山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

3月11日から八年、エネルギー政策を考える。

3.11から八年。その節目にはさまざな記事が出されました。その日、だけでなく書いていくことに意味があるのかなと思い、本日は東日本大震災から8年の節目に考えたことについて書いてみたいと思います。

 

「あのとき何をしていたか」を共有するのが国民

グローバリゼーションの時代にあって、国民国家はもはや古臭い存在であるという方がいます。いまさら、ナショナリズムとはむしろ危険であると。私自身は、現在の世界において問題とされていることについて、当面の間、解決の主体となり得るのは国民国家以外にはないと思っており、よって、必然的に国民国家復権が起きると思っています。それは、必然であり、かつ、望ましいことであると。

そして、国民国家については「想像の共同体」であるとする議論があるように、そこには歴史や物語が重要な役割を果たしています。現在の日本という国民国家にとって、3.11にまつわる記憶はその物語の中で重要な地位を占めているのです。日本人のほとんどは、8年前の「あのときに何をしていたか」を明確に記憶していることでしょう。そして、3.11から継続するあの時期にこの国を覆っていた不思議な雰囲気を、自らの個人的な体験とも紐づけながら記憶しているはずです。

私自身もそうです。これまでも、いくつかの媒体で書いてきましたが、8年前のあの日、私は娘を妊娠しており、自宅で静かに過ごしていました。リスク妊婦として、担当医から絶対安静を命じられていた私は、数か月にわたって自宅から出ることも不自由でした。突き上げるようにマンション全体が揺れ、本棚からバタバタと本が崩れ落ちる中、私の最初の本能は、お腹の娘を守ることでした。3月11日の夜は、交通機関が寸断され職場から歩いて帰宅した夫とその同僚、自宅に帰ることができなかった兄弟が我が家に泊まりに来ました。津波の映像が繰り返し流れる中、皆、異常な精神状態の中にあった気がします。あの最初の晩、我々はお互いが身を寄せ合って助け合って過ごしたのでした。

外資系のコンサルティング会社に勤めていた夫には、翌日には福島原発事故に関する情報が入り始めました。外国人の幹部やその家族は、原発事故について非常にナーバスになっており、日本のマスコミとは異なる情報源から既に事態の深刻さを把握していました。幹部人材の何人かは、西日本方面への避難、あるいはシンガポールや香港などアジアの他の有力拠点への避難を開始しました。

実は、この時、私は明確に死を意識しました。東京の被害は、それほど深刻ではなかったけれど、リスク妊婦であった私にとってかかりつけの担当医から離れ、MFICUとNICUがある病院である日赤医療センターから離れることは、子供の死を意味することを瞬時に理解しました。日本のマスコミの報道とは全く異なる深刻な論調で厳しい情報が刻々と入ってくる中、それでも、我々は逃げられないことを明確に認識していたわけです。

3.11に続く日々については、日本国民の多くと同様、社会での出来事と個人的な出来事が分かちがたく結びついて、私の血肉となっているような気がします。8年の時を隔てて、少しずつその時の空気の記憶は薄らいできてはいるけれど、それでも、毎年この日々を迎える特別の感慨があるものです。

 

破壊的なユーフォリアと絶望と

3.11に続く日々は、日本というシステムが激しく揺さぶられた日々でしたが、実は、私はその社会にはほとんど参加していません。娘をなんとか無事に出産し、ゼロ歳児の育児をしながら、初の単著を執筆していた2011年と2012年当時の私は、社会的な事象に関心を寄せる余裕が全くなかったからです。3.11直後に盛んであった、いわゆるゼロ年代的な言論には、本当の意味では同時代性を感じられない部分があります。当時の私は、それどころではない人生を生きていました。

私が純粋な学術の枠をはみ出した言論活動を開始したのは2014年から。マスコミへの露出が本格的に増えたのは2015年からなので、震災から既に3年近くが経過していました。今から振り返ると新鮮な驚きを覚えるのだけれど、震災直後の言論にはある種の明るさが感じられます。震災が停滞する日本に破壊と同時に、大きな変化をもたらしたようでした。日本国民のリセットやゼロクリアへの渇望だったように思います。破壊の中からは、多くの若い言論人が登場していました。若い世代が活躍する時代には、ある種の活発さがあるものです。

私が言論界に進出した時、その時に存在した破壊とその裏返しとしてのユーフォリアは既に絶望へと変質していました。カタストロフィーをもってしても変われなかった日本への絶望です。その後、私はブログ山猫日記に書き溜めた政治評論を『日本に絶望している人のための政治入門』という文春新書にまとめて政治評論の世界に入ることになります。編集者のすすめもあって同書の題名をつけたとき、そこまでを見通せていたわけではないのだけれど、今から思い返せば、いろんな意味で意味のある整理だった気がします。

 

エネルギー政策の変化

個人的な体験やストーリー、言論人としての時代の雰囲気を超えて、3.11を通じて現実的に一番変化の大きかった分野はやはりエネルギー政策の分野であろうと思います。今日でも、原子力発電をめぐる立場にはいろいろなものがあるけれど、震災前に存在したクリーンなエネルギー源としての原発というナイーブな立場はさすがになくなったと言っていいでしょう。当時の民主党がそうですが、原発ゼロを叫んでいる方々の中には、震災前には温暖化委対策の観点からむしろ原発依存度を高めていこうとする考えの人が少なくありませんでした。

今日、原発政策は国民がもっとも分断している政策分野の一つです。原発政策が面白い論点であるのは、基本的には安保や憲法という軸で分類される日本の保守とリベラルでは色分けできない論点だからです。リベラル陣営は、原発については反対の意思を明確にしつつあるものの、全般的に開発に懐疑的であるために大掛かりな再生可能エネルギーの普及にも消極的、そして、地球温暖化対策の大義の観点から化石燃料の継続した利用にも与せません。結果として、政府や電力会社の具体的な方針には反対しても体系的なエネルギー政策は示せないという状況が続いています。

保守の側は、反リベラルとしての反「反原発」という部分は存在しますが、原発についてイケイケドンドンな意見はさすがに影を潜めています。原発の利権につながる業界や人々はもちろん存在し続けていますが、原発は、むしろ保守を割る可能性のある論点として警戒されているというのが現実です。混乱と曲折を経てはいるものの、新潟、鹿児島、佐賀などの原発設置県の知事選挙が安定しないことがその象徴と言っても良いでしょう。今後、愛媛や福井でも同様の状況が起きてくる可能性が高いでしょう。

経産省が発表したエネルギー基本計画では、2030年の原発依存度を20%で想定していますが、そんなことが可能であると考えている者は経産省にも一人もいないでしょう。西日本では、徐々に再稼働が進んでいますが、東京電力管内や東北電力管内ではいまだに稼働実績はゼロです。近い将来、本格的な稼働が実現する可能性は極めて低いし、その際も再稼働のコストは膨大なものとなるでしょう。エネルギー源としての科学的な知見とは別の次元で、日本国民の幅広い層からは原発に対する支持が失われたというのが現実です。

現在の与野党を見回した時、安倍政権は原発政策に対して最も理解のある政権ですから、その任期が続く限り、現在のような中途半端な再稼働路線が取られるでしょう。ただ、自民党内の次の世代には原発推進派は皆無と言っていい状況です。原発政策のハードルは上がり続け、そのコストも上昇し続けます。原発継続が公式に撤回される日が遠いにしても、現実問題としては、日本のエネルギー政策は次のフェーズに移っていると考えるべきです。

 

再生可能エネルギー

将来にわたって原発政策を維持することがもはや政治的に現実的でない中、希望を託すべきなのは産業として再生可能エネルギーが立ち上がってくることなのだけれど、同分野をめぐる言論状況にも若干の絶望感を禁じ得ません。いかに事実に基づかない、日本でしか通用しない論理がガラパゴス的に存在を許されてしまうかという現実を突きつけられるからです。

過去8年間の再エネをめぐる政策や議論は、日本的な空気の支配を象徴するものでした。震災直後、反原発の雰囲気の中で、当時の民主党政権によって固定価格買取制度が立案されます。同制度は、再エネの普及には大きな効果があり、新たな産業を生み出す功績はあったものの、いかにも準備不足で導入された感は否めないものでした。その後の数年で起きたことは、ある種の再エネバブルでした。同政策がいかにもまずかったのは、実際に再エネ事業の普及に努めた者ではなく、その市場に参入して関連する権利や土地の売買を通じて儲けることを意図した者にインセンティブを与えることになってしまったからです。

日本中で玉石混交の業者が一斉に投資を行った結果として、確かに再エネは一気に普及したものの、悪質な業者によるトラブルも頻発しました。その結果として、今度は再エネをめぐる世論が反転し、親原発ロビーがそれに乗っかっているという筋悪な状況が生じているわけです。悪質な業者と業界全体を意図的に混同するようなイメージ操作が行われたり、再エネの普及が電力網を不安定にするかのようなグローバルには10年前の議論が行われたりしているのです。

再エネをめぐるグローバルな議論は、異なる次元に突入しています。トランプ政権は、パリ協定から脱退し、石炭を含む化石燃料に甘い傾向がありますが州レベルでは異なる現実が進行しています。米国最大の経済であるカリフォルニア州2045年までに再生可能エネルギー100%とする法案を可決し、投資を加速させています。米国政治の先行きは見通しにくいのが現実ですが、2020年に民主党ホワイトハウスを奪還するような場合には、共和党との差別化の意味も込めて、空前絶後の投資(グリーンニューディール)が展開されるでしょう。ドイツは2050年までにエネルギーの80%を再生可能とする目標を掲げていますし、足元で再エネ分野で最大の投資をしているのは中国です。

日本の再エネ普及目標は2030年で22%ですが、これには水力発電が含まれており、言ってみれば水増しされた数字です。日本がガラパゴス的な内輪の議論をしている間に世界の現実は二歩も三歩も前に進んでいるわけです。

日本の再エネ政策は、産業政策としても歴史的な大失敗です。かつては、太陽光パネルのトップには日本企業がずらりと並んでいました。今では高付加価値品は欧州企業、普及品では韓国企業や中国企業の後塵を拝する存在です。ところが、その失敗から学ぶこともなく、足元では次世代の多くの産業の基幹技術となるであろう蓄電池の世界でも世界に置いて行かれつつあるのです。政権と経済産業省には、空気に支配された情緒的な政策ではなく、世界で当たり前に行われているようなグローバルスタンダードの王道の政策を推進していただきたいものです。

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