山猫日記

三浦瑠麗 山猫総研

大阪都構想アフターノート:住民投票の否決を振り返る

僅差で否決された理由は

 大阪都構想住民投票が僅差で否決されました。賛成と反対の票差は、投票総数の1%以内という大接戦でした。敗北を受け、橋下大阪市長は年末の任期満了をもって政界を引退する旨表明し、合わせて維新の党の江田代表も辞任を表明しました。維新が進めてきた大阪での改革は止まり、中央政界での影響も予想されます。本日は、都構想をめぐる住民投票結果を振り返り、日本政治におけるその位置づけについて考えたいと思います。

 出口調査を通じて大接戦の住民投票結果をいま少し子細に見てみると、いくつか特徴が見えてきます。一つは、70代以上の有権者の反対が目立つこと。男女問わず、6割以上が都構想への反対を表明しました。次に、女性の反対が目立つこと。世代によっては、男性よりも10~15ポイント程度反対が大きくなっています。最後が、地域によって賛否の傾向が大異なっていることです。大阪内でも多少気質が異なってくる南北で傾向に差があるようです。

 以上のような傾向を受けて、シルバー・デモクラシーの難しさや、女性の支持を集められなかった理由が分析されています。変化に対して否定的であった層を単に守旧派として片付けるのではなく、そのような傾向を生じさせた本質について詳しく見ていくことは、とても重要だろうと思います。大阪都構想は、道州制をはじめとする地方分権改革の試金石であると位置づけられており、今後の改革の成否を占うヒントが隠されていると思うからです。

 都構想への反対意見の中心には、役所や地元産業界に既得権をもつ層の他、新自由主義的思想や橋下氏のトップダウンのスタイルに嫌悪感を覚える左派・リベラル勢力が存在しました。前者は、主に自民党支持層に、後者は組合支持層や共産党支持層に対応します。もう少し、マイルドな反対意見としては、橋下氏の手法への批判や漠然とした変化に対する否定的な感情もあったでしょう。

 対して、賛成意見の中心には、マイルドな構造改革派とも言える有権者が存在していました。これらの有権者にとって、維新の魅力は、閉塞感の打破であり、反既得権益であり、反エリート感情であったようです。「身を切る改革、実のある改革。」という維新の党のキャッチフレーズが何よりこの点をよく表しています。

 いわゆる無党派層における維新支持も根強いものがありました。既存政党はすべて反対でしたから、他党支持者の中にも少なからず維新シンパがいたことになります。自民党の中でも、新自由主義的な発想をする安倍総理や菅官房長官維新に対して同情的であったのは自然なことだったでしょう。そのことを指して、何らかの裏取引の存在を仄めかす向きもありますが、自民党の中の経済思想をめぐる綱引きを考えれば自然と理解できるのではないでしょうか。

 既存政党をすべて敵に回しながら、マイルドな構造改革層を取り込んで過半数に迫った迫力はたいしたものでした。しかし、否決は否決ですので、その原因について探っていくべきでしょう。私は、一言で言うと、改革の手法が少々ナイーブであったということだと思っています。

ポピュリズムはむしろ足りなかった

 順に説明しましょう。一つ目は、バラマキを行わなかったことです。この点は、維新を評価すべき最大の点でもあるのですが、物質的な便益を志向する有権者を取り込む方向性はありえたはずです。維新は、都構想による平成45年までの効果を4,000億円と見積もりました。試算の成否は一旦置いておくとして、この4,000億円を原資に減税を行うということは可能だったはずです。年間200億以上の財源となりえたわけですから、分配の傾斜方法如何によっては世帯当たり数万円の便益を設計できたはずです。

 民主党元代表の小沢氏は農村にお金をバラまいて政権を獲得したわけですし、それは自民党政治でも常道です。バラマキそのものは維新が否定しようとしてきた日本政治の悪しき風潮そのものですから、それに抗ったことは評価したい。けれど、統治機構改革というそれだけでは実感を伴わない政策領域に実感を導入するという工夫には、いま少し頭を使うことができたのではないでしょうか。

 二つ目は、いわゆる恐怖心を主要な動機付けとする手法を採らなかったということです。橋下氏の手法を指して、ポピュリズム的であるとか、強引であるということはできるでしょう。氏の傑出したコミュニケーション能力は、物事の単純化と、尖ったメッセージングによって支えられていますので、そこに嫌悪感を覚える向きはあると思います。

 しかし、それは恐怖を主要な動機付けとする運動からは程遠いものでした。例えば、2009年の政権交代の直前、自民党民主党政権になったならいかにひどいことが起きるかということを繰り返していました。政治はきれいごとではありませんので、スキャンダルやネガティブ・キャンペーンを前面に出して戦うことも、それを適切なタイミングで提起することもしばしば行われることです。

 タウンミーティングやメディアにおける維新幹部の訴えはとてもクリーンでした。国際競争時代の都市大阪の競争力を云々する主張は、正しかったとは思うけれども、同時に少々ナイーブに過ぎたように思います。政治運動には、政策の効果のみならず、その政策が有権者の間に作り出す感情をコントロールすることも重要なのですから。

 三つ目の点は橋下氏の個人的なカリスマやコミュニケーション能力に頼りすぎたということです。以前、ある維新関係者と話していたとき、橋下氏の意思決定や行動の早さを指してベンチャー経営者のようであると言っていたのを思い出しました。

 維新は、橋下氏の能力に過剰に依存したやり方を最後まで改められなかったようです。彼が、稀代のコミュニケーターであるが故に、そのメッセージがワンパターンとなってしまい、橋下氏以外の顔役を作り出すことができなかった。橋下氏自身、あるときは戦さであると言ってみたり、またある時は所詮制度の変更でしかないといってみたり、メッセージが一貫しませんでした。個人でやれることには、どうしたって限界があるのです。

日本の問題

 都構想や維新を越えて、日本政治の課題について俯瞰したとき、最大の問題は政権に対する実質的な選択肢が存在しないことです。言い換えれば、政権交代可能な受け皿を作り出すことです。政権から転落した民主党は、いまだ党勢復帰回復のメドも立っていません。政権への再復帰は、あるとしても一世代先になるのではないでしょうか。そんな中、維新自民党に対する本質的な挑戦者たりうると思っています。

 政権交代を機能させている国には、なんらかの分断があります。大変幸いなことに、日本にはこの分断がありません。日本に分断があるとすれば、統治者(=お上)とそれ以外の分断です。だからこそ、この日本政治の現実において政権交代を観念するには、統治者であることを観念できる保守系の二大政党以外にはリアリティーがありません。(詳細は、下記記事リンク参考)

野党再編(1) - 山猫日記

日本の選挙区の構造について(2) - 山猫日記

 そして、自民党以外で、保守系二大政党の一翼を担いうる存在が、維新的な立場であるということです。維新的、と「的」をつけるのは民主党の保守陣営には維新と区別のつかない人々がいらっしゃるので、この方々を含めて考えてもいいという意味で使っています。

 これは、具体的には、維新に支持を与え続けてきたマイルドな構造改革層の支持を獲得するということを意味しています。維新は、それだけで有権者の半分取れたわけですから、政権交代の可能性も出てくる水準です。民主党が政権を獲得したのも、従来型のリベラル票に構造改革票で上積みできたからです。そして、民主党が党勢を回復できないのも、この層の支持を完全に失ったからです。

 難しいのは、社会を分断する本質的な軸は構造改革の是非といった政策論点ではなく、社会文化的なるものであり、長い歴史を経て成立してきた経緯論だということです。構造改革を求める有権者は、一般に経済的に豊かな層により多く存在していますが、それは英国の階級や米国の人種・地域といった固定的な分断とは重なっていません。したがって、維新のように改革志向政策に立脚した政党はどうしても時限的な性格を持ってしまうのです。

 日本には、二大政党を分ける明確な分断がありませんので、仮に政党間の競争を高めるならばどうやったら自民党の支持基盤を割ることができるかということを考えざるを得ません。結果として、ほとんどの政策は自民党のそれと似てくることでしょう。成長重視の経済政策、バランスの取れた政府規模を、明確な低所得者への支援の充実、現実的な安全保障政策とエネルギー政策の採用など、安倍政権と殆ど被ってきます。違いを際立たせる論点が、自助・自立の発想に基づく地方分権だということなのです。

 維新という政治勢力は、特に、今後の野党再編の成り行き如何によっては、自民党に対する最も本質的な挑戦者となる可能性を秘めています。だからこそ、都構想挫折の教訓をしっかりと刻み込むことが重要なのです。統治機構改革においては、有権者が身近な利害との関連付けて理解できるように工夫することです。そして、政策が作り出す感情をコントロールすることであり、政治的リーダー個人の資質を超えた組織的な運動を作り上げることです。

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