラル系勢力との間にこそ共通点を見出しやすい観点です。日韓関係の未来にとっては、これまでの保守一辺倒の関係づくりから脱してリベラル系勢力との関係構築が鍵となるでしょう。

 もちろん、中国は効果的に歴史認識カードを切ることで、韓国の親日路線を防げることを良く知っています。そのような構造を受け、とにかく歴史問題における中韓共闘は避けたいといとして、韓国に妥協主義的に対応すべきという論調もあります。このような発想は古い韓国理解に基づくものです。このような路線は、韓国側に特別な日本理解を有するリーダーの存在を求め、日本側の妥協に見合う形で韓国国内をまとめられることを期待します。しかし、パク・チョンヒ大統領も、キム・デジュン大統領ももういませんし、今後そのような日本理解を有するリーダーが生まれることもありません。エリートの間で日韓関係を管理できた頃には可能だったかもしれませんが、現在では国民の支持が伴わず持続できません。そもそも歴史認識の問題は、その根本においてアイデンティティーや思想信条の問題ですから、お互いに安易な妥協はできないのです。対して、利益に基づく問題は足して二で割ることができますので相対的に妥協点が見出しやすい。

 韓国語を学び、韓国文化を理解する存在、日本語を学び、日本文化を理解する存在は両国関係の発展には不可欠です。しかし、それは、両国の指導層の大層ではありえません。日韓関係の未来は、利益に基づく問題について英語でビジネスライクに議論し合い、ロジカルでない解決策は無理だよというもっとクールな関係になるしかない。お隣の国同士という特殊性はあっても、もっとオープンで、グローバルな関係になる必要があります。そのような利益に基づく関係をどんどん肉厚にしてはじめて表層的でない本当の相互理解が生じるのだと思います。まず相互利益があって、次に相互理解があるのであってその逆ではありません。日韓関係も、この順番を意識した成熟した関係とならない限り、現在の問題は克服できないのではないでしょうか。