山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

テロと自由と日本社会(2)―捕虜交換にひそむ倫理的葛藤

 日本人が人質となったテロ事件に新たな展開が生じました。正確な事実関係は深い霧の中にあって、事態の進展には絶えず疑いが生じます。それを前提としてですが、人質の一人の湯川さんは殺害され、テロリスト側の要求はヨルダンでテロ事件を起こした死刑囚と、もう一人の人質の後藤さんとの1対1の交換に変化しました。この新しい展開は、我々に何を突きつけているのでしょうか。

 日本社会は引き続き左右対立がメインの争点です。両陣営から発される怒りや中傷のメッセージには、政敵を非難するために今回の事件を利用する意図が感じとれます。もう少し穏健な反応にも、興味深いものがありました。テロリスト側の要求が、巨額のカネから人質交換へと変化したことに対し、解決に向けたハードルが下がったということが当然視されている前提があるようなのです。もちろん、複雑な事情もだんだん明らかになってきています。まず、ヨルダンの死刑囚が、夫とアンマンのホテルを爆破し多数の人を殺害しようとしたことは明らかになっている。ヨルダンではすでにイスラーム国にひとりの中尉を捕虜に取られていて、池内恵氏によればこの死刑囚との交換ならば解放されるのではないかという期待がヨルダン社会で高まっているといいます。つまり、イスラーム国は日本政府がカネにモノ言わせてヨルダン政府に特定の囚人解放を迫るよう誘導し、その裏でヨルダン人中尉は犠牲になるというストーリーを組み立て、ヨルダン政府とヨルダン国民の間に楔を打ち込もうとしていると。(氏のブログ「イスラーム国」による日本人人質殺害と新たな要求について - 中東・イスラーム学の風姿花伝)ですが、大方の反応は、人質交換の対象となった死刑囚の象徴性が語られると、「そうか、そんなに簡単じゃなくて残念」、という程度のトーンです。

 私もそうですが、違和感を覚えた方も少なくなかったのではないでしょうか。

 その違和感の根底には、やはり、戦後の日本外交の姿勢と、日本社会の姿があるような気がします。戦後日本は、明確な「敵」を作らずにやってきました。実際には、日米同盟の下で西側陣営に属し、特定の国々と敵対的な関係にあったというのが事実です。ですが、多くの場合政府は国民に対してはそのように説明せず、国民の側もそのように理解してこなかった。

 例えば80年代、ハト派的な気分を代表していた鈴木善幸総理は、日米同盟が軍事同盟である事実を否定します。実際には、日米同盟を外交の基軸におきながら、国民の反発を予想して、非同盟中立陣営のような自画像で自らをごまかしてきた。対照的に、直後の中曽根内閣が西側の一員であることを前提に、それまでになく率直に安全保障について語りました。一部の国民はそりゃそうだと思ったでしょうが、それまでの自己欺瞞のベールがはがされることに対して、政権には轟々たる批判が寄せられました。

 敵を作らないという国民の意識は、今に至るまで健在です。中国は、客観的には日本に対してしばしば敵対的な行動をとる国です。ロシアは、いまだに公然と日本の領海・領空を侵犯しています。しかし、脅威ではあっても、両国を明確に敵だという認識はありません。唯一例外かもしれないのが、拉致事件を認めて以降の北朝鮮くらいです。

 安全保障環境が悪化する中で、日米同盟への支持は高まり、米国が友であることの認識はだいぶ広がりました。それでも、敵はいないのです。イラク戦争に際して、小泉政権は、明確に「米国を支持する」と言いました。それは、サダム・フセインイラクは敵であるということと本来的には同義であり、国際社会はそのように解釈したわけですが、国内ではそういう風には解釈されません。

 世界には、実際に悪が存在するし、敵は存在します。残念ながら紛れもない事実です。だからと言って、敵を「悪の帝国」と呼び、「悪の枢軸」と呼ぶことは、実は、自らの手を縛ることになるだけで、問題の解決にはつながらないことも多いことは確かです。米国の対イラン政策や、対キューバ政策が長らく変なことになってしまっていたのは、このことと関係があります。国際社会とは敵とも共に生きていかなければならない世界だからです。

 しかし国際社会において、敵がいないことは、しばしば原則がないことと同一視されます。日本という国にもしばしば批判が向けられてきました。日本にとっての唯一の原則が、平和が大切ということと、人命第一ということでした。それが、一国平和主義的に世界を理解し、受容してきた日本社会が出した一つの答えでした。それは、自らの力量からくる現実策でもあり、自らを律する戒めでもありました。

 世界では、いろんなことが起きている。中東には、植民地時代からの歴史的経緯があり、双方に報復を繰り返してきた怨恨があり、安易に友敵概念を明確にすべきではない、と。そこに、日本人のDNAの中に存在する素朴な喧嘩両成敗的な感覚が加わるのです。この認識が、戦後リベラリズム的な、平和国家理解の本質でした。そこには、良き伝統と言える部分があったのは事実ですが、都合の良い自画像であることもしばしばであったといえるでしょう。

 安倍外交の積極的平和主義には、戦後日本のこの知的伝統を乗り越えようとしている部分があります。積極的平和主義には、「平和」を紛争に巻き込まれないという受動的な状況として理解するのではなく、積極的に平和的な環境を作り出し、維持するという意思がこめられています。既存の平和に挑戦し、既存の国際ルールを犯し、人道的な原則に反する行動をとる集団に対しては、積極的に行動するということです。なにも、直ちに武力攻撃するということではありません。が、人道支援にせよ、経済協力にせよ、これまでよりは何が正義かを明確にした上で一歩踏み込むということです。

 今回の安倍総理の中東歴訪に際して、日本は、イスラーム国に対抗する平和を作り出すことに積極でした。日本外交には、イスラーム国の台頭の結果として苦しむ人々を助け、これ以上の拡大を阻止するという明確な目的がありました。それは、積極的平和主義の考えに基づく一つの解答でした。積極的であり、かつ、平和的であった日本の政策は高く評価されるべきでしょう。

 そもそもイスラーム国を「国」と看做すべきか否かという、技術的な論点は確かにあります。けれど、本質的には、イスラーム国は敵なのかそうでないのかということは、日本社会が真剣に検討すべき問いです。彼らは、誘拐とテロを生業として力をつけ、統治原理の根本には恐怖があります。基本的人権は認めず、征服した先の女性や子供は奴隷として戦闘員に分け与えられています。国際社会は、イスラーム国を、人類と文明にとっての敵であると宣言しています。人類と文明の敵であるとするならば、すなわち日本にとっても敵なのでしょうか。

 日本社会には、それでも、敵であるとは言えない葛藤があるようです。しかし、イスラーム国のような集団をさえ敵としないとするとき、我々には、自国民の安全以外に拠って立つ原則はないということなのでしょうか。日本の平和主義は、敵であることと向き合えない幼児的思考ではなく、敵であると認めたうえで、それでも、その敵とともに生きていかなければならないという大人の、試練を経た思考であるべきなのではないでしょうか。

 私は、世の中は、白と黒では割り切れないグレーな世界であると繰り返してきました。人質交換の条件を前にして日本人が行おうとしている決断もグレーなものです。日本人との交換が想定されているヨルダンの死刑囚は、多くの何の罪もない一般人を殺害した犯罪集団の戦闘員です。その解放は、犠牲となったヨルダン市民の具体的な死とその家族の思いを踏みにじるものであり、野に放たれた犯罪者によって犠牲が繰り返される危険を負うものです。

 日本政府としては、自国民の保護に責任を負っているのですから、ヨルダン政府に対して人質交換に応じてくれるように依頼しなければならないでしょう。その依頼が、どれだけ倫理的に後ろめたいものであったとしても。ヨルダンが、依頼に応じてくれるなら、経済援助を積み増すというようなことも言わねばならないかもしれません。

 長らくテロリズムの最前線にあるイスラエルは、過去に何度も人質交換に応じてきました。彼らは、人質交換という行為が宿している倫理性の葛藤をよく理解しています。実際、交換された人質が帰ってきた日には、国全体にお葬式のような沈鬱な空気が垂れ込めるのです。その命が、何によって贖われたかが意識されるからです。人命第一と言うのは、実は非常に厳しい決断なのです。

 仮に人質交換がうまく運んで日本人の人質が開放されたとすれば、それは日本外交の大きな成果であり、人質本人はもちろん、その家族にとっても、日本社会にとっても安堵すべきことです。しかし、それは正義を曲げ、新たな危険を負うことで贖った成果であることを忘れるべきではありません。間違っても、羽田空港でフラッシュをパチパチたいて、日本人の人命第一がまっとうされて良かった良かったなどということにならないといいなと思います。それは、人命第一の理想を安売りするものであり、平和国家を掲げてきた日本としてあまりに恥ずかしい。

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