山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

野党再編(2)

 前回のエントリーでは、今後数年の日本政治の重要テーマである野党再編について、地方までを含んだ保守系二大政党制が確立するかどうかがポイントであると申し上げました。それでは、日本全国保守一色になってしまうのではないかという懸念をもたれる方がいらっしゃると思いますが、それは必ずしもあたりません。なぜなら、歴史的にはリベラルな勢力がリベラリズムの担い手であったとは必ずしも言えないからです。むしろ、日本を始めとする多くの国においてリベラリズム権威主義者や保守主義者によって推進されてきました。リベラリズムが多くの場合、本来の個人の自由と幸福の追求を通じてではなく、もっと不純な、それでいて強力な動機に基づいて進められてきたからです。

世界史的に最も有名な例は、近代国家における社会保障の雛形を形づくった帝政ドイツにおけるビスマルクの一連の改革でしょう。ビスマルク改革の対外的な目標は富国強兵であり、そのためには兵士として動員可能な層への飴が必要でした。同時に国内的には皇帝を頂点とする貴族層の特権的な国体の護持が重要でしたので、資本主義を通じて勃興しつつあった自由主義者への対抗という意味合いも存在しました。米国における戦後の公民権運動の成功も、大戦と朝鮮戦争で勲功を立てた黒人兵達の存在抜きにはおぼつかなかったでしょうし、英国の国民皆保険制度も労働者階級の動員の対価としての側面があります。国家総動員の時代におけるリベラリズムの大義の大きな推進力は実は戦争だったのです。

 日本にも同様の構図が存在しました。明治のリベラリスト=自由民権運動論者達は、普通選挙に象徴される平等な権利を有する国民を作り出すためにも、徴兵を始め国民の義務を重要視していました。そして、自由民権運動の高まりと呼応するように権威主義的だった当時の政府も義務履行と引き換えに上からのリベラリズム改革を推し進めていきます。この図式が変わったのが敗戦です。言うまでもなく、戦後リベラリズムの起源であり、土台はGHQ主導の諸改革です。

 米国の戦後統治の目的は、日本の特権階級に深く根付いていた権威主義の芽を摘んで再び敵国となる事態を避けることから、冷戦の激化を踏まえ上からの(穏健な)改革を通じて日本の共産化を防ぐことへと変化していきます。戦後の諸改革は、GHQという絶対権力の威をかる官僚たちによって次々と実行に移されます。財閥解体農地改革を通じて、経済利権を次々に駆逐されていきますが、これを担ったのがGHQが温存した日本の官僚機構であり、統治利権の担い手たちです。GHQの民生官僚に浸透していたニューディール的なリベラリズムは、日本風にアレンジされながら、司法、社会保障、教育などの分野でも推進されていきます。興味深いことに、この戦後リベラリズムが戦後の統治利権のDNAとなっていくのです。官僚機構に働く強力な慣性の法則は組織防衛とつながっています。大幅な政策変更は、通常組織への介入を意味するものだからです。そして、官僚機構にとって憲法を頂点に形作された戦後秩序を守ることが組織防衛にもつながるDNAとなっていきます。確かに、サンフランシスコ講和条約を通じて主権回復した後に骨抜きにされた改革も一部には存在します。しかし、当時の世論や、保守的な国会議員の思想・信条から考えるとリベラリズムの定着とその後の継続した推進には驚くべきものがあります。近年の格差論議の核心にある非正規労働者の増加を重要な例外としつつ、戦後リベラリズムは、個人の自由も平等も、一貫してよりリベラルな方向に進化させてきました。

 法務省は戦後の民法を旧来の家制度を復活させる方向に持っていくことはなかったし、社会福祉政策や労働政策は、厚生労働省主導で着実に高度化してきました。一般に、日教組との対立を通じて、「反動」的と認識されている文部省(現文部科学省)でさえ、自分たちのコントロールを最重視していただけで、戦後リベラリズムの果実の擁護者であり続けたというべきでしょう。経済成長を通じて中産階級が勃興し、戦後に精神形成した国民の比率が高まる60年代中盤以降は、リベラリズムも徐々に国民の多数派が支持するホンモノになっていきます。確かに70年代以降は、社会福祉のバラマキ的要素や、リベラリズムの新分野であった環境保護などの要素を取り込んだ政治家も現れ、民主主義主導でリベラリズムが進んでいく部分が増えていきます。しかし、現在に至るまで、リベラリズムの最大の擁護者は、強力で統制の取れた統治利権の担い手達です。

 戦後日本は、統治利権を担うエリート達を世界的に見ても非常にフェアな方法で選別、育成してきました。統治利権の担い手たち=官僚+官僚出身の政治家一世、は基本的に試験の成績が良かった人たちで、お金はないけれど、権力を持つ人たちです。新興国はもとより、先進国でも経済的な特権階級と権力を有する階級には大きな重なりがあるのが通常ですが、日本ではこの重なりが非常に小さい。多くの方にとって、戦後のジャパニーズ・ドリームを体現した人と言うと、田中角栄松下幸之助が思い浮かぶところだと思いますが、彼らに当たる人は各国にも存在します。むしろ、戦後リベラリズムの成果を誇る観点からすると、名もなき多くの財務次官や外務次官達の多くが中産階級の出身であり、大きな権力を振るってきたことの方が世界史的に稀有な現象です。統治利権の担い手達は、経済的な特権階級をそれだけでは権力には近づけなかった代わりに、彼らを過剰に排斥もしませんでした。結果として日本には、これまでのところ持続的に権力を行使する政商も、祖国を捨てて大々的にキャピタルフライトする層も生まれなかったのです。

 これまで、戦後リベラリズムの主導的な担い手が統治利権の側だったことを振り返ってきました。また、そもそも日本政治の今後の展開の鍵は、全国規模の保守系二大政党制が出現するか否かであるとも申し上げました。この二つの命題は、目下の現象である野党再編とどういう関係にあるのでしょうか。双方が本質的には保守系であったとしても、二大政党制である以上、何らかの争点を形作る軸が必要になります。これまで申し上げてきたとおり、この軸は、歴史的な経験と日本全国に広がる利権構造から言って、統治利権重視か経済利権重視かにならざるを得ません。

 非自民の保守系勢力が経済利権を代表したいとするならば、自民党を統治利権の側に追いやる必要があります。この場合の政策志向は資本主義重視であり、小さな政府であり、例えば所得税の累進性の緩和等が重要になってきます。例えて言えば、米国の共和党に近い主張になるはずです。通常、小さな政府を主張するだけでは有権者の多数をひきつけることができませんので、歴史的・文化的に保守的な傾向を併せ持つことになるはずです。民主、維新、みんなの野党各党に少しずつ存在する傾向です。

 反対に、非自民の保守勢力が統治利権を代表したいならば、自民党を経済利権の側に追いやる必要があります。政策志向は大きな政府で反資本主義的となるはずです。権威主義的でありながら戦後リベラリズムを擁護する、エリート主義的な立場をとるはずです。自民党の議員の多くが二世/三世で経済的にも特権階級化しつつあることを攻撃し、公認候補から可能な限り二世/三世を排除し、女性の比率を高めたりすることにもなるでしょう。90年代以降、自民党の二世/三世化が進み、経済利権の側に傾いていくにつれて、多くの有為の官僚が民主党から出馬しましたが、現在でも、民主党の一部に垣間見える傾向でしょうか。

 実現可能性は低いでしょうが、論理的にあり得るのが、現在は存在しない「保守を分断する論点」を作り出すということです。グローバリゼーションや地方分権への姿勢はそのような可能性を秘めています。開国保vs鎖国保守、あるいは、中央集権保守vs地方分権保守という構図は成立する余地はあります。ただ、社会的によほどの変革期にでもない限り新しい論点を人工的に作り出すことは非常に難しいことです。

 自民党の本質が統治利権と経済利権を絶妙にバランスさせ、両者を絶対に手放してこなかったことだとすると、以上のような構図が形成される可能性はきわめて低い。ただ、それは今後二度と政権交代がおきないということではありません。90年代を通じて自民党は徐々に経済利権へと比重を移していき、リーダー人材の発掘/育成機能を低下させていきます。小泉政権が統治利権と戦うと言う「ウルトラC」を成功させて一時期求心力を回復させますが、これはいわば終わりの始まりで、後継内閣は改革姿勢を持続できず求心力を失います。2009年の民主党のように、反自民の風を受け、本質的に自民党に対抗するだけの持続可能な権力基盤を確立しないままに瓦解するパターンは今後もありえるでしょう。

 持続的な二大政党制が定着するか、自民党の一党優位体制が続くかどうかは、結局は自民党が自らのDNAを忘れ、2009年の政権交代直前のような「普通の政党」となってしまう場合ではないでしょうか。そういった意味では、野党再編は注目すべき動きではあるけれど、自民党の党内改革やリーダー輩出/育成のあり方の変化の方が、日本政治の行く末にとってはより本質的な現象かもしれません。