山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

農協改革の次に来るもの

 どうやら農協改革が前進するようです。直前まで絶対反対の構えを見せていた農協の中央組織である全中の心変わりには唐突なものがありましたので、裏では強烈な駆け引きがあったのでしょう。先般の佐賀県知事選で、官邸が推した候補が敗れたのは中央への反発であると同時に、農協改革を進める安倍官邸へのノーであると解釈されました。

 統一地方選の前哨戦とも受け取られていた選挙での敗北に自民党内は色めき立ちます。与党を衆院の2/3を超える勝利に導いた安倍政権に正面から弓引くところまでは、もちろんいきませんが、自民党内の会合では農協改革については慎重に進めるべきとの発言が相次ぎ、公明党までが慎重姿勢を示しました。どのような駆け引きが行われていたのか、想像力を刺激する展開ではあります。今回の農協改革の意義は何なのでしょうか。

 思うに、今回の一連の流れは安倍政権の経済改革に特有の展開であったように思います。農協改革が小泉政権の下で進められたならば、総理は、抵抗勢力に妥協しないと大見得を切った上で、大物の悪役族議員を向こうに回した劇場型の政策決定が行われたでしょう。安倍政権は、小泉政権と比較しても与党内の基盤が強い政権であり、先の衆議院選挙を経て、自民一強の中の官邸一強が進んでいます。自民党内には、かつてのような味のある悪役も、「○○のドン」というような存在も見当たりません。反対論も、せいぜいが「慎重な対応」を求めるとクギをさす程度です。

 農協改革は、安倍政権にとって重要な象徴性をもった政策です。安倍政権にとって最重要の課題はアベノミクスの成功を通じた日本経済の復活です。第一、第二の矢で時間を稼いでいる間に第三の矢の改革を進め、何とか経済を好循環に乗せるというのが官邸のシナリオでしょう。そもそも、第三の矢とは何なのかというのは、それはそれで深遠なテーマではあります。成長戦略と言っても、成長すべきはあくまで民間の経済主体であり、政府には基本的には環境整備しかできないからです。環境整備には、法人税減税のように日本企業の競争条件が諸外国との対比において悪化している分野をてこ入れする政策や、女性活用を通じて労働力の減少を補い、経済のインプットを増やす政策などが存在します。しかし、環境整備として最重要な点は規制改革を通じて競争を促すことです。政権発足以来、規制改革を政権の一丁目一番地と言い続けてここまできたわけで、その大きな柱である農協改革で敗北するわけにはいかないのです。

 安倍政権のもうひとつの大きな政策は、地方創生です。この地方創生というのはなかなか厄介です。官邸、自民党、霞ヶ関、各地方自身がそれぞれの思惑を抱えて同床異夢の状態が続いています。その内容も、「アベノミクスの恩恵を全国津々浦々に広げる」というような、田中角栄的な「国土の均衡ある発展」的要素が強調される場合もあれば、これまで失敗し続けてきたバラマキ型、押しつけ型の政策をやめて、地方の創意工夫が強調される場合もあります。いろいろな語られ方のする政策ではあるのですが、はっきりしているのは、そこにおける農業の役割が大きいということです。多くの地方にとって地方創生は、第一次産業を軸に展開することにならざるを得ないのですから。

 だからこそ安倍政権の内政における二枚看板の重要政策において、農業改革は非常に重要な位置づけをされているのです。安倍政権の進める農政の基本的な方向性は、農業の持続可能性を高め、成長を促すことです。踏み込み度合いや、実現度合いには異論もあるでしょうが、これまでの保護一辺倒の政策を根本のところで変えていこうという意気込みは本物のようです。実際、日本の農業は、高齢化が進行し、生産性は低く、耕作放棄地は広がり、食料自給率がだらだら下がっていくという状態にあります。しかも、それは特に新しい危機ではありません。現在の状況は、過去何十年と続いてきたトレンドに十分な手を打てず、予想されたとおりに事態が悪化してきた結果だからです。

 そんな状況を打開すべく、求められたのが「攻める農政」です。それは、一言で言えば農業の分野にも競争を持ち込んで生産性を高めることです。株式会社の自由参入を促して、十分な資本を投入し、生産技術やマーケティングなどの技術を投入することで生産性を高めます。必然的に生産主体の大型化を招き、規模の経済を通じてさらに生産性が高まるという論理です。各国とのFTAなどを通じて輸入される農産品に対抗するためにも、農業の生産性を高めることは急務です。

 実は、この点は第一次安倍内閣のころから本格的に強調され始めたものです。それは、小泉時代構造改革路線を農政に当てはめる試みでした。第一次安倍内閣は、農相にコワモテの農林族でありながら、改革志向の強かった松岡氏をあて、現在の方向性と相当程度重なった政策を目指します。

 残念なことに、松岡農相の自殺や、第一次安倍内閣の崩壊で改革の芽を摘み取られた後、後継内閣は農政に限らず改革意欲自体が後退していきます。あげく、当時の民主党小沢幹事長が、個別補償というバラマキ政策を掲げて自民党の農村票を取りにいき、政権交代を実現させたのです。農政から改革気運は消え、零細農家まで含めた悪平等路線が採用されます。砂粒の中からダイヤモンドを見つけるように先進的な事例が紹介されることはあっても、農業の全体は旧態依然としたままです。

 農協改革を進める意味は、攻める農政を実現することです。はっきり言えば、攻める農政を農協に邪魔させないことです。農協を不必要に悪者扱いしたいわけではありませんが、攻める農政というのは、現在の農協が持っている政策と本質的なところで相容れないのです。農協の存在理由はいくつかありますが、第一は弱者としての農家が連帯するための組織です。例えば、肥料、燃料、農業機械、種子等の農業経営に必要な原材料を共同購入して安く抑え、農産物を市場で有利に販売するためにも協働が重要になります。同時に、戦前からの統制色の強い農政を実現するための手段でもあり、戦後の土地改革を通じて自作農化した農民の権利を守る利益団体の側面も併せもっています。

 農協は、弱者保護の協同組合という正確から組合員の一人一票制によって運営されます。農家はその規模に関わらず平等の権利を与えられるのですが、結果として大多数の小規模農家、兼業農家の利益を強く代表するようになり、生産者の大型化や競争重視の農政に対して強い敵意を持つようになります。このような傾向は、小規模農家から票を集めたい自民党とも完全に一致していました。

 だからこそ、攻める農政の発想が重要であり、かつ、論争的なのです。農協改革に対して全中が反対するのは当然です。だからこそ、なぜ心変わりしたのか、何によって説得されたのかが重要になってきます。政権は、全中を説得するためにどんなカードを切ったのでしょうか。全国に存在する700強の地域農協、都道府県単位の各組織、全中をはじめとする中央組織は、政府の保護の下、長らく特別な地位を与えられてきましたから、それらの特権を剥ぎ取っていくと脅したのでしょう。

 地域に、現農協との競争関係にある第二農協、第三農協の設立を認めることだけでなく、農協同士の地域的な重なりを認めることで競争を促すこともできます。農協グループに許されている税の優遇を廃止することも検討されたかもしれません。最もあり得るのは農協グループそのものの解体でしょう。報道を通じて広く知られるに至ったことですが、現在の農協は、本来業務の農業支援の分野は農業自体の衰退を受けてどんどん縮小する一方で、銀行業務と保険業務によって支えられています。それらの金融事業の分離論は、昔から燻ぶり続けているテーマですので、その可能性を持ち出したのでしょう。分離論まで行かないにしても、民間の銀行や保険会社と同水準の厳しい金融庁検査の運用を示唆するだけで十分だったでしょう。

 今般の農協改革の中心は、全中の個別農協に対する監査や指導の権利を奪うことです。そこで語られる大義名分は、中央の画一的な指導によって個別の意欲ある農協の自主性が阻害されていると言うものです。一部にはそのような事例もあるでしょうが、あまり納得のいく説明ではありません。中央のこのような指導権限自体が、個別農協のずさんな経営の教訓として導入されたもので、必要なものだったのですから。

 実際の目的は、農協グループの中央から各農協に対して発せられる、攻める農政への反対運動を封じることです。そして、農協側が政権からさらなる脅しが発せられる前に妥協したというのが実態でしょう。しかも、農協側は、更なる脅しが控えていることをよく理解していますから、統一地方選を含めて政権への忠誠心競争をさせられるのです。

 つまり、今般の農協の改革は、その実態よりも象徴性に意味があるのです。識者の中にも、野党からも、これが成長戦略の中身であるとはいかにも物足りない、という趣旨の発言も聞こえてきますが、少々ピントがずれています。攻める農政へ反対を封じることが目的なのであり、本当の改革はこれから行われなければならないからです。

 安倍政権は、政治的な抵抗勢力の牙を抜くことには成功しました。そこには、改革を用意周到に進める凄みがあることも認めましょう。ポイントは、抵抗勢力を押さえた上で、今後、どのような政策を行うかです。舞台は整ったのですから、演目への期待が高まります。

 次回は、攻める農政の先にあるビジョンについて考えたいと思います。

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