山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

日米同盟と抑止力―辺野古問題によせて

 沖縄における基地問題が袋小路に入り込んでしまっています。世界一危険とされ、20年来の課題である普天間飛行場移設の選択肢は辺野古以外にはないとする政府と、あたらしい基地を沖縄に作らせないという公約で当選した知事が真っ向から対立しているのです。当事者同士の会う・会わないの騒動からようやく一歩踏み出し、菅官房長官と翁長沖縄県知事の会談が行われましたが、双方が互いの主張を繰り返したのみで実質的な進展はなかったようです。着地点が見えない状況は、日本の安全保障や、中央と地方のあり方にも多くの課題を投げかけています。

 着地点が見えないまま事態が進展する中で、しかし、興味深い動きが出てきました。そもそも、沖縄に米軍がいて、海兵隊がいることによる抑止力をどのように捉えるかという本質的な点についてです。これは、日本の安全保障論議においては健全な変化です。同時に、日本の安全保障政策にとっては、重大な潮目の転換を現しているのではないでしょうか。

 元来、安全保障上の抑止力というのは難しい概念です。抑止力を第一に支えるのがハードな軍事力であるのは間違いありません。しかし、抑止力には軍事力にとどまらないソフトな要素がふんだんに含まれているものです。それは、例えば、国民の防衛意思であったり、同盟国間の信頼関係であったりするのです。

 例えば、第二次大戦後、イギリスがかつての帝国から徐々に撤退していくなかで、辺境にある英領の防衛を実質的に放棄していきました。そして、抑止力が低下したと解釈したからこそアルゼンチンの軍政はフォークランド諸島を攻撃し、1982年のフォークランド戦争に至ったと理解されています。また、こちらは解釈自体に論争のあるところですが、北朝鮮の侵攻によって始まった朝鮮戦争のきっかけは、米国が韓国防衛を軽視しているとも受け取られかねない発言をしたからだとも言われています。いずれにせよ、抑止力というものは高度に政治性を含み、科学とアートの双方を含んだ概念であることがわかると思います。

 翻って、日本の安全保障と日米同盟が提供する抑止力について考えて見ましょう。日本の安全保障は、第二次世界大戦後はじめて実質的な変革期を迎えています。これまでも状況の変化は何度もありました。1950年時点以来の冷戦期において、米国の軍事力や同盟へのコミットメントも揺るぎないものがありました。ソ連が拡張的な政策を取った折も、中国が核武装した折も、日本では一部のプロが騒いだだけで、大きな安全保障政策の転換は行われませんでした。冷戦終結後、同盟が『漂流』したと思われた時期もあったけれど、当時の橋本総理とクリントン大統領の間で合意がなされ、日米同盟が日本の抑止力の根幹であり続けることが確認されました。

 言うまでもなく、日本の安全保障をめぐる環境は大きく変化しました。北朝鮮は核保有国となりました。中国は経済成長の果実を軍事力の強化に結び付けています。従来からの変化がもっとも大きいのは、西太平洋に広く展開可能な外洋艦隊の存在、宇宙やサイバーなどの新しい戦場における一定の戦力の確保です。実は、宇宙やサイバーの領域においては抑止を想定するのが難しいのです。各国の軍事研究では、艦艇戦や航空戦の知見は積み上げられているのですが、新しい分野ではある程度の能力を持った軍隊同士の戦闘が行われたことがないため、この蓄積がありません。

 東アジアで何らかの有事が発生したとき、中国の宇宙戦やサイバー戦が米軍に対してどのような影響を与えるかということについては、誰にも確証がないのです。宇宙戦においては、米国の指揮の根幹であるGPSをはじめとする衛星が狙われるとされます。それらの衛星群はどれほど防衛可能なのか、それらの損傷は部隊運用にどのような影響をもつのか、サイバー攻撃による混乱はどの程度深刻なのか、いずれも軍事的には難問です。

 政治的にも難しい問題を多く孕んでいます。通常兵器による戦闘と異なり、サイバー戦は隠された戦争であり、いつ、誰が攻撃を仕掛けたかはっきりしません。米国は、サイバー攻撃に対して通常兵器で反撃すると言っていますが、これが実際に可能なのかもわからないのです。軍事的に抑止の概念は不透明感を増しています。

 しかし、最大の変化はアメリカという国における政治的な変化です。アメリカは帝国であると同時に民主主義の国家です。自らの相対的な国力低下を見据え、犠牲の多い不毛な中東の戦争に国力を消沈し、内向思考を加速させています。それは、オバマ政権の性質であるとされていますが、おそらくは中長期的な民主・共和双方に共通する趨勢となっていくことでしょう。米国の東アジア戦力の根幹とされるエア・シー・バトルについても、空海軍力の機動性が強調されていますが、その本質はもはや陸軍を前方に張り付ける形でのリスクはとれないということです。陸軍を前方に張り付けることは、米軍への攻撃を誘発し、いやおうなく米軍を戦争に巻き込んでいくからです。

 この流れは歴史の奇妙な展開の上に成立しました。2001年当時、8年ぶりにホワイトハウスを奪還した共和党のブッシュ政権は、中国を戦略的競争相手と呼び対立を厭わない姿勢を強めていました。海南島での米中両国の航空機の接触事件が発生し、両国には緊張が走ります。この事件は、エスカレーションを望まない両国の実務者によってうまく対処されますが、冷戦後世界の世界情勢の対立構図を浮き彫りにしました。その構図を一変させたのが、それから数ヶ月後に発生したのが9.11事件です。この瞬間を持ってテロとの戦いがアメリカにとっての主戦場になりました。21世紀の世界にとっても、東アジアの安全保障にとっても決定的な瞬間であったことがわかると思います。

 話を沖縄に戻しましょう。従来の理解は、東アジアの安全保障環境は不安定化しており、在沖縄の米軍や海兵隊を削減することは抑止力の観点から望ましくない、というものでした。この問題は当然、日米双方が関心を持つ問題であるのですが、沖縄の海兵隊を抑止力と結び付けて絶対視する考え方は日本政府のほうに強かったのです。なぜなら、基地批判の立場が基地の価値を度外視する立場に偏っていたからです。本来沖縄の基地問題は、抑止力と住民負担をどこでバランスさせるかという課題なのですが、日本では長らく抑止力の問題が正面から語られなかった。結果として、基地負担は小さければ小さいほうがいいという言説が成り立ってしまう。これに対し、安全保障政策に責任を持つ政府関係者は、どうしても抑止力を固定化された絶対のものとせざるを得なくなったのです。

 現在、その主張の根拠が少しずつ掘り崩され始めています。米国内において、普天間基地辺野古移設には、従来から疑問が投げかけられていました。海兵隊の移設や、新基地建設には多額の費用が必要とされ、予算の制約に直面する米軍関係者から疑問が呈され、嘉手納基地への統合や多国間でのローテーション駐留も検討されていました。そして、民主党政権時代に最低でも県外と言って沖縄住民の期待を高めた日本政府に混乱の大きな責任があるものだから、安全保障を重視する現政権には、これが『唯一の選択肢』となるのです。

 日本側の混乱を見かねて、米国の関係者からも辺野古の新基地建設と海兵隊の沖縄駐留を絶対視しない発言が続いています。当初は、一部の学者などの周辺的な存在から発せられた発言は、長らく米国の東アジア戦略や日米関係への発言を続けてきたジョセフ・ナイ(ハーバード大教授)や、2015年から上院軍事委員会委員長に就任したマケイン上院議員のような米国のキーマンからも出てきています。いま現在でこそ、日本政府案がマケイン軍事委員会院長にも支持されていますが、マケイン上院議員の2012年時の対アジア政策全体に関するスピーチを見る限り(http://csis.org/files/attachments/120514_TPP_Senator_McCain_speech.pdf)、彼の持っている大局観が分かります。

 ナイ教授の2014年末の取材コメント:時事ドットコム:在日米軍「巡回駐留検討を」=沖縄の海兵隊も対象−ナイ元米国防次官補

 また、このような米国側の変化を受け、森本元防衛大臣岡本行夫氏などの日本側のキーマン達も発言を変化させつつあります。米海兵隊の抑止力「沖縄でなくても」森本元防衛相 | 沖縄タイムス+プラス

 これらのキーマン達は、冷戦後の米軍の縮小にも、各国との基地問題にも深く関わってきており、政治的に高度な要請がある場合には軍の戦術的な要請は曲げられるということを良くわかっています。彼らは、米軍のプレゼンスを維持しながら同盟国との間の現実的な落としどころを探っているのです。ワシントンのもっと政治化された勢力の中には、米軍の東アジアでの前方展開事態に懐疑的で予算削減にしか関心がない勢力も存在します。日米関係は、多くの国民と有識者が思う以上に、日米双方において脆弱化しつつある政治的合意の上に成り立っているのです。これから、10-20年して振り返ったとき、あれが米軍撤退の始まりだった、と思われる日は案外近いかもしれません。

 日本の安全保障の根幹に日米同盟が存在することは間違いありません。そして、日米同盟の礎は日米国民相互の信頼関係にあります。これを未来永劫絶対視することはできないけれど、現実に合わなくなりつつある拘りを掲げ続けることがプラスに働くとは思えません。安全保障を重視し、日米関係を重視し、国民から2/3の議席を託された現政権であるからこそ、これまでの経緯論を離れた大胆な政策を期待します。

f:id:LMIURA:20150328143712j:plain