山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

日米同盟と沖縄(上)

 沖縄の基地問題の行方が揺れています。安倍政権は、民主党から政権を奪還して以後、普天間基地辺野古沖移設を用意周到に進めてきました。石破幹事長がにらみを効かせる会見において沖縄選出の議員が容認姿勢を明らかとし、年末には知事も容認の立場を表明します。名護市長選で基地移転反対派が当選したことで作戦も練り直しかと思いきや、民意の差は小さいということで現行計画を進めていこうとしているようです。そんなことをいまさら言っても詮ないけれど、沖縄問題は本当に難しい。

 一方で、日本全体、東アジアの平和と安定の礎である同盟を数千人の地元住民の意思に委ねていいのかという点があり、他方で、国民の自由と財産を守り、国の主権と平和を守る安全保障が、民主主義を通じて否定されている現実があります。基地が立地する自治体の選挙という形をとるかどうかは別として、国民の支持なくして同盟を維持することはできないというのはそのとおりです。そう考えていくと、沖縄に基地を依存する形が、日本の安全保障にとって、日米同盟にとって本当にいいことなのか、疑問がわきます。民主党政権への政権交代の大義名分の一つが、鳩山総理が唱えた県外移設でした。民主党政権自体は、経験不足を露呈して自壊した部分があり、同情に値しない部分がほとんどと思っています。とはいえ、いやしくも一国の総理が主要政策に掲げても実現できないほど、沖縄に特定の基地があることが日米同盟にとってそれほど不可欠なのでしょうか。もちろん、ことはそれほど単純ではありません。関係者に根回しなく、ぽっと出た公約に対して、日本の外交・防衛当局は真摯に努力しなかったでしょうし、米国も「対等な日米関係」を掲げる"Loopy"(=間抜け)な総理の足元を見透かしていたのでしょう。

 冷戦終結とともに、各国、特に米国で「平和の配当」運動がおき、安全保障予算が急激に削減されました。この過程を通じて判明したことは、軍事的な合理性の観点からそこに基地がないといけないという制約は、ほとんどの場合、強い政治的圧力や代替の予算措置を通じて解決できるということです。沖縄の基地だけが、この原則が絶対に当てはまらない例外であるはずはないですから、普天間基地の移設先にも代案はあります。問題は、そこに十分な政治的資源と、政治的知恵を動員できるかどうかです。

 少し視野を広げて、冷戦後の日米関係を振り返ってみるとき、私には3つほど大事な瞬間があった気がします。

 一つは、冷戦終結後も日米同盟は必要なのかという疑問がわき、同盟が漂流していた96年に橋本総理とクリントン大統領が日米同盟を再定義した瞬間です。このときのメッセージは、「冷戦後も日米同盟は重要」ということです。

 二つ目は、03年に小泉総理が米国のイラク戦争に対してアメリカを「支持する」と言った瞬間です。戦争の大義であった大量破壊兵器が実は実在しなかったことが判明している現在ではなおさらですが、当時でさえイラク戦争には開戦をめぐる手続きなど問題が多かった。このときのメッセージは、同盟国というものは方針が決まるまではいろいろ意見もするけれど、いざ決まったときには支持するもの、ということをリーダーが示したということだと思います。ブッシュ大統領個人はもちろんそうですが、私の友人・知人と話してもアメリカ人の多くがそう感じたようです。

 三つ目が、先に紹介した鳩山総理の「最低でも県外」発言です。どこまで、意識され関連づけられて推進された政策なのかはわかりませんが、この背景には、いわゆる日米中正三角形論がありました。日本のリベラル勢力において根強い支持のある立場ではないかと思います。日米同盟に対する日本国内の分断を嗅ぎ取った上で、米国は東日本大震災後、史上最大ともいえるトモダチ作戦を展開します。民主党政権の混沌ぶりと比較した、冷静な判断力と危機に際しての動員力は圧巻で、多くの国民が素朴に「頼りになる」と感じたのではないでしょうか。私自身、日頃は大雑把な政策を展開するのに、ここぞというところでバシッと決めてくる米国の外交巧者ぶりに改めて感心したのを覚えています。

 以上から見えてくる日米同盟の現在の姿とは、「冷戦後も必要であり、いざというときに頼りになる同盟国ではあるけれど、国民には反対も多く、継続した支持取り付けが重要」ということでしょう。だからこそ、私は沖縄の基地問題を今検討されている解決策の延長線上で考えるべきではないと思うのです。日米同盟が、本当に東アジアの平和と安定の礎であるならば、それは、プロ同士が積み上げてきたガラス細工の基盤の上に築かれたものであってはならないはず。安倍政権は思想的には反米的な志向の系譜に位置しており、政権を支持する陣営にはそういう気分の方も多いようです。その中で安倍総理は、愛国者であることと親米であることが両立することを示しました。現行の日米同盟のあり方、特に沖縄における基地のあり方に反対でありながら、かつ親米であること、かつリアリストであるは可能なのでないかと考えます。

 同盟の基盤はもちろん相互利益です。日米同盟が日本にとっても米国にとっても利益になるものでなければ、持続可能性はありません。20世紀前半まで、同盟とはもっぱら勢力均衡と相互利益の文脈で推進され、理解されてきました。しかし、21世紀の成熟したデモクラシーに生きる我々にとって同盟とはそれだけではない。民主主義国同士が同盟を結ぶ以上、同盟の核となるのは国民同士の信頼感であり、同盟を維持するという意思です。この意思は、移ろいやすく不断の努力を要するものではあるけれど、いかなる兵器体系の導入よりも重要です。同盟とは、最後は共に「血を流す」という盟約です。日本は、長らく日米同盟を必要悪や功利主義で説明してきました。これは、国民の分断を防ぐための工夫であり、方便でした。我々は、そろそろそんな方便の時代から卒業するときではないでしょうか。

 明日は、日米同盟を米国の側から眺めるとどんな景色が広がっているか、やがて来る「米国の撤退」にどのように向き合うべきかについてお話しします。