山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

第三の矢 ー 安倍政権の経済改革の歴史的位置づけ

 安倍内閣の経済政策が大きく動いているようです。しかし、それは多くの方の実感には反するかもしれません。安倍内閣がこれまで進めてきた最重要の政策は、もちろんデフレ脱却を目指して行われてきた金融政策です。国内外を問わず、経済誌や専門家の論調は、アベノミクスの勢いが陰ってくる中で、中長期的にもっとも重要で、かつ、難易度も高い第三の矢は不十分であるというものではないかと思います。正直申し上げて、本稿も、当初そのような見方をしておりましたが、最近では一歩引いてみると違う見方ができるのではないかと思っております。

 安倍内閣が発足してから方向性が決められた第三の矢にかかる主な政策だけでも、実は相当なリストになります。例えば、先日総理から検討の「指示」が出された混合診療の解禁/拡大。総理から指示が出るまでには、霞が関内外で激しい攻防があるのが通常ですので、改革がいったんはその方向で進んでいくものと期待できます。農業では、日本のこれまでの非競争的な農政の失敗の象徴的存在であった減反政策の廃止や、農業大国である豪州とのEPAの妥結も大きい。もちろん、今後、オバマ大統領の訪日や秋のAPECに向けてTPP交渉が大詰めを迎えます。

 労働人口が減少する中で経済成長を実現するために不可欠な女性の労働投入量増加に不可欠な配偶者特別控除の見直しも、歴代内閣が大きすぎて手を付けなかった課題です。成長戦力を金融面から支える試みとして、官民ファンドの創設/拡充や、民間ファンドの育成支援を通じたリスクマネーの供給にも手を打っています。リスクマネーの向かうべき先は広義のニュービジネスですが、起業をしやすくするための手続きの簡易化にも言及しています。郵政の上場準備が進んでいるのも、そもそも金の流れを官から民に移すための一連の改革の最終段階です。改革案件の中では、今後の方向性が最も不透明なものではあるものの、法人税の減税も俎上に上っています。

 その他にも、様々な分野で準備が進んでいる特区構想では、外国からの投資受け入れ拡大や、労働規制に風穴を開ける可能性のある画期的なテーマです。これらの改革は、もちろん緒についたばかりです。特に「規制改革の成否は細部に宿る」という格言からすると、今後、骨抜きにされてしまう可能性もあります。しかし、少し前までの政官界の常識からすれば、難しいと思われていた大玉の改革が次々と進んでいるのも事実です。

 改革なくして成長なしと訴えて経済改革を進めた小泉内閣の大きな成果は、不良債権処理、道路に象徴される公共事業の縮小、地方の三位一体改革、そして郵政民営化くらいですから、現在示されている改革案件を実現できるとすれば、それに比肩すべき成果と言えるでしょう。安倍内閣の経済政策が実際よりも評価されない理由は主に三つあるのではないかと思っております。

 一つには、当たり前ですが、まだ成果が出ていないからです。経済成長を持続的に2-3%まで持ってきつつ、財政をコントロール可能な水準で抑えること(プライマリーバランスの黒字化が想定できるところまで持ってくる)は、現在の世界経済においては高いハードルです。小泉政権後半の好景気は、米中の好景気と世界中のマネーがジャブジャブの中で起きたことであり、そこと比較するのはちょっとアンフェア(=酷)かもしれません。

 二つ目は、安倍政権が衆参で盤石の政権基盤を持っており、しかも、党内にも、安倍総理に取って代われるような政敵や与党内野党的存在がいないことです。結果として、安倍総理は、改革を進める上で小泉政権がしばしばとった、対立を煽って求心力を高める手法をとる必要がありません。安倍総理も、“Buy my Abenomics“と言ってみたり、規制改革に向けて自ら“ドリルを持つ“と言ってみたり、相応のパフォーマンスもされるのだけれど、基本的には日本に対するパーセプションを変えたい対象である外国での発言が中心です。国内では、ご本人の性格もあるのでしょうが毛並が良いというか、むしろ巨大与党として尊大と思われないように丁重さを心掛けているように見えます。つまり、マスコミをはじめとして我々の多くが感じていた小泉政権時代の経済改革の勢いは、改革そのもののインパクトというより、改革に付随して展開された政界の人間模様であり、権力闘争だったのではないでしょうか。マスコミも、わかりやすいストーリーがないと売れないのでしょうがないのだろうけど、野中広務氏や亀井静香氏に匹敵するような人間味のある大物の悪役がいないとストーリーは盛り上がらないものです。

 三つ目は、安倍政権が進めるいわゆる外交/安全保障分野の保守的な政策とカップリングされていることです。歴史問題や安保の問題は、細かい規制改革の問題よりも思想・信条に直結するわかりやすい問題なので、マスコミの取り上げ方も大きくなります。報道の内容についても、本来的には安倍内閣の経済改革を支持したいはずのリベラル勢力にとっては、政権の思想的DNAが気に入らないので支持できないということになっている。反対に、経済改革の反既得権的性格に反対したいはずの保守勢力は、安倍内閣の保守的性格故に攻撃の手を緩めざるを得ず、結果的に論争が盛り上がらない。

 以上のような要因から、安倍政権の経済改革の成果が過小評価される構造があるように思います。もちろん、今言われているような改革はすべて20年来議論されてきているものばかりであって、それが実現した程度で喜んでいてはいけないという戒めを言われる方もあるでしょう。日本政治にこれまで欠けていた安定性が加わるだけでも、だいぶましになった、というのも一面の真実です。しかし、そう言ってしまっては過去20年間の閉塞感が打ち破られつつあることへの時代認識というか、ありがたみがないというか、日本的な感覚としてはそんな風にも思います。日本もようやく、首相が一年ごとにころころ替わる、いわゆる問題外の状況から、政権の歴史的な位置づけやレガシー(=歴史的偉業)について議論できる環境が整ったということではないでしょうか。

 先進民主主義国の指導者であれば、最低限の政権基盤や支持率を達成した後には歴史的な位置づけについて敏感になるものです。識者の視点によって立場は違いますが、例えば、米オバマ大統領であれば、今では内政/外交ともに政策は停滞しているものの、歴史的には米国を金融危機から立ち直らせ、イラクアフガニスタンの戦争にメドを付けたということが歴史的な意義でしょう。加えて、米国民の人種構成や価値観の大きな変化を体現しつつ、過去30年の間に広がった貧富の格差是正に取り組んだということになるでしょう。英キャメロン政権であれば、同じく金融危機からの回復をどのように実現するかということですが、EUとの距離感であったり、英国民の価値観の多様化の中にあって保守であるというのはどういうことなのか、模索しているように思えます。

 翻って安倍政権が目指しているレガシーとは何なのでしょうか。安倍総理本人の過去の言動から判断するに、やはり「戦後レジームからの脱却」という言葉に象徴される日本という国や国民にとっての誇りや偉大さのようなものが中心にあるのでしょう。政策としては、憲法改正に象徴されるのだと思います。多くの識者が指摘するとおり、この最終目標は第一次政権から変わっていないけれども、そのために経済の回復を通じた日本人の自信を回復させることが重要で、そのためにはデフレ脱却と成長が不可欠という部分が、大きく違うようです。第一次政権、第二次政権で安倍総理は政権の要である官房長官に塩崎氏と菅氏を任命しました。両氏は、ともに自民党を代表する小さな政府主義の論客であり、かつての区分でいうと上げ潮派ですから、安倍総理も経済政策では新自由主義的な傾向を持っていると考えるべきでしょう。しかし、安倍総理は、同時に地域、伝統、家族等の重要性を繰り返してきました。判断が難しいのは、これが保守的な支持基盤へのリップサービスなのか、総理自身が反資本主義的な性向を持ち合わせているのかという点です。真実はおそらく両者の中間にあるのでしょう。一国の物質的豊かさは必ずしも偉大さにはつながりませんが、偉大さを実現するには一定程度の物質的豊かさが重要ですから。

 安倍政権の歴史的位置づけを決めるのは、超高齢化社会の現実の中で、他先進国並みの2-3%成長を実現し、国民の反発が必至な社会保障費に切り込むことで財政を制御可能なところまで回復させることです。このような成果を、敗戦や経済危機のような経済的な“戦時下”ではなく、平時の民主主義プロセスの中で実現できたならば、世界の経済史に残る偉業であると言えるかもしれません。とはいえ、それは日本を持続可能なところに戻しただけですから、歴史的位置づけの議論にはもう一歩期待したいところでしょう。保守であることはゆるぎない安倍政権ですから、結局開放的な保守か、内向的な保守かということに帰着するのではないかと思います。

 次回は、このあたりについていま少し深く堀りさげたいと思います。