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山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

東京都知事選―正しい選択肢と安易な選択肢

 東京都知事選において問われていることは何でしょうか?これは単純なようでいて、実は奥深い問題かもしれない。もちろん、定義から言えば、東京都の知事にふさわしい人物を選ぶことであり、日本最大の予算規模を誇る自治体を動かし、ある意味、日本最大の諸問題に取り組むにふさわしいリーダーを選ぶことです。それは例えば、少子高齢化社会における福祉の問題であり、アジアの都市間競争におけるインフラの問題でしょう。もともと重かった責任に、今回は、日本全体にとっても巨大なイベントである2020年五輪に向けての準備という重責が加わったことで、非常に高度な実務者としての能力が求められることになりました。

 ところが、歴史的な実態としては、東京都知事選とは自治体の首長を選ぶことよりも、もっと大きな政治的意味合いを持ってきたのではないでしょうか。革新系の都知事として福祉政策や環境政策を推し進めた美濃部都政は、冷戦の現実においては自民党以外の選択が難しかった国政とは別の次元で福祉国家のあり方を示しました。結果として、自民党がこの路線に追随し、左側の政策を取り込んで国民政党化していく流れを作りました。また、石原都政は、「東京から日本を変える」とストレートに訴え、規制改革やインフラ整備など、官の力学によってそれまで阻まれていた改革に取り組み、小泉構造改革の先駆けとなったのではないでしょうか。双方ともに功罪はありましたが、政・財・官・メディアの心臓部における動きは、必然的に全国的かつ大きなインパクトを持ちます。そもそも、東京都知事選挙は、1000万の有権者による直接投票であり、日本の議院内閣制を補完する最大の直接民主制的なイベントとして事実上、位置づけられてきました。それは、一票の格差の問題や、政党と既得権との関係から、日本の間接民主制が十分に民意の統合能力を持てなくなったことを反映して、都知事選に与えられた宿命だったのかもしれません。猪瀬前知事を選んだ前回の都知事選は比較的無風で、多くの都民は何故あんな候補に入れてしまったのかと悔やんでいるのではないかと思いますが、むしろ、同時に国政選挙が行われたことで、選挙から直接民主制的な重要性が排除されたむしろ例外的な都知事選だったのかもしれません。

 識者の中には、都知事選は東京の重要な問題を中心に行われるべきであるとか、イメージ先行のシングルイシューで戦われるべきでないとの主張が多いようです。まあ、筋論としてはそうなのでしょうが、あまり建設的でない。そもそも、一国の政治文化と言うのは、それほど合理的には割りきれない歴史的な文脈の中で存在しているものです。例えば、米国の中間選挙は、大統領の信任投票的な意味合いが強い結果として、個別選挙区の候補者のクオリティーとは無関係な結果がしばしば生じます。それはあまり合理的なことではないけれど、上記の都知事選の例とは反対に、間接民主制(代議士の選択)的判断が直接民主制(大統領への信任/不信任)的な影響をもっているという風にも捉えられ、米国政治全体としては一定の意義があるということなのだと思います。都知事選で何が問われているかを考えるとき、識者やメディアは、現実から離れたところにある「べき論」を語るだけでなく、歴史的な実際の中から実のある視座を提供したらいいのにと思います。

 さて、言うまでもなく、今回の都知事選で問われている直接民主制的な問いは、日本が原発政策から撤退すべきか、否かです。今回の流れを作った小泉元総理のアジェンダ=セッティングの能力は、一種の天才なんだなと改めて感心してしまいました。政治的闘争とは、正しい答えをめぐる闘いではなく、正しい問いをめぐる闘いであるというのは、米政界の常識ですが、これは日本でも正しい。思うに、前回の参院選アジェンダは安倍内閣を信任するか、否かでした。このアジェンダをセットできた時点で自民党の勝利は見えていました。ただし、それは国民の多くが感じていた原発政策の方向性にもの申したいというフラストレーションを引きずったままの勝利だった。小泉元総理は、その感触を嗅ぎ取って都知事選における、原発アジェンダを仕掛けたと言うことだと思います。賽は投げられた、ではないですが、いまさらアジェンダを云々しても不毛ですから、この際、徹底的に原発から撤退すべきか、否かを議論してはどうでしょうか。

 進むにせよ、退くにせよ、これは実に苦しい決断です。原発から撤退すれば、エネルギーコストが増加して、電力料金は上がります。これは、消費増税社会保障費増が見込まれる家計にとっても苦しいし、競争条件が悪化する企業にも苦しい。せっかく円高が修正されて国内回帰の傾向が見られる製造業は再び反転し、空洞化を通じて雇用が悪化します。円安とのダブルパンチで苦しい中でエネルギー確保に走る結果、足元を見られて高値掴みせざるを得ず、国富はどんどん産油国に流出する。安全保障の領域でも米国との安全保障協定がどうなるのか、米国との同盟関係への影響もある。今、撤退を決めても、放射性廃棄物の問題は解決しないし、そもそも日本中の原発廃炉するまでに何十年かかるか。しかも、この国に未来のなくなった原子力関連の技術者になって自分の人生を撤退戦に捧げようという人材がどのくらいいるのでしょうか。

 他方で、原発を引き続き稼動させるのも苦しい。周辺住民の懸念を反映して原発所在自治体首長は、再稼動その地に係る判断に慎重になり、結果的に原発のコストはどんどん上がる。そこには、何兆円単位の利権が生まれて日本の民主主義を歪めることでしょう。それでも、日本の財政難は危機的な状況なので、現場で苦しい思いをしなければならない本当に弱い立場の人が存在し続けるだろうことも、残念ながら変わりそうにない。原発からの撤退運動は永遠になくならないので、原発を抱える自治体は深刻な分断を抱えたままこの先何十年と存在することになります。原発が存在し続けることでテロ、その他の安全保障上のリスクも高まります。東日本大震災は、米国の協力なしには対処し得ない脅威がいかに大きいかを白日の下にさらしました。以上は、幸いにも、フクシマのような事故が再び起きなかった場合です。フクシマ規模の事故が、東京のすぐ西の静岡県の浜岡原発でおきたならば、偏西風にのった放射性物質は東京に降り注ぎます。原発の集中する福井県で事故が起きたならば、福井だけでなく京都と日本の文化はどうなるのでしょう?

 我々に与えられた選択肢は、しかし、このような暗く、厳しいものです。それでも、日本の民主主義を尊重する立場からは、ちょっと逆説的ですが、このような選択の機会があることは良いことだと思います。むしろ、我々が気をつけるべきは、いま決断しなくていいんだよ、とか、もっと楽な道もあるよ、と囁く声ではないでしょうか。私の敬愛するハリー・ポッター・シリーズのダンブルドア校長は、悪の魔法使いとの戦いを前に「我々は近く正しいことと、安易なこととの間で選択を迫られるだろう」と言いました。きっと、正しい判断の反対は、間違った判断ではなく、安易な判断です。