山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

日本における「女性問題」炎上を読み解く三つのポイント

遅ればせながら、新年初のブログです。今年もよろしくお願いします。

新年早々、ツイッター界では女性問題での炎上が続きました。西武SOGOデパートのCMおよびCF。安藤サクラさんを起用した広告が、女性活躍を否定しているのではないか、女性が差別され続けている現状を過小評価しているのではないかと批判を浴びました。週刊誌『SPA!』の「ヤレる女子大生ランキング」も批判を浴びました。そして、NGTのアイドルが自宅に押しかけられた件で運営側の対応の不備を告発したのち、イベントで謝罪するに至った件。ごく最近ではフジテレビのワイドナショーでの指原莉乃さんに対する松本人志さんの発言も批判されています。それぞれに違う問題ですが、炎上というのは、人びとが冷静に考えるのを妨げる傾向にあります。Metoo問題について積極的に発言してきた私ですが、どうもこれらの問題を理解する軸が世間の議論に欠けているような気がしましたので、今回の記事をごくまじめに書くことにしました。

女性問題は、世間の認識が変化しつつある領域です。弱者による強者の告発、といった構造から、世間に存在する下克上の欲望に馴染みやすく、いったん燃え広がると止められないほどにまで延焼していきます。他方で、具体的な被害者個人が特定しにくいSPA!や西武のようなケースでは、世間の評価が基軸になりますので、一般的なお詫びとその後の表面的な軌道修正に落ち着きがちです。そこで、本日は日本における女性/Metooの現象をどのように解釈すべきか、三つのポイントを提示したいと思います。

日本の特徴は第一に、具体的な被害者を生む暴行/セクハラでは、被害者からの告発が乏しく、実名での告発は非常に少ないこと。例外を挙げるとすれば、目立つところでは詩織さんとはあちゅうさんでしょうか。

第二に、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の普及の動きは比較的速いこと。また、特殊な謝罪文化があるために、何に向けて謝っているのかよく分からないケースでも頻繁に謝罪会見や謝罪声明が出されるという特徴です。

第三に、そうした個別の炎上に比して、より根本的な問題としての女性の地位向上はまるで進んでいないこと。

順に考えていきたいと思います。なぜ、日本では加害者を必ずしも特定しない場合であったとしても、「私」が被害に遭いましたという告発やストーリーの共有が乏しいのか。当然、社会的制裁や好奇の目などがもたらす負のコストが大きすぎるからでしょう。しかし、米国でもカバノー氏の一件に見られるように、被害者に対する同様の嫌がらせは発生しています。それなのに、Metoo運動が始まって以降の実名による告発数は日本が圧倒的に少ない。日本女性は、個としての自分を背負って過去に受けた傷を告白する傾向に、どう考えても欠けているのです。

それがもたらす必然的な結果が、日本の二番目の特徴を生みます。誰も名乗り出ないから、明白なラインを引こうとする動きです。この動きはネットなどを通じて非常に大きな影響力を持つに至りました。確かに、セクハラ問題や性的暴行の定義の認識をめぐっては、加害側の知識が圧倒的に欠落していますから、何がOKで何がダメなのかをあぶりだす作業は必要です。

しかし、これはあくまでもMetooの初期段階に必要なことです。なぜ、だめなラインをあらかじめ引かなければならないかというと、それがないと女性がNOと言えないから。繰り返します。NOと言えないからなのです。

つまり、NOと言える女性が増えれば、第二段階目の「ライン」は、みなが独自に頭の中で引く習慣もできてくるし、そこまで考え抜かなくてもNOと言われれば、「ああそうか」と即座に引き下がるか、「ごめんね」と素直に謝ればいいだけのことなのです。ただし、そもそもNOと言えることが想定されない年少者をはじめとする存在に対する性行為は別に考える必要があり、それはそもそも犯罪です。

そうした観点から、私が今回の一連の炎上で違和感があるのが、日常的に私や似たような立場にある女性にセクハラ発言を繰り返してきたり、違法行為(泥酔状態で連れ込まれてしまう)をジョークのネタにしてきた見知った人々が、ツイッターで企業や有名人を叩いている状況です。これは至極おかしな話です。SPA!の女子大ランキングを攻撃する人は、女子アナや女性タレント・文化人の胸の大きさ(勝手)ランキングにはなぜ突撃しないのでしょうか。これはダブルスタンダードであり、弱者(=ふわっとしたまとまりとしての顔を持たない女子大生)に味方することで自らの正義や道徳観を振りかざそうという流れであると言われても仕方がないだろうと思います。ただ、ダブルスタンダードよりも重要な問題がここにはあります。釘を刺しておきたいのは、男性が女性を蔑視する意識は問題だけれども、その意識改革の過程でピューリタニズム的な方向に行かないように気を付けるべき、ということ。「自分の胸のかたちは好きだけれど、ふしだらではないんです。そういう目で見ないでください。」というメッセージは、結局女性にとって都合のいい理屈でしかないし、結果的には「ふしだら」批判を存続させ、女性を苦しめることに繋がるからです。

また、ワイドナショーの松本さん発言については、仲の良い親分肌の指原さんが刺し返してくることを織り込んだうえで下品な笑いを取りに行き、自らを自嘲的な笑いに持ち込むというのが彼の考えた筋書きだったと思います。あの場で、指原さんは「何言ってるんですか」「ヤバ」と即座に刺し返し、松本さんに完全に引導を渡していましたので、そこには何の問題もなかったというのが私の理解です。しかし、もし「えーやだー!(笑)」とかおもねった風に反応する女性であったならば、松本さんも興ざめであったろうし、そこは人を見てジャブを繰り出しているというのが、私が彼を近くで見ていた限りの認識です。結論は、若い女の子が「指原さんかっこいい!」と思うロールモデルを提供しているね、ということ以上でもなければ以下でもない。

さて、最後のポイントです。こうした目立つ炎上の傍らで、遅々として進まず脚光も浴びていないのがセームワーク・セームペイ、待機児童や乳幼児を抱えた親へのケア、女性幹部を増やすなどの問題です。その過程では、女性の自助努力だけでなく、共助や公助が必要となってきます。炎上問題がその場の盛り上がりに終始してこちらの改革へのエネルギーに繋がっていかなければ、やはり問題だと思います。どうしたら女性の地位が向上するか。それは、まず嫌なことは嫌、NOと言う気概を持ち、経済的に自立し、男性と対等な条件を得ることを通じてしか可能ではないと思うのです。

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*この記事は、1月16日配信公式メールマガジンの「とっておき」コーナーを編集し再掲したものです。

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