山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

トランプ大統領就任✔

合法的な革命

トランプ氏が米国の第45代大統領に就任しました。立場の差を超えて「歴史」が我々の前で展開しているという感覚を持った方も多かったでしょう。選挙を通じた合法的な革命であるという言葉がしっくりくる一日だったように思います。8年前、若者に熱狂的に支持され、多様性を象徴する大統領が就任したのが、合法的な革命であったのと同様に、米国が大きく変わろうとしています。

就任演説について、全体的な印象はシンプルであったこと。そして、闘いの演説であったということです。黒人初の大統領として就任したオバマ大統領には、自身の当選そのものに大きな象徴性があり、その象徴性を格調高く表現することに力点が置かれました。対するトランプ大統領は、闘いに突入しようとする部隊を鼓舞する部隊長のような演説という印象を持ちました。簡単な言葉が選ばれ、仕事をするための演説であったと。

ケネディー大統領の就任演説のように、名演説として歴史には残るようなものではなかったけれど、時代を象徴する、時代を画するという意味では同様にインパクトのあるものだったように思います。ケネディー大統領の就任が、第二次世界大戦後の若い超大国の、若い大統領による、米国が「帝国」であった時代を象徴しているとすれば、トランプ大統領の演説は、依然圧倒的な強国でありながら「普通の大国」への道を歩み始めた米国を象徴するものだからです。その中身は、トランプ大統領を誕生させた諸力をわかりやすく入れ込んだものでした。私は、5つの大きなメッセージがあったと思っています。

ワシントン政治からの決別

演説の中でも冒頭に置かれ、一番力点が置かれたのは、ワシントン政治からの決別でした。ワシントンのエリート達の自己利益に基づく政治から、人民に権力を取り戻す時であると。政治から無視され続けてきた人々を慰め、あなたたちはもう忘れられることはない、という世直しのエネルギーを凝縮する宣言でした。

人民のためにというのは、すべての米国大統領が多かれ少なかれ強調するメッセージですが、それぞれの大統領によって微妙にニュアンスが異なっているものです。人民のためにという同じ字面であったとしても、その時に想起される顔が異なるわけです。ここには穿った見方であるという批判はあり得るのだけれど、オバマ大統領が人民という時に想起されるのは都市部のマイノリティーであり、トランプ大統領が人民という時に想起されるのは地方の白人なのです。これは、メディアの演出を通じて露骨に表現され、字面を超えた印象として人々の脳裏に刻まれます。

ワシントン政治からの決別というメッセージを理解する補助として意識すべきは、米国という国の形です。米国は、非常に分権的な大国です。東京やロンドンやパリにすべての情報と産業が集積している国とは異なり、米国は多極です。金融とメディアのニューヨーク、テクノロジーの西海岸、エネルギーのテキサス、大農業エリアの中西部、保守的伝統と新産業育成が共存する南部、などが独自に存在します。ワシントンに勝手に物事を決められてたまるかという感情は、文字通りの感情であるということです。

トランプ氏は、最低限の儀礼としてオバマ大統領とミシェル夫人に対して、平和的な権力移行という米国の伝統への守り手として賛辞を送りました。が、その直後に、自身の大領就任は、政権や党の交代というだけでなく、ワシントン政治の腐敗からの決別であると意義付けしました。ワシントン政治の腐敗が、外国企業を優遇し、外国の軍隊の援助を優先し、外国の国境の防衛を優先した元凶であると。その結果、米国の企業と、米国の軍隊と、米国の国境がないがしろにされてきたと。

経済ナショナリズム

就任演説で強調された第二点は、経済ナショナリズムです。繰り返された“America First”(=アメリカ第一主義)の言葉の他に、わかりやすい殺し文句としての“Buy American & Hire American”(=アメリカ製品を買い、アメリカの労働者を雇え)という原則の確立です。政権初日の象徴的な政策としてTPPからの離脱が正式に表明されたのも、もはや驚くには当たらないでしょう。内向きになり、自国の利益をより端的に追求する米国を前に、世界中の国や企業は戦々恐々としています。

トランプ大統領の就任を受け、グローバリゼーションは終わった、資本主義は終わったという識者も出てきました。ほとんど場合、それらは識者の願望を示すものでしかないと感じるものの、国際経済の行く末に大きな不確実性が表れたことは間違いないでしょう。

トランプ大統領は自身を自由貿易主義者であると繰り返してきた一方で、就任演説の中で、Protection(≒保護主義)とProsperity & Strength(=繁栄と力)を結びつける言葉も発しています。世界経済全体のあり方を模索する多国間の枠組みから、米国の国益をより直接的に追求する二国間交渉の時代が幕を開けることとなるでしょう。日本企業を含む世界の主要な多国籍企業は米国市場に依存しており、特に東アジア各国はその傾向が顕著です。我々の生活に直接的に大きな影響が表れるのは、トランプ政権のこの部分となるはずです。

文明の側に立つことを恐れない

演説の中で、外交・安全保障に割かれた部分はほんの僅かでした。それは、この政権の性格を非常によく表しています。政権の最大の関心は、米本国の経済と雇用であり、米本国の安全と治安であるということです。ホワイトハウスの中枢にとっては、他はどうでもいいわけです。繰り返し、繰り返し“Protected”(=守られている)という言葉が発せられたことも特徴的でした。体感治安ならぬ体感安全保障に不安を覚える層への配慮と思われます。

そして、イの一番に掲げられた安全保障上の課題はイスラム原理主義を地球上から完全に抹殺するという政策目標です。それに先立っては、文明国の側に立ち、文明国を統合することを宣言しています。米国は、もはや価値観を他国に押し付けるようなことはしない。他国の模範となるようにはするから、真似するなら勝手にしろと。

ロシアについても、中国についても、言及はありませんでした。それらは、米国の普通の国民にとってはもはや重大関心事ではないということです。共産主義の脅威が、普通の米国民に脅威として感じられた時代があったとすれば、現在それに一番近い感情はイスラム原理主義に対するものなのです。

米国民は、ロシア人にも、中国人にも、強い恐怖や憎しみは覚えていません。大国間に大きな敵意が存在しないという意味で間違いなく良いことです。同時に、それらの地域大国の脅威をより直接的に受ける国民と、米国民との距離が離れていっているということではあります。やがて、その距離が大きな意味を持ってくることとなるでしょう。

行動の時代が来た

就任演説で強調された4点目は、Think Big(=おおきな発想)ということ。大きな夢を持ち、大きな仕事をするということです。これまでの政権や政治家を、文句ばかり言っていて一向に問題を解決できない無能な輩であると片づけ、hour of action(=行動の時代)が来たと宣言しました。

トランプ政権の能力や性向に疑問を持つべき点はいくらでもありますが、トランプ大統領の当選以降、特に産業界やテクノロジー界を代表する人々の中からトランプ支持者がポツポツと出てきています。彼らが、共通して強調するのがトランプ政権によってアメリカの技術や産業の可能性が再び大きく開けるのではないかという希望です。

アメリカが国家として若かった頃、ケネディー大統領は、我々は10年以内に月に行くのだと宣言しました。それに似た高揚感が広がっているのかもしれません。確かに、我々は技術進歩が目まぐるしい時代を生きています。トランプ大統領が強調した宇宙、医療、テクノロジーの分野で、今後どんなことが可能となるのか。後世の人々がトランプ時代を振り返って一番に記憶するのは、産業や技術革新のエネルギーが爆発し、時代が大きく前に進んだということかもしれません。

それは、軍拡という形で、そして、民間のイノベーションという形で進むことでしょう。トランプ大統領が主張するとおり、イノベーションを通じた新しい形のNational Pride(≒米国民の誇り)が米国の分断を乗り越える大きな要素になるかもしれません。私自身、トランプ政権への最大の期待値はこの辺りにあるだろうと思っています。

多様性の政治から共通性の政治へ

就任演説で強調された5点目は、米国民の共通性というメッセージです。この点は、演説の中で言われたことというより、言われなかったことが重要であると思っています。

トランプ氏は、自身の当選を受けて米国の分断が露わになったので、その分断に配慮するとは言わなかった。識者の多くが新大統領の支持率が低いことを強調し、分断への配慮を求めたにも関わらず、そこはあっさりとスルーした。多様性という言葉も使わなかった。そこがキモであったと思っています。

オバマ政権期の8年を通じて、また、ヒラリー氏の選挙期間を通じて明らかになったことは、米国の従来型のリベラルと民主党が多様性以外のメッセージを失ってしまったということです。すべての問題が多様性の問題になってしまう。経済格差も、治安の問題も、医療保険も、麻薬汚染も、時には安全保障問題までもが、多様性の文脈で語られてしまう。個人のアイデンティティーに着目したときに、米国民である前に、黒人であり、ヒスパニックであり、LGBTであることが強調されてしまう風潮です。

トランプ大統領が示すのは、黒人も、ヒスパニックも、白人も、それぞれのエスニシティー(≒民族性)よりも、ナショナリティー(≒米国人性)が強調されるべきであるという世界観です。20世紀を代表する米国の政治学者であるハンチントン氏が生前の最後の大著の中で語ったのと同じ世界観です。その世界観があってこそ、米国は存続できると。

米国人性を中心に据えるとき、使い勝手がいいのが軍隊の価値観です。“黒い肌の者も、茶色い肌の者も、白い肌の者も、愛国者は同じ赤い血を流す”という格言が象徴している価値観です。今後の米国政治は、多様性を訴え続けるリベラルと、米国人性の価値観を前面に押し出した政権という構図で対立が続いていくでしょう。

米国がいない世界

新大統領の就任は、一大イベントですから、パレード、就任舞踏会、そして政権初日の象徴的な政策発表へ続きます。もう数日は、世界中がトランプ政権が作り出す興奮と不安がないまぜになった渦へと巻き込まれていくことでしょう。それでも、我々が冷静にならなければならない日が、近くやって来ます。 トランプ大統領が主張する変化が一日で起きるとは思わないし、4年間で起こるのかどうかもわかりません。しかし、「帝国」としての米国、世界を仕切ってきた米国、おせっかいな米国の時代が確かに終わろうとしています。米国がいない空間が、少しずつ広がっていく世界にどのように対処するか。かつて存在したそんな世界を知っている者は、もうほとんど生きていません。

米国がTPPを離脱する時、各国で主張される保護主義ブロック経済的な主張を押しとどめることはできるのか。NATOは時代遅れで日米安保は不公平であるという時、ロシアや中国の侵略に対抗する術はあるのか。新種の伝染病が蔓延し、内戦が泥沼化し、民族が抹殺されようとするとき世界が協力して対処することはできるのか。おそらく、その答えは、「できない」ということになるでしょう。

いろんな意味で、新しい時代の幕が上がりました。

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