山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

共和主義者のジェンダー論

 安倍政権は女性活用を重視しているようです。「第三の矢」の成長戦略への注目が高まる中で、「三年間抱っこし放題」のキャッチフレーズとともに有名になった育児休業の延長や、5年間で待機児童をゼロとすることなどが目玉であり、ダボス会議では指導的立場における女性の比率を30%まで高めることも表明しました。政策目的は個人の自由や公正や平等よりも経済成長のようです。ただ、「保守主義者のジェンダー論」だからこそ、政策のメインストリームに乗りました。そして、保守主義者がリベラリズムの大義を別の目的から推進する典型的な政策ですから、保守、リベラル双方の陣営から概して評判は良くないようです。

保守主義者達は、女性の活躍を信じていないか、本質的に関心が無いので、例えばクォータ制の負の側面に飛びつきます。現行の人材構成を前提に指導的立場の女性比率を30%まで高めたら、能力では勝る男性が割りを食う場面は個別にはあるでしょう。クォータ制とはそもそも、短期的に割を食う者がいたとしても長期的には社会全体のためにプラスであるという論争的な性質を有する政策ですから、このあたりにケチをつけている人々はそもそも男女平等の大義を本質的には信じていないのだと思います。

 安倍政権の政策は中小企業にとっては現実的ではないという批判も良く聞かれます。ギリギリのところで経営されている企業ももちろん存在するので、この批判の一部は当たっているのでしょう。しかし、男女平等にそこまでコストをかけられないよ、ということを言っているに過ぎないので、こちらも多くは大義が信じられていない部類に属します。中小企業、中小企業ときまって持ち出すメディアの中には、地方の多くの中小企業が実際には女性の労働力に依存しているリアリティーをご存じない方も多いのだと思います。中小企業の利益代表の多くが中高年の男性で、歴史的に男性労働者の割合が多い業界を代表していることも一因ではあるのですが。もちろん、もう少しあからさまに性役割分担論を主張して、男女雇用機会均等法のような既存の枠組みを攻撃する保守の論客の方もいらっしゃいます。

 リベラル陣営からの評価もあまり良くないようです。そもそも、経済成長を目的に女性の権利を論じること自体がけしからんという原理主義的な立場は、伝統的な左派グループに多いようです。もう少し、現代的な感覚をお持ちの合理主義者達の批判は幾分建設的です。例えば、育児休業を延長するのはいかにも古い発想で、それでは第一線のキャリアを持つ女性は復帰できなくなるという反応や、役員を「最低一人」女性にするだけでは女性が孤立してしまい、会計士や弁護士などの専門職の掛け持ち社外取締役が増えるだけであまり本質的でないという反応もありました。それぞれの分野で活躍されてきた専門家のご批判として、ごもっともという印象です。個別の論点はいろいろあるでしょうが、全体としてシラけた雰囲気があるのは、そもそも安倍政権の保守的な傾向と肌合いが違うのかなという印象です。

 戦後フェミニズム運動の根幹にある発想は個人主義です。人はすべて自由であり平等であるべきという個人的人権の尊重の発想です。これは、女性の公民権(もっとも重要なものは選挙権、被選挙権)や財産権に始まり、男女雇用機会均等法の制定を通じてピークを迎えます。この時点で、法的、制度的な平等の大層は実現されます。民法の再婚期間をめぐる規定のように時代遅れの規定は部分的には残りますが、全体としてみればたいした影響はありません。フェミニズム運動の重心は保育施設の充実や、介護保険の導入へと移ります。それは、文化/慣習として子育における性役割分担の意識が色濃く残っているため、実質的に平等を担保する制度設計が重要となるからです。

 戦後フェミニズムのいまひとつの柱は、社会的弱者としての女性と子供に対する、「守られる権利」の獲得で、母子健康法や生活保護における母子加算をめぐる制度などがこれにあたります。多くの識者も指摘するように、日本の保育行政の問題の根幹は、「保育に欠ける」かわいそうな子に対して提供される福祉サービスという、弱者保護の発想に則っていることです。少子化でガラガラの幼稚園と、働く女性の増加で入所困難な保育園を一体化できないのは、もちろん役所の縦割りの問題であり、それぞれの利益団体の問題でもあるのですが、根幹はこの辺りにあります。

 個人主義に立脚するフェミニズム運動には二つの致命的な弱点があります。一つは、個人主義に立脚する以上、当然、個人の選択の自由を尊重せざるを得ず、日本に色濃く残る専業主婦層の権利を取り込む必要があることです。日本の有権者の過半数は女性ですので、仮に女性票が利益団体として一致団結しているならばどんな政策でも押し通せてしまうのですが、世代的/文化的/階層的な分断があるのでそういうことにはなりません。結果的に、日本のフェミニズム運動は相対的に富裕で、文化・教養層に多い専業主婦の権利を重視する形で進展します。これは、フェミニズム運動を幅広い層に受け入れやすいものとする効果があった一方で、運動の求心力を削ぐことになりました。フェミニズム運動が内部に路線対立を抱えた結果として、労働参加や、指導的な立場の女性比率などの指標で国際的に劣後する状況が続きます。

 フェミニズム運動の二つ目の、より本質的な弱点は出生率の低下という共同体にとって死活的な利益とぶつかってきたことです。出生率の低下は、日本という共同体の中長期的な存続と健全性を考えたとき、最も深刻な脅威ですが、この脅威が女性の社会進出にともなって深刻化してきた因果関係は否定しにくい。もちろん、女性の社会進出で先行する北欧諸国や米英豪等のアングロサクソン諸国は出生率を反転させてきており、女性の社会進出=出生率の低下ではありません。個別の政策レベルでは、これらの国々における社会的価値観の変遷(特に家族像における多様性の許容)、適切な政策誘導の効果には見習うべき点が多い。政治思想というか、人々の考え方の根源のレベルでは、フェミニズムが立脚する個人主義の限界を指し示しているように思います。フェミニストの多くは女性の個人的な権利のために戦ってきているので、運動の副産物である出生率の低下に関心が低い。そして、根っこが保守的な男性リーダーが無神経に「産む機械」云々などというものだから、カチンとくるわけです。自由の追求を最優先する個人主義の極大化が共同体の死活的利益とぶつかる場合には、結局は人々に自由をもたらさないということが、経済分野における金融危機の教訓だったとすると、ここにも類似の構造があるように思います。共同体の死活的利益に対して無関心な運動に支持が集まるはずがありません。

 そこで、共同体の利益を重視する発想=共和主義に基づくフェミニズムが重要になるのです。現代の共和主義というのは、個人の権利より集団の権利を優先する時代遅れの発想ではありません。国のために「産めよ殖やせよ」では断じてありません。それは、自由で豊かな市民という強固な土台の上に、共同体の利益との調整を図る試みです。女性が働き続けたいかどうか、子供を産みたいかどうかは不可侵の個人の選択であることを明確にした上で、共同体として子供を大切にすること、子供を生み育てる家族を最優先でサポートすることを目指す発想です。現代的な意味での共和主義をイメージしていただくために一つ例を挙げましょう。共同体にとっては防衛というのも死活的な利益ですが、自由で豊かな社会において「お国のために死ぬ」という発想は成り立ちません。個人の自由と共同体の利益を両立させるためには、兵士の待遇を可能な限り改善した上で、社会的な名誉や特権を与える必要があります。構造は同じです。

 話を安倍政権の女性活用策に戻しましょう。ここでの共同体としての利益は、女性の労働力の投入増を通じた経済成長とともに、女性の社会進出にも拘わらず出生率を増やすことであり、それを自由主義の前提の下に行うことです。現在進められようとしている政策にリアリティーがないのは、女性が、仕事も子育ても前面にたって行うという発想に基づいているからです。経済成長を牽引するようなキャリアを持ちながら、(複数の)子供に十分愛情と時間をかけて育てるというのは、ごく稀にしか存在しないスーパーウーマンを前提にしており、私の個人的な知り合いを見回しても、まあ実家等のサポートなしに実現できている例は見当たりません。日本の政策担当者というのは、結果指標に責任を持たないというのはすべての分野でそうなのですが、この問題では特にひどい。おそらく、女性の社会進出を前進させながら、同時に出生率が本当に回復すると思っている人も、回復させることに責任を感じている人もほとんどいないのが現実だと思います。

 具体的な政策レベルでは、諸外国の成功事例に基づくセンスのいい提案も数多くなされていますのでどんどん取り入れればよい。それは、出産・子育てを社会全体でサポートするという根幹の発想に基づく保育サービスの質/量の充実であり、男性を含む長時間労働の問題と本気で向き合うことであり、子育ては女性が担うと言う発想で進められてきた政策を一つ一つ丁寧に見直すことです。例えば、母子手帳は、本来、親子手帳であるべきでしょう。男性も女性も、夕方には子供のお迎え時間に間に合うかどうか、ソワソワする社会が正しい姿です。間違っても、交際費の損金参入を認めてみんなでノミニケーションを図れば景気回復するという発想ではありません。これまでの社会主義的な発想ではなく、バウチャー等の導入を通じて、保育園からナニーサービスまで個人の選択の幅を広げることです。子供の保育にこそ、量だけでなく質が重要なのですから、保育支出の税額控除を認めて所得階層に合わせてより高額な支出をおこなう選択肢を与えれば、保育産業が花開く土台にもなるはずです。

 共和主義者のジェンダー論は、個人主義に基づく、「守られる権利」や「平等な権利獲得」の果実の上に、共同体の宝である子供の福祉を重視する、「みんなでサポート」する政策へと転換することです。

f:id:LMIURA:20171029130140j:plain