山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

根本的な改革と目の前の改革 : 佐賀県知事選を題材に

 昨年末、まち・ひと・しごと創生に関する「長期ビジョン」と「総合戦略」が閣議決定されました。第二次/第三次安倍政権の看板政策がいよいよ動き出します。地方創生についての詳しい論評は後日行うとして、まずは、評価できる点、懸念すべきと思っている点を簡単にまとめます。

 評価できる点は、地方の活性化の文脈でこれまでなされてきた単純なバラマキを是正しようという発想があること。これは大きな進歩です。もちろん、今後、「地方からの要望が強い」自由度の高い交付金なるものがどのように運用されるかに拠ってきますが。一過性のカンフル剤では地方は絶対に豊かになりませんから、たとえ建前であったとしても、そのようなことが語られること自体評価すべきです。

 また、至極あたりまえのことなのだけれど、地方創生について、その責任は地方にあるときちんと言っていることです。これまでの地方活性化は、地方を受動的な東京一極集中の被害者として位置づけた上で、東京から「分け前を取ってくること」にフォーカスしていましたので、この点も一歩前進です。加えて、いくら地方創生と言ってみたところで自立的な政策立案など期待できない現実の地方に対して中央官庁や民間の専門家を派遣することで答えようとしていることもいい発想です。この点、せいぜい100人程度の派遣しか想定していないようですから、象徴的な意味合いしかありませんが。本格政権の看板政策なら、どうして、数万人規模で派遣しないのでしょう。

 懸念点の方は、もっと本質的です。最大のポイントは、中央集権的な権力行使のあり方をそのままにしているということです。この点、山猫の立場は、地方創生にはラディカルな地方分権を通じて行う以外には解はないというものですから、もっとも心配な点です。国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の下で、各地方自治体も自らの地域についての戦略をつくるということに主眼を置いていることも問題です。正直申し上げて、お役人が作る壮大なビジョンや戦略は殆ど役に立ちません。しかも、今まで似たようなビジョンや戦略を何度も何度も作ってきているわけですから。

 加えて、言い方は難しいのだけれど、すべての地方が生き残れるかのような幻想の下にできているということです。地方創生の方向性に一石を投じた増田元総務大臣のレポートが明らかにしたのは、多くの地方は消滅の危機に瀕しているという現実です。だからこそ、地方創生が重要なのですが、それによってもすべての地方が生き残れるわけではありません。統一地方選前の微妙な時期にそんなことは言えないのだろうけれど、正しく地方創生するということは、生き残り競争に勝ち抜くということなのです。

 以上のように、地方創生ということにひきつけて言うと懸念すべき点が多いのですが、安倍政権のこれまでの経済改革については、ある程度評価すべきと考えています。特に、古い農政の象徴であった減反政策の転換や、農協の中央会制度の改革、医療における混合診療の一部解禁などは、これまで何十年と主張されてきていっこうに進まなかった大玉です。アベノミクスの本丸の第三の矢はこれから正念場を迎えるわけですが、歴代政権と比較してもこれまでの成果はむしろ過小評価されているくらいです。そのように理解すると、象徴性が際立ってくるのが今般の佐賀県知事選挙です。

 知事選は、与党が全面的に支持する樋渡・前武雄市長と、山口・元総務省職員による保守分裂による事実上の一騎打ちとなっています。武雄市での改革の実績と知名度を生かして当初は樋渡氏の圧勝が予想されていましたが、多くの首長や県議、農協や漁協、連合などの支持を得た山口氏が猛追していると報道されています。保守分裂の背景には、前職の古川氏の国政転出から樋渡氏擁立への流れからはずされた形の地元がへそを曲げたということもあるようです。しかし、より本質的には、地元保守政界における安倍政権が進める農協改革や規制改革への反対という構図があります。

 樋渡氏は武雄市長として面白い実績をあげてきました。もっとも有名なのは、TSUTAYAが運営を担当する市営の図書館でしょう。元々、温泉や陶芸など一定の観光資源はある地域ではあったにせよ、人口5万人の市の図書館に100万人が訪れたというのは画期的です。その他にも、リコール請求にまで発展した市民病院の民間移譲、自治体が運営する通販サイト運営、ソーシャルメディアの積極的利用などがあります。日本の地方のように、必ずしも変化を肯定的に捉えない風土において、他とは違うことをやってきた方ですから、人物としてはそれなりにクセがあり、多少お行儀の悪いところもある方のようです。

 他方の山口氏ですが、地元保守政界から安定感と中央とのパイプを期待されている典型的な総務官僚出身候補という位置づけであろうかと思います。双方が保守系ということもあり、玄海原発の再稼動の問題や佐賀空港へのオスプレイの配備については、いまのところ大きな論点とはなっていないことも特徴的です。

 この選挙の象徴性が高いと申し上げているのは、日本における改革について考えさせられるからです。フェアに見て、武雄市の改革にはこれまでにはなかった見るべきものがいくつもあります。それは、消滅の危機を打ち返すほどの成果とまでは言えないにしても、現行の枠組みの中でやれることとしては全国トップレベルです。樋渡氏自身が武雄市長就任以前は総務官僚であり、現行制度の枠内で可能なことをやったということなのでしょう。悲しいのは、日本の地方においては、この程度の改革を進めるだけでいかに、まるで悪魔であるかのように叩かれるか、ということです。こんな風土では、それぞれ志はあっても、相当クセのある人しか、そもそも、ここまで踏み込もうとしないでしょう。

 それは、小泉元総理が根強い人気を誇りながら、一部からは悪魔化されていたことや、橋下大阪市長が一定の改革の成果を上げてきた中で不均衡なほどに叩かれてきたかとも通じています。

 橋下改革との対比で、もう一つ思うのは「改革の規模」という発想です。武雄市の改革は、関係者のビジョンと努力の賜物であり、それ自体は十分に賞賛されるべきものです。しかし、それはあくまで5万人規模の小さな改革であり、冷徹な見方をすれば、武雄市の成功は、周りに旧態依然とした保守的なライバルしかいなかったから可能だったわけです。それは本稿が主張する地方の生き残り競争の一つの形ではあるけれど、全体から見れば、あまりにも規模が小さい話で、応用可能性は限られています。

 日本に必要なのは抜本的な改革です。しかし、目の前の改革もできないのに抜本的な改革などできようはずがありません。目の前の改革を積み上げるのがめんどうだから、あるいはそれでは勝算が低いから、ガラガラポンでリセットしようという発想ももちろんあります。それも必要かもしれませんが、それは通常の民主主義とは違うものであり、何らかの平時を越えたものを想定しています。

 安倍政権が進める地方創生は、根本的な改革については、踏み込み不足を懸念します。一方で、佐賀県知事選の構造が物語るのは、地方の保守政治の現実は目の前の改革にさえ抵抗しているということです。佐賀の有権者の良識に期待すると共に、変わることを拒絶する対価は消滅であるということを今一度噛み締めるべきでしょう。

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*写真は武雄温泉の大庭園